修学院離宮 窮邃亭と浴龍池
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
先日から続いている修学林離宮の記事の最後です。最初の記事で7月3日までは工事が行われていて下の概略図の青の迂回コースを歩いたと書きました。しかし、実際は工事が終わっていて通常の赤のコースを歩いたので訂正します。
楓橋を渡ると、千歳橋を見下ろす場所を通ります。手前が宝形造で、屋根に鳳凰が乗っています。この中の島は特に名前がないようです。
苑路の脇にはいろいろなキノコが生えていました。下は「ヒイロタケ」、広葉樹の枯れ木に生えるキノコで食用にはなりませんが、赤い天然色素を草木染のように染料の原料にすることがあるようです。
中の島の頂上に宝形造りの茶屋「窮邃(きゅうすい)亭」があります。「窮邃」の扁額は後水尾上皇の震筆だそうで、下には四角いくつぬぎ石が据えられています。
文政年間(1818-1830)に修復はあったものの創建当時の建物で唯一現存しています。 十八畳と附属の水屋の一間からなり、 一隅に畳一枚高くした上段を設けています。
上段には窓際いっぱいに低く一枚板を渡して御肘寄(窓の下の台)としています。庭の景色を眺められるように、上皇が好きなように配置したのでしょう。
窮邃亭がある中の島から下りて土橋を渡ります。
正面にあるのが「三保ヶ島」、一面に蓮の葉が浮かんでいて、花が咲いている景色もみたいものです。
向うに見える舟着の近くに燈籠があります。笠が屋根のような形をしていて「舟見燈籠」とよばれます。夜に舟遊びをした情景が思い浮かびます。
「西浜」 背後には何もなく、浴龍池が谷川をせき止めて山の斜面に造ったことがよくわかります。これからそこを通ります。
「チチタケ」 夏から秋にブナ科の林内の地上に発生します。味に多少くせがあるが、好んで食用にする人も多いとか。茎が長いチダケサシという植物は、かってこのきのこを刺して運んだことが名前の由来だそうです。
西浜の手前に「舟着」があります。浴龍池は舟遊びの場でもあり、島々を廻りながら管弦や詩歌の会などが行われたそうです。
そばに四角い石組みがあります。何かの遺跡のようですが、ガイドさんの説明がよく聞こえませんでした。花壇として利用したとおっしゃっていたような気がします。
北西の隅に来ました
千歳橋は後水尾上皇の時代にはなく、後の文政7年(1824)の離宮改修時に京都所司代・内藤信敦が橋台を、文政10年(1827)水野忠邦が屋形を寄進したものです。中国風で違和感があるという方もいますが、こちらからの眺めは周囲と融け込んでいます。
池と反対側の視界が開け、小雨でかすんでいますが市内北部が見渡せます。水平の緑の線は賀茂川で、中央奥にある小山が金閣寺の裏山だと思います。
先ほど通った土橋、紅葉の頃は見事です。
船着に停まっているのは屋形船に見えますが屋根は船着のものです。後水尾上皇の頃は大きな屋形船で舟遊びをしたそうです。
写真を撮っていて少し遅れてしまいました。私の後ろには係員が歩いています。
後水尾上皇の行幸は25年間に70回以上におよび、離宮には宿泊施設がないため仙洞御所から日帰りの旅でした。滞在時には向うに見える隣雲亭で過ごすことが多かったといわれています。
ツアーに追いつきました。左端に「雄滝」があります。
浴龍池の南端から、中の島の万松塢が遠くになりました。
来たときと同じ松並木を通って拝観受付がある表総門に戻りました。小雨の中で上り下りがあり少し疲れましたが、この季節の修学院離宮も美しいと思いました。
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コメント
きのこは、秋の季語になるので、
秋になると、もっとこの辺りは、
きのこだらけになるのかもしれませんね。
投稿: munixyu | 2024年7月 6日 (土) 14:39
こんばんは。ゆーしょーです。
地図にも載っている浴龍池ですが、
昔、龍がこの池で水浴をしたのでしょうね。
投稿: ゆーしょー | 2024年7月 6日 (土) 21:21
ポチ♪2
投稿: ゆーしょー | 2024年7月 7日 (日) 01:20