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2024年7月12日 (金)

京都市電の環状線経路をたどる

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日から記事にしてきた北大路通はかって走っていた市電の経路でもあります。いつかはこの先の北大路通も歩くつもりですが、今日はかっての市電の歴史を紹介します。

TOPの写真と以下の説明はWikipediaの「京都市電」からです。抜粋で、現在の年号を変えたところがあります。

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下は最盛期の市電路線図で、先日から歩いてきたのは右上の高野(北大路と東大路の交差点)から中央上の烏丸車庫前(上の写真)です。以下の写真は、路線図の一番外の環状線にある名所です(左回りにまわります)。

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京都電気鉄道買収後、路線は戦後に至るまで延長され、最盛期は76.8km、車両351両(1957年度)の路線となった。乗客も増え1963年には一日平均564,488人の利用があった。「大徳寺」

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しかし、その後1960年代からの自動車の急速的な普及により乗客の減少がつづき経営が困難となり順次廃止されていった。当時、モータリゼーションの進展、地下鉄の敷設こそが進歩の象徴、「千本北大路」、南に「上品蓮台寺」や「千本ゑんま堂」があります。

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大都市の条件とする風潮があり、路面電車を故意に時代遅れのものに貶めるネガティブ・キャンペーンのようなものがあった。京都では1965年12月に自動車の併用軌道内走行を可能としたことで、定時運行を守りにくくなり、乗客の減少を招いた。「金閣寺」 

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定時性を確保し乗客離れを食い止めるためには、自動車の乗り入れを再び全面禁止すべきという声もあったが、市は一部の路線(外周線の18.3kmにつき1975年4月から)を除き実施しなかった。「北野天満宮」

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また実施された区間においてもそれが徹底されていたとはいえない面があった。定時性が保てない→運行ダイヤを停留所に提示できない→乗客離れが進むといった悪循環が、意図的に行われたという指摘もあった。「若一天満宮」

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京都市は1965年の交通事業審議会答申で、交通渋滞とドーナツ化現象を背景に、市営交通を「高速鉄道とバスへの移行が望ましい」とした。
「吉祥院天満宮」

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1967年に市長に当選した富井清は、市電存続を前提とした交通局の財政再建案を策定したが、少数与党(日本社会党・日本共産党)であったため京都市会(市議会)与党の自由民主党が激しく抵抗し、最終的には公明党・民社党に加えて共産党も反対に回って否決された。「東寺」

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やむなく富井は市電全廃と地下鉄拡張を踏まえた再建案を提出して可決される。富井市政下の1969年京都市の新たな交通計画(十文字の地下鉄路線とそれを補完するバス路線網)が可決され、「東福寺」

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外周線を除く市電の撤去が定められた。この背景には、累積赤字で交通局が財政再建団体に指定され、自治省(当時)からの利子補填などの支援・監督を受けるに当たり、赤字事業の縮小として路面電車の撤去が求められるという事情もあった。「智積院」

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富井の後任となった舩橋求己(1971年当選)の市政でも、市議会と市長の対立は形を変えて続き、市電の存廃に関して十分な検討が尽くされなかったと指摘されている。「清水寺」

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市民による存続運動も行われたが、市は拒否。1976年に全面撤去へと計画を変更した。同年1月の時点で市の交通事業審議会は中間報告で全廃・一部存続・全面存続を選択肢として示すにとどまっていたが、市長の舩橋は審議会メンバーへの相談もなく3月に全面廃止を発表した。「八坂神社」

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のち、地下鉄開業にそなえ1978年に全面廃止され、83年の歴史に幕を閉じた。市電廃止反対を求める署名は27万人に達したとされる。市電廃止はマスコミに「日本で最初に開業した電車が廃止」などと大きく取り上げられて全国的に報道された。「平安神宮」

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なお、地下鉄路線網は1969年当時の計画から50年以上が経過した現在になってもすべて完成しておらず、交通局の赤字体質も改善されてはいない。「熊野神社」

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2020年代には激化するオーバーツーリズムに対して、市電の全廃は誤りであったという意見も出るようになっている。(下は京都市交通局から現在の市バス路線図で、中央の黄色い四角が市電の環状線にあたります。)

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市電全盛期には市営バスはこれを補完する役割を担い、御前通や七本松通など裏通りを走る路線も数多く見られたが、かつての市電路線網がバス転換化されると人口のドーナツ化現象も相まってそれらの矮小路線はほとんど廃止されてしまった。「知恩寺」

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現在の市バスの状況に対していいたいこともありますが、もう経路を一周してしまいました。下は高野、最後は「府立植物園」です。

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コメント

路面電車は、もったいないですね。
逆に、今、一部でいいから復活して欲しいぐらいです。
京都の渋滞は、物凄いので・・・。
車の数が少しでも、減ればいいのに。

投稿: munixyu | 2024年7月12日 (金) 16:23

こんばんは。ゆーしょーです。
京都市電へは薄々ながら2度乗った記憶があります。
小学6年生の修学旅行の時と、後は思い出せません。
今はどうか知りませんが、東本願寺や西本願寺の
前も走ってましたよね。
のんびりした時代でした。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年7月13日 (土) 00:06

★munixyuさん こんばんは♪
昔はマイカー乗り入れ制限をもっと徹底していたような気がします。

投稿: りせ | 2024年7月13日 (土) 23:09

★ゆーしょーさん こんばんは♪
市電が走っていたころは、環状線に乗ってのんびり市内を一周したこともあります。

投稿: りせ | 2024年7月13日 (土) 23:19

昨日(2025年6月4日、月曜日)新しくできた広島電鉄広島ターミナルに行ってきた。驚いたのは、現在の京都駅から清水に向かうのに、300人近くが並んでいて、バス20分待ちという状況が多いのだが、広島電鉄の5車体連接車をはじめとする、大型連接車は、インバウンド客を含む300人程度の乗客を軽々と乗せることができる。バスはどんなに乗れても、せいぜい70人程度である。バス4台分の乗客を軽々と運ぶことができる。京都市商工会議所もLRT復活を唱え始めた。いまこそ市電を復活させて、税金を払っているにもかかわらず、京都市民が市バスに満足に乗れない異常な状態を解消しよう。

投稿: TK | 2025年8月 6日 (水) 00:19

★TK さん こんばんは♪
コメントありがとうございます。最近、都会では若者の自動車離れが進んでいるそうですね。市電を廃止する時私も反対したのですが、今でも愚行だったと思っています。

投稿: りせ | 2025年8月11日 (月) 00:48

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