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2024年7月29日 (月)

本能寺と寺町通商店街1

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の市役所から寺町通のアーケード街に来ました。このアーケードの多くのお店は「寺町専門店会商店街振興組合」に加入していて、通りを「寺町専門店会」と呼ぶ場合が多いようです。

この振興組合は昭和47年に結成されアーケードを建設、昭和60年にはカラー舗装道路を造りました。入口の左は「京都中央信用金庫 御池支店」。

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「亀屋良永」 天保3年(1832年)創業の和菓子屋さんで、当代で6代目。代表銘菓「御池煎餅」は淡白な味が好評です。他にシンプルでありながら季節が感じられる楽しい京菓子があります。

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「上原永山堂」 昭和55年に開店した美術と茶道具のお店です。観賞陶器と茶道具を扱い、茶器は茶事で使える唐物や、武将に好まれた志野、織部、利休好みの楽など桃山時代のものが主流だそうです。

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「ローレルコート寺町御池」 築2007年、地上14階地下1階建、48戸の分譲マンションです。1LDK~3LDKのシングル、DINKS、ファミリー向けの住戸タイプがあり、1階は店舗1戸と共用エントランスです。

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向かいは「本能寺」です。「総門」は、1880年に恭明院の門を移築、国の登録有形文化財です。本能寺は室町時代の応永22年(1415)に日隆上人によって創建された「本応寺」が始まりで、法華宗本門流の大本山です。

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本能寺では「能」を「䏻」という俗字で表してきました。度重なる火災のため、「ヒ(火)」が「去」るという意味で変えているとされてきました。しかし、当時では「䏻」の方が広く用いられ、「能」が一般に用いられるのは明治以降だそうです。

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日隆上人は伯父の日存・日道両上人と共に妙本寺(現・妙顕寺)の綱紀の粛清に務めましたが成功せず同寺を去りました。油小路高辻と五条坊門の間に本応寺を建立、日蓮上人の教えの法華経の題目を人々に唱えさせるべく布教を始めました。 「方丈」

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本応寺は1418年に妙本寺の教徒によって破却されましたが、1429年に豪商の小袖屋宗句の援助により内野(現在の西陣あたり)に再建されました。(かってはここが寺務所でしたが向かいに移転しました。)

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1433年には信者の如意王丸を願主にして六角大宮に再建され、本能寺と改名しました。 「寺務所」、右に本能寺・薬研藤四郎のスタンプがあります。アニメ「刀剣乱舞 廻」ゆかりの地をめぐる「京めぐりラリー」の一環のようです。

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しかしながら、1536年の「天文法華の乱」で、延暦寺僧兵に加勢した守護六角氏らの近江軍6万(あるいは15万)に対して2万の勢力で対抗しましたが、伽藍は焼失してしまいました。「本堂」

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1545年に日承上人(第8代貫首)が四条西洞院に本能寺を再建し、延暦寺との和議も成立して、七堂伽藍、厩屋、多くの子院が建ち並ぶ壮大な堂宇が築かれました。しかし、1582年の本能寺の変で焼失してしまいました。

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1589年に第14代貫首・日衍(にちえん)上人によって再建されましたが、豊臣秀吉によって現在地の寺町御池に移転が命じられ、堂宇が完成したのは1592年だったそうです。(こちらはトイレではなくポンプ室だそうです。)

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1788年の「天明の大火」、1864年の「蛤御門の変」で焼失しました。向うの「火伏せのイチョウ」(市指定保存樹) は天明の大火で水を吹き出し、身を寄せていた人々を救い、蛤御門の変のときも水を吹き出して下にある塔頭だけが類焼を免れたといいます。

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明治時代になると、上知令によって境内地の大半を失いました。現本堂は、工学博士天沼俊一の設計により、1928年に室町時代の枠を集めて建造された木造大建築の創立当時の姿を再現したものです。「信長公廟」の拝殿 

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信長公廟の供養塔は1582年に信長の三男・信孝が建立、信長が所持していた太刀が納められているそうです。

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隣には、本能寺の変で戦死した信長の側近115名の供養塔もあります。その左の本堂裏には、本能寺ゆかりの人々の墓(供養塔)が並んでいます。

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手前から、8代将軍・徳川家重夫人供養塔、霊元天皇に女官として仕えた菅中納言局庸子の石塔、島津家当主・島津義久夫人(種子島時尭の娘)石塔。いずれも本能寺に帰依した女性たちです。

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「宗祖日蓮大菩薩御廟」 左右に開祖・日隆上人など歴代貫主の墓が並んでいます。

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境内の一番奥(東北隅)に宮内庁管轄の「日承王墓」があります。日承上人は後伏見天皇7世皇孫で、幼少で入寺して1543年第8世貫主となり、本能寺を現在地に再興しました。

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帰りに寺務所があるビルの「大宝殿」2階の展示室で行われている「名刀展」を観てきました。本能寺の変で焼失した信長の愛刀(薬研藤四郎、実休光忠)が復元されていました。会期は9月1日までです。

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1階には鎧兜や互、岩月人形から贈呈された天下布武の人形(下)が展示してあり、3階ではドキュメンタリー映画「日本刀の美」の上映会(9月1日まで)をしていました。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
京都の有名なことわざ、
「敵は本能寺にあり」の
本能寺はここなのですね。
身近なところにあるのですね。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年7月30日 (火) 00:24

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