« 木屋町通を歩く 真橋から六角へ | トップページ | 伏見稲荷大社 神宝神社から熊鷹社へ »

2024年6月19日 (水)

伏見稲荷大社 本殿から奥の院へ

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

Anj_9776a
※写真は全てクリックで拡大します。

一昨日の記事につづいて、伏見稲荷大社の奥の院に向かいます。本殿の横にある鳥居をくぐって、石段の上に末社が並んでいます。その左から、

「長者社」(重文附) 江戸時代初期に建立され、当社の旧社家である秦氏の祖神を祀り、例祭は8月8日。社殿は『明応遷宮記録』(1499年)に境内社として現れていて、天正の社頭図には「長者社 西向」と描かれているそうです。

Anj_9780a

「荷田(かだ)社」(重文附) 当社社家の荷田氏の祖神を祀り、元禄7年(1694)再建、例祭は12月13日。安元2年(1176)には荷田氏の祖である荷太夫の没後、稲荷山の命婦社の南に社を造り霊魂を祀る」という記録があるそうです。

Anj_9782a

「五社相殿」(重文附) 元禄7年再建、右から八幡宮社(応神天皇)、日吉社(大山咋命) 、若王子社(若王子大神) 、猛尾社(須佐之男命) 、蛭子社(事代主神) です。長禄3年(1459)  の記録に現れる若王子社を始め、境内に祀られていた各社を現在地に合祀しました。

Anj_9783a

「両宮社」(重文附) 元禄7年再建、天照大御神と豊受皇大神を祀り、例祭は10月17日です。天正17年(1589)の社頭図には「伊勢両宮南向再興」とあり、神明造の社殿が描かれているそうです。

Anj_9784a

石段を上った正面にある「供物社」 末社ではありませんが、稲荷山に鎮座する神々への供物をする場所として安政6年(1859)に建立。正面中央格子戸の下部に開口部があり、供物を差し入れる珍しい形です。

Anj_9785a

「玉山稲荷社」 玉山稲荷大神を祀ります。東山天皇が宮中で奉祀していた稲荷社を、崩御後天皇に仕えていた松尾月読神社社家の松室氏が預かり、その後左京区の高野の私邸に遷座、明治7年(1874)諸般の事情によって当社に遷座されたものです。

Anj_9788a

さらに鳥居をくぐって石段を上ります。正面に「神馬舎」があります。

Anj_9787a

神馬(昭和13年に奉納)と仔馬(昭和53年に奉納)がいます。

Anj_9793a

左の石段の上に重要文化財の二つの社殿があります。左は「白狐社」(重文)で寛永年間(1624-1644)の建立です。

Anj_9791a

命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)を祀り、例祭は1月4日です。命婦は高位の女官のことでしたが、後に稲荷大神に仕える狐を表しました。この社殿は元禄7年(1694)までは下(玉山稲荷社あたり)に祀られていたそうです。

Anj_9799a

「奥宮」(重文) 天正年間(1573-1592)に建立され、稲荷大神を祀り 例祭は1月4日。この社殿は摂社や末社ではなく、稲荷大神を祀ることから他の境内社とは別格の社です。『元禄三年指図』(1459)には存在が確認できるそうです。

Anj_9800a

『明応遷宮記録』には西側(左)に8間の回廊があったことが記されていますが、回廊は現存していません。元禄7年(1694)に修復の記録があるそうです。

Anj_9801a

奥宮の横から、千本鳥居や奥社奉拝所、お山への参道が始まります。貼り紙には7月3日まで鳥居の建設工事中と書いてあります。手前に新しい鳥居が建つようです。

Anj_9804_7a

鳥居の横に変わった姿の狐の像がありました。二匹が輪を支えています。

Anj_9810a

ここは上りの一方通行になっています。

Anj_9816a

しばらく歩くと鳥居が途切れて、左に脇道があります。

Anj_9824a

ここからが「千本鳥居」です。鳥居の参道が二つに分かれ、右側通行になっています。帰りはここで鳥居の参道から離れて左の脇道を下ります。

Anj_9827a

この部分の鳥居の数は約800本で、すべてサイズが5号(直径が15cm)だそうです(1号あたり1寸)。稲荷山の参道の鳥居は全体で約1万本ともいわれていますが、正確な数は不明です。

Anj_9831a

木の鳥居は約10年で朽ちてしまい、常に新しい鳥居が建てられています。赤い鳥居のトンネルは伏見稲荷大社の見どころの一つになっています。

Anj_9837a

この鳥居は社殿と同じく「稲荷塗」といわれ、朱色に彩色するのが慣習となっているそうです。祈りと感謝の念を表わすために鳥居を奉納する信仰は、江戸時代に始まりました。

Anj_9840a

千本鳥居を抜けたところは「命婦谷」とよばれ、奥の院、すなわち「奥社奉拝所」(重文)があります。その他に授与所や手水舎、休憩所の「大薮茶亭」などもあり、混雑しています。

Anj_9844a

奥の院は当社に伝わる明応の遷宮記(1499)に既に記載されているそうです。現在の社殿は寛政6年(1794)の罹災後に規模を幾分大きくして造営され、昭和50年(1975)に手前の拝所が設けられました。

Anj_9845a

こちらの絵馬は狐の顔になっています。多くの人が細い目を眉毛に見立てて目や口を書きいれています。いろいろな外国語で願い事が書いてあります。

Anj_9848a

社殿の右奥におなじみの「おもかる石」があり、修学旅行生がいました。社殿の背後は稲荷大神が降臨した稲荷山三ケ峰で、最後の写真はその方角を示す鳥居と神石です。

Anj_9852a

お帰りの際には、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Anj_9853a

|

« 木屋町通を歩く 真橋から六角へ | トップページ | 伏見稲荷大社 神宝神社から熊鷹社へ »

コメント

狐の顔の絵馬、そう言えば、外国語が増えていますね。
西洋系の外国語っぽい気がします。
スペイン、イタリア、フランス?中国語なんかもありそうで、
グローバルになりましたね。
逆に日本語は、あまりなくて寂しい気がします。

投稿: munixyu | 2024年6月19日 (水) 18:20

こんばんは。ゆーしょーです。
僕が記憶に残っている鳥居は
この鳥居です。
千本鳥居というのですね。
他のところは忘れましたが
千本鳥居は今でも記憶に残っています。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年6月20日 (木) 00:01

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 木屋町通を歩く 真橋から六角へ | トップページ | 伏見稲荷大社 神宝神社から熊鷹社へ »