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2024年6月22日 (土)

木屋町通を歩く 御池から二条へ

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日に続いて木屋町通を北に歩きます。木屋町御池の交差点の北東に紫陽花が咲いていました。ここは、京都市が「四季の花ストリート事業」の一環として、設置した「御池通スポンサー花壇」です。

協賛する企業・団体、サポーターによって、植替え作業や、水やり等の日常管理が行われます。令和5年10月末時点で、スポンサー・35企業・団体、サポーター・136名(企業・団体14組、個人17名)が協賛しています。

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御池大橋西詰の「療病院址」の碑 療病院は京都府立医科大付属病院の前身で、明治5年(1872)ドイツ人医師ヨンケルを招いて開設。東京遷都で沈滞した中、蘭方医明石博高が奔走して、寺院を中心に花街の芸妓も協力して資金を集めた民間の施設です。

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京都市では随時スポンサー花壇の協賛申込を受け付けています。御池通の事業紹介看板(下の写真の右)に、協賛企業・団体の名称等を記載したプレートを設置しています。(希望者のみ)

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また京都市のHPの「京都市情報館」のページにスポンサーの紹介があります。(木屋町通に戻ります。このあたりに「二之船入跡」があります。)

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「とんかつ甘辛カレー Coltrane(コルトレーン)」 カレーは大阪カレー文化の欧風甘辛カレーをベースにとんかつに合うようアレンジ。こだわりのとんかつは肉厚の三元豚を使用し、ヘレとロースの2種類をそろえています。

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店名Coltraneは、テナーサックス奏者で数々の名盤を残したJazzの巨星「John Coltrane」にあやかり、明日も数ヶ月後、数年経って食べても変わらぬ味、記憶が蘇るようなカレー店にしたいという想いを込めているそうです。

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ジェフの英語英会話スクール」 ジェフ・バーグランド氏は米国サウスダコタ州出身、1970年カールトン大学卒業、同年同志社高等学校に就職、日本で著作やタレント活動を行い、現在は京都外国語大学教授です。

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右は「佐久間象山の遭難碑」 象山は松代藩士で、洋学・砲術を学び、開国論を唱えて勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰らを教育。しかし、池田屋事件の直後の1864年いきりたっていた攘夷派に襲われ亡くなりました。

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左は「大村益次郎の遭難碑」 益次郎は近代兵制の創立に努力し、農民や町人の兵式訓練の必要性を説きました。そのため、明治2年(1869)に不平派士族に襲われ死亡しました(後でも登場します)。

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「MUGHAL」創業1987年のインド料理のレストラン・バーです。京都ならではの、やさしく力強い独自のインド料理を追求してきたそうです。インド料理は健康の源で、スパイスは伝統医学ア-ユルヴェーダで用いられる生薬が主体となっているそうです。

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ところで、上の写真の工事フェンスで囲まれたところに「桂小五郎・幾松寓居跡」がありました。桂小五郎、後の木戸孝允(1833-77)は長州藩士時代、新撰組に追われ恋仲の花街三本木の芸妓・幾松とここに潜伏しました。(下は2017年の写真。)

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幾松は維新後木戸の正妻となり東京に移り、明治政府で活躍する病弱の夫を支えました。1877年木戸が亡くなると、剃髪して京都に戻り1886年に亡くなりました。屋敷は料理旅館・幾松となり、幾松ゆかりの部屋も残っていたそうです。

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ところが、旅館の幾松はコロナ禍で営業を続けていけなくなり、2020年10月にやむなく閉店しました。広報担当者は、建物の今後は未定だが、保存していただける方にお譲りしたいと話していたそうです。下は2022年6月の写真。

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2021年1月には閉店した幾松の元料理長が叡電茶山駅近くに「厨幾松」をオープンしました。2023年秋に幾松のあった場所を訪れた人によると、更地になっていたけれど、幾松ゆかりの部屋のある奥の建物だけは残っていたそうです。

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ちなみに、建物は新選組からの襲撃から逃れるための鴨川に続く抜け穴や隠し階段などが残り、2004年には歴史的景観に寄与しているとして、国の登録有形文化財に指定されています。幾松ゆかりの建物だけは今後も保存されると期待しています。

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「十祇家 木屋町御池店」 中華料理を中心として京地野菜を使った創作料理が食べられる居酒屋です。店名は、野菜ソムリエの料理人の実家、愛媛県宇和島で友達を意味する「トギ」に、四万十川の「十」、京都祗園の「祇」をあてはめたそうです。

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「大村益次郎寓居址」 周防国出身の大村は、緒方洪庵らに医・蘭学を学び、江戸に出て幕府の講武所教授等を歴任しました。後に長州藩に仕えて軍制改革を指導し、第2次長州征伐や戊辰戦争において卓越した指揮を行いました。

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「温石 左近太郎 本店」創業30年の創作和食のお店です。旬魚や国産牛、京野菜など吟味した食材を使い、素材の旨味と季節の味覚を気軽に楽しむことができます。建物は築100年の伝統的な元料理旅館を改装した数寄屋造りの京町家です。

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「稲荷大明神 角一龍王 白姫辨財天 御鎮座旧跡」 維新の頃から白姫辨財天は招福火除の弁財天としてここに鎮座し、後に稲荷大明神を合祀し、先の大戦前には角一龍王を御所から勧請しました。1989年に社は移転し、2003年にこの碑が建てられました。

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「押小路橋」 この先に「創作中華 一之船入」、京料理・会席料理 「花八代(はなやしろ)」、「よーじやグループ 國枝商店」などがあります。

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「新三浦」 大正初期の創業の水炊き鳥料理のお店で、井戸水と鶏ガラを10時間以上煮出してとった白濁したスープ、使うのは国産の朝びき若鶏のみ、それにキャベツ、丁子麩、白餅、葛きり、椎茸などが入ります。

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鳥水だき以外にも焼きもの、揚げもの、煮物などの鳥料理もおススメだそうです。夏には京都名物の納涼床でお食事をすることができます。建物は女優・森光子の生家で、当時のままの部屋も残っているそうです。

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「割烹やました」 京料理の割烹でおススメはアラカルトです。1階の14席のカウンターに陣取って、自分の好みやその日のおすすめの食材を職人らと相談しながら食べるのがこの店の定石だそうです。

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「史蹟 高瀬川一之舩入」 現存する唯一の舟入で、1934年、国の名勝天然記念物に指定されました。高瀬川はここまでで、かっての角倉了以の別邸の庭を通って、鴨川の水が引き入れられています。

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その別邸は、明治の総理大臣・山縣有朋(1838-1922)の「第二無鄰菴」となり、後に何人かの所有を経て現在は料亭「がんこ高瀬川二条苑」となっています(右)。左は「島津創業記念資料館」、突き当りは二条通です。

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「島田正辰暗殺地」 ペリーの来航から安政の大獄を経て、政局の中心は天皇のいる京都へと移っていきました。倒幕の志士たちも京都に集まり、公武合体派・開国派・安政の大獄の協力者たちに対して、天誅と称して暗殺を始めました。

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正辰は安政の大獄で尊王派の志士たちの検挙を指揮し、井伊直弼死後は和宮の降嫁にも関与し、公武合体派の影の支配者ともいわれていました。土佐藩・岡田以蔵と薩摩藩・田中新兵衛に暗殺され、首をこの善導寺の前に晒されました。最初の天誅事件です。

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二条通を左(西)に曲がったところにある「貝葉書院」は手刷りの大般若経を販売しています。今から305年前、鉄眼禅師が17年かかって一切大蔵経6916巻、6万枚の版木を完成しました(黄檗鉄眼版)。もうすぐバス停のある河原町通です。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
京都の街なかなのにアジサイが沢山咲いていますね。
そしてそのどれもがメチャきれいです。
6月と言えばやはりアジサイですね。
アジサイに🐌カタツムリは定番ですが、
このところカタツムリを見かけません。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年6月23日 (日) 00:02

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