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2024年6月17日 (月)

伏見稲荷大社 表参道から本殿へ

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事に続いて、伏見稲荷大社の大鳥居をくぐって本殿に向かいます。「伏見稲荷大社」は全国各地に祀られている稲荷神社の総本宮で、その創建は京都に都が造営される以前の奈良時代にさかのぼります。

表参道の左に広場があり三つの末社が並んでいます。

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「霊魂社」 慶応3年(1867)に建立され、瑞穂講社や講務本庁の特別崇敬者など当社に関わりの深い物故者の霊を祀ります。瑞穂講社は伏見稲荷の信者組織で、講務本庁は当社の興隆を目的とした事業団体です。例祭は秋分の日。

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右は「藤尾社」、江戸初期に建立され日本書紀を編纂した舎人親王を祀り、例祭は5月5日です。左は「熊野社」(重文附指定) 元禄7年(1694)再建、伊邪那美大神を祀り、7月14日が例祭です。

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附(つけたり)指定とは、重要文化財の価値を示す資料として貴重であることを示します。5世紀前後、この地に渡来系豪族の秦氏が進出し、それ以来何らかの祭祀が行なわれていたとみられています。(二の鳥居)

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奈良時代初めの和銅4年(711)、稲荷大神(いなりおおかみ)が、稲荷山の三嶺の平らな所に示現したとの伝承があり、社伝ではこのときを創祀としています。「楼門」、楼門の左の「北廻廊」、右の「南廻廊」はともに重要文化財です。

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右は前川佐美雄の歌碑「あかあかと ただあかあかと 照りゐれば 伏見稲荷の神と思ひぬ」。前川佐美雄(1903-1990)は、1930年歌集『植物祭』を刊行、モダニズム短歌の旗手と評価されました。左は「御鎮座千二百五十年奉祝大祭記念の碑」。

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「楼門」は安土桃山時代の天正17年(1589)、母の病気快復を喜んだ豊臣秀吉が社領106石を寄進して建造しました。楼門の左の狛狐は稲荷大神の宝蔵、米倉を開く秘鍵をくわえています。

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右の狛狐は宝珠をくわえています。

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楼門には茅の輪が置いてありました。

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楼門を入ると「外(げ)拝殿」(重文)があります。こちらも楼門と同じく安土桃山時代の1589年に造営され、江戸時代末の1839年に改築されました。外拝殿の右に行きます。

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右は「荷田東満(かだのあずままろ)旧宅」 荷田氏は代々伏見稲荷の社家で、荷田春満(東満)は江戸時代の国学の祖とされ、1723年東山に倭学校を開設しました。弟子には国学者、歌人の賀茂真淵、孫弟子に本居宣長や平田篤胤がいます。

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左隣り(東)にある「東丸神社」 荷田春満を祭神として1883年に創建され、学問の神として信仰されてきました。東丸は東満の後年の名です。

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受験生がお参りに来るようで、すごい数の千羽鶴でした。

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「なんじゃもんじゃ」の木(中央右) 対馬や木曽川流域にしか見られない希少種のヒトツバタゴで、珍しいのでこの名で呼ばれているそうです。一方で、かっては神事に用いられ、植物名をいうのがはばかられたから、という説もあります。

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外拝殿の南にある「お茶屋」は、寛永18年(1641)に後水尾院より、院の非蔵人として仕えていた当社目代羽倉延次に下賜されたもので、書院式茶室の遺構とされています。

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「内拝殿」 江戸時代の1694年に造営され、1961年に本殿から唐破風朱塗向拝が切り離され、現在のように正面に付け加えられました。奥に本殿があります(近くでは撮影できません)。

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主祭神は宇莫迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ、佐田彦大神(さだひこのおおかみ)、大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)の3座に、田中大神(たなかのおおかみ)、四大神(しのおおかみ)を加えた5座で、これらを稲荷大神と総称しています。

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古くは農耕や殖産興業、食物・蚕桑の信仰がありましたが、中世から近世にかけて、商売繁盛や所願成就などの信仰を集めてきました。上の狛狐は稲穂をくわえ、こちらの狛狐は口を閉じています。

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内拝殿の南(右)にある「神楽殿」 明治15年(1882)に能楽殿として建造、11月の火焚祭の際に奉納狂言が行われるほか、毎日のように神楽が奉納されています。

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山口誓子の句碑「早苗挿す 舞の仕草の 左手右手」があります。山口誓子(せいし、1901-1994)は京都府出身の俳人で、従来の俳句にはなかった都会的な素材、知的・即物的な句風などにより、秋桜子とともに新興俳句運動をけん引しました。

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「本殿」(重文)室町時代の1468年に応仁の乱で焼失、大乱が鎮まった1492年に建物を修造し、1499年に遷宮して再興。 「稲荷造」ともいわれる五間社流造(本殿の棟から前拝への屋根が極めて長い形式)で、軒下に桃山時代の豪華な彫刻が施されています。

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「授与所」 お守りや絵馬の授与や祈祷などの受付をしています(ここで御朱印を頂きました)。境内は修学旅行生と外国人観光客であふれていました。

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「権殿」(重文) 寛永12年(1635)に建立された五間社流造で、右から八幡宮社(応神天皇、日吉社(大山作神)、若王子社(若王子大神)、猛尾社(須佐之男命)、蛭子社(事代主神)。内拝殿・本殿の北(左)にあります。

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正面は「社務所」、左は「護務本庁」。伏見稲荷大社の講員は全国各地の稲荷信仰者により組織された団体で、その本部が護務本庁です。最後の写真の鳥居をくぐって、千本鳥居や奥の院の方に向かいました。

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コメント

「東丸神社」
凄い数の千羽鶴ですね。
このうち何割が志望校に合格したんだろう。
何となく気になってしまいます。

投稿: munixyu | 2024年6月17日 (月) 13:11

こんばんは。ゆーしょーです。
大鳥居を始め建物の朱色がメチャきれいですね。
伏見稲荷大社だったと思うのですが、長い
鳥居のトンネルを歩いた記憶があります。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年6月18日 (火) 00:03

★munixyuさん こんばんは♪
神様のご利益があるのかは分かりませんが、これだけの千羽鶴を造る集中力があるというこどですね。

投稿: りせ | 2024年6月18日 (火) 01:44

★ゆーしょーさん こんばんは♪
次回以降の記事で鳥居のトンネルを歩きます。ただし、明日の記事をどこにするかは今から考えます。

投稿: りせ | 2024年6月18日 (火) 01:46

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