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2024年6月11日 (火)

曼殊院から禅華院へ

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日の記事の曼殊院を出て、修学院の方に向かって歩きました。曼殊院の駐車場を出ると左の畑(おそらく武田薬品のもの)に「京のいきもの・文化協働再生プロジェクト 第27号認定 オケラ」という看板がありました。

このプロジェクトは、京都市が、京都らしさを支えてきた生きものの保全、再生及び持続可能な利用の取組を実施する団体又は個人の方を認定するものです。昨年、京都薬用植物園で「オケラ」を栽培している武田薬品が認定されたそうです。

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五條天神宮では、節分祭の日に厄除けを目的に「神朮(おけら)」が参拝者に授与されています。薬用植物で絶滅危惧種のオケラの根茎を加工したものが神朮で、2021年から武田薬品がオケラを奉納していました。

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「関西セミナーハウス」 は正式名称を「関西セミナーハウス・修学院きらら山荘」といい、近代的な建築の本館、100年以上の歴史がある日本家屋の別館、能舞台「豊響殿」や茶室「清心庵」からなっています。

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日本クリスチャン・アカデミーが経営する、研修、能やお茶会、パーティーなどができる施設で、1名から宿泊できます。宿泊せずにお茶とお菓子だけを頂くこともできます(要予約)。この日は貸し切りでした。

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6月29日(土)10時~12時に「カブトムシまつり」が行われ、館長の講座やカブトムシの飼育展示、各自が持ち寄ったカブトムシの大きさ選手権が行われるそうです(参加無料)。

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セミナーハウスから坂道を下ると延暦寺の東塔に登る「きらら坂」の登山口です。「熊出没注意」の看板があります。熊よけのベルをならしながら下りてくる人がいてちょっと緊張しました。

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川の向こうに「林丘寺」の山門が見えます。もとは後水尾上皇の第8皇女・朱宮光子内親王の音羽御所でした。1680年に上皇が没すると、朱宮は出家して御所を林丘寺と改め、門跡寺院になりました。修学院離宮の中御茶屋に隣接しています。

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向こうの修学院離宮は、「下離宮」「中離宮」「上離宮」の3つの離宮(御茶屋)からなり、これらを御馬車道といわれる松並木が結んでおり、御馬車道の両側には田畑が広がっています。

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音羽川は比叡山から流れて高野川に注ぐ短い川ですが、昔は暴れ川として知られていました。1972年の台風20号による暴風雨では、土石流が修学院地区を襲い大災害となりました。(向うにこの辺りで唯一の橋が見えます。)

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その後の京都府による護岸工事や砂防ダムなどにより、現在ではほとんど洪水の心配がなくなったそうです。それでも、2013年の台風18号による豪雨では嵐山とともに、このあたりが洪水になったそうです。

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「後安堂(ごあんどう)公園」、右にある「後安堂橋」を渡ります。後安堂は珍しい地名ですが、その由緒は分かりません。

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音羽川を渡ると、修学院離宮が右手になります。修学院離宮は農地や山などを含めて54万平方メートルが宮内庁が管理する国有地となっています。この道を一歩でも入るとすぐさまマイクで注意され、ときには皇宮警察の方が自転車に乗ってきます。

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道の左には「禅華院」の石垣が続いています。この石垣は穴太衆(あのうしゅう)積みといわれています。穴太村出身の石工は、自然石を加工せずに積み上げ、小石を詰め石として用い、全国の城の石垣造りを引き受けました。

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禅華院」は山号を解脱山という、臨済宗大徳寺派の寺院です。

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面白い形の二層の山門で、二層目は鐘楼になっているので鐘楼門というそうです。江戸時代後期の1826年、修学院離宮(中御茶屋)の建物を修復して移築したものです。

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創建年代は不明ですが、かつては天台宗の比叡山三千坊の一つだったといわれています。このあたりは比叡山の西にあるので、大津の坂本に対して西坂本といわれ、延暦寺の末寺が多数建てられていたそうです。庫裏の玄関

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先ほど出てきた穴太村は延暦寺の門前町の滋賀県坂本にあり、穴太衆は延暦寺の土木・営繕を請け負っていました。 禅華院は江戸時代前期の寛永年間(1624-1643)に大徳寺第170世・清厳宗謂(せいがんそうい)により中興され臨済宗となりました。

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山門を入った右手に石仏が並んでいます。左は鎌倉時代後期作の阿弥陀如来坐像、右は鎌倉時代作の地蔵菩薩坐像で、等身大の大きな石仏です。修学院離宮の田園の中にあったものが、当寺に遷されました。

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左の「弥勒菩薩坐像」と右の「阿弥陀如来」は「雲母(きらら)坂地蔵」といわれ、平安時代後期の「大治元年五月八日」(1126)の銘があります。かつて、音羽谷にあった雲母寺に安置されていたものが、1977年にここに遷されました。、

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右の建物は本堂で、塀の向こうに前庭があります。中門は閉まっていますが、外から本堂を見ることができます。

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「本堂」は、1928年の昭和御大典御の際の建物の一部を移築して、翌年に再建されものといわれています。本尊として釈迦如来を祀っています。

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前庭は江戸時代初期の小堀遠州作ともいわれ、建物の手前が苔地、遠方が石庭となっています。

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山門を出て少し歩くと修学院離宮の入口がありますが、事前予約が必要で今回は訪れていません。このあと、もう一つの延暦寺ゆかりの赤山禅院に向かいました。

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コメント

こんなに深い森で、
「熊出没注意」の看板は怖いですよね。
最近、日本中で熊が出ていることですし。
人間と熊、上手く共存したいものです。

投稿: munixyu | 2024年6月11日 (火) 19:01

こんばんは。ゆーしょーです。
オケラというので昆虫のオケラかと思いました。
田舎で住んでいた時、大きめの石をめくると
オケラが逃げて行ったことなどありました。
記事のオケラは植物のキク科のオケラなのですね。
若芽を山菜として食用にもなるそうです。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年6月12日 (水) 00:33

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