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2024年5月20日 (月)

知恩院勢至堂から吉水へ

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日、円山公園から歩いて知恩院の大鐘楼まできた続きです。斜面の上にある一心院(上の写真)の境内を通り過ぎると、法然上人御廟所の山門があります。

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この地が、法然上人が終焉を迎えるまで念仏の教えを広めた大谷の禅房の故地で、知恩院発祥の地でもあります。帰京した翌年病床についた法然上人は、弟子の源智上人の願いを受け、念仏の肝要を『一枚起請文』にしたためます。

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山門の右手の石碑に起請文が書かれています。そして、年が明けた建暦2年(1212)正月25日、80歳で亡くなりました。「御廟堂の拝殿」(府指定文化財) 江戸時代の1710年建立、毎月25日に別時念仏会が開かれます。

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奥にある「御廟堂」は、正面に唐門がある宝形造で、周囲に玉垣が巡らされ、法然上人の遺骨を安置しています。御廟堂は江戸時代の1613年に常陸国土浦城主・松平伊豆守の寄進により改築されました。

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御廟堂の石段上から、左は山門、正面は鐘楼で、右に行くと勢至堂があります。

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「勢至堂」 現在の建物は享禄3年(1530)に再建されたもので、現存する知恩院最古の建造物です。堂内正面に後奈良天皇の筆による「知恩教院」の額が掲げられ、知恩院の名の起源となっています。

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かって法然上人の尊像(御影)を祀っていましたが、後で建立された御影堂に移されたため、上人の本地身とされる勢至菩薩像(重文)を祀っています。上人終焉の本地の堂ということで、本地堂ともいわれています。

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勢至堂の左手の建物に巨大な仏像の頭部が安置されています。他にあった大仏を知恩院に遷すことになって、分解して頭部を運んだときに火事に遭い、元のお堂と大仏の胴体が焼失してしまったそうです。

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勢至堂の右横の「紫雲水」 法然上人入滅のとき、この小さな池に聖衆が来迎し紫雲が水面に現れて、芳香が漂ったといういい伝えが残っています。

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「影向石 (ようごうせき)」 寺務所の前の崖下にあり、法然が臨終の際、賀茂大明神が降臨したといわれます。チャートの岩盤だそうです。この左奥に墓地があります。

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「千姫の墓」 徳川秀忠の長女で、幼くして豊臣秀吉の息子秀頼へ嫁ぎますが、大坂の陣で徳川家に保護されました。その後、姫路城主・本田忠政の嫡男忠刻と再嫁、忠刻の病死により出家して江戸の竹橋御殿で余生を過ごしました、享年70歳。

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「濡髪大明神」 御影堂ができたために住家を追われたキツネが、第32世雄譽霊巌上人にお願いし用意してもらったのが、この社といわれます。「濡髪」は童子に化けていたときに髪が濡れていたことに由来します。縁結びのご利益があるとか。

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もう一度山門まで戻りました。向かいにある「一心院」の山門には「浄土宗捨世派本山」という看板がかかっています。

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天文17年(1548)縁誉称念が、青蓮院から寺地を下賜されて創建したもので、元禄年間(1688-1704)には100ヶ寺を超える末寺がありました。山門の横にある「不動堂」

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しかし、派内での争いにより知恩院に管理されることになりました。 昭和25年(1950)浄土宗から一心院を本山とする浄土宗捨世派が独立しました。 正面は「本堂」、右は「庫裏」。

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墓地には、知恩院門跡となった尊超入道親王や得浄明院を開いた誓圓尼(せいえんに)の墓があります。知恩院の大鐘楼の南の門を出たあたりはかって「吉水(よしみず)」とよばれ、東山からの湧水がある場所でもあります。

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「安養寺」奈良から平安時代にかけての延暦年間(728-806)桓武天皇の勅命によって最澄が創建。平安時代には荒廃しましたが、慈円和尚の援助を受けた法然が承安5年(1175)にこの地に住み、吉水草庵を建てて浄土宗の教えを広め始めました。

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法然上人の門下には、関白・九条兼実、武将・熊谷直実、浄土宗の各派を開いた高僧たちから、庶民、遊女、白拍子なども集まりました。後の建仁元年(1201)に浄土真宗の開祖となる親鸞上人も弟子になりました。

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法然上人が流罪となり安養寺は再び荒廃、慈円和尚が時宗の寺として復興しました。現在でも法然、親鸞両上人ゆかりの地、念仏の根本道場として浄土宗、浄土真宗をとわず参詣が絶えないそうです。

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「吉水弁財天堂」 安養寺の境外仏堂で「吉水さん」とも呼ばれています。この地が「吉水」とよばれているのは、ここに霊泉が湧いていたからです。

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「法然上人 閼伽の水」(吉水の井) 閼伽(あか)とは仏前にお供えする水のことです。左の斜面には小さな滝もあり、現在でも東山からの湧水があります。

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お堂の裏に「慈鎮の仏塔」(重文)があります。慈円僧正がこの地に居住した際、請雨の奇瑞(雨ごいの奇跡)があったそうです。その記念として建立された供養塔と伝えられています。

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吉水弁財天堂の近くに山道があり、東山三十六峰の粟田山や将軍塚に行くことができます。

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少し登りましたが、時間がないので途中から引き返しました。この後、再び円山公園の方に下りました。

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コメント

法然上人。今だったらどんな話をするのでしょうね。
今の世の中をどう見ているのか、聞いてみたいものです。

投稿: munixyu | 2024年5月20日 (月) 17:33

こんばんは。ゆーしょーです。
知恩院へは父母の納骨に2回行きましたが、
納骨を済ますとさっさと出て、円山公園で
昼食を済ませ帰りました。
知恩院の周辺の散策をしたらよかったのに。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年5月21日 (火) 00:10

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