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2024年5月30日 (木)

三井寺 総門から観音堂へ

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の石山寺から京阪電車に乗って三井寺にきました。駅を出て琵琶湖第一疏水沿いに山の方に歩きます。「琵琶湖疏水船」は今年の春から、びわ湖・大津港まで航路を延伸して運航しています。

期間は6月9日(日)まで、三井寺乗下船場から蹴上までの7.8km、約1時間の船旅です。京都から三井寺に行くのには便利かも知れません。

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三井寺の「総門」 元来は三井寺南院の総門として建立されました。中世以降、三井寺は北院、中院、南院の三院に分かれ、多くの僧兵を擁したことから外周には濠を構え、石垣で枡形をつくり厳重な山門が設けられていました。

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「三井寺」は琵琶湖南西の長等山中腹にあり、正式には長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)という天台寺門宗の総本山です。三井寺の創建は古く、飛鳥時代にさかのぼります。

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667年に天智天皇により都が飛鳥から近江に移されました。(下は境内図の南西部分で、右下が琵琶湖第一疏水、総門は右にあります。)

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「水観寺」圓城寺(三井寺)の塔頭寺院で西国薬師49霊場第48番札所です。三井寺の五別所のひとつで現地に移築したもの。本尊に薬師如来をまつります。

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本尊の両側に日光・月光菩薩、12神将、弁財天、大黒天、毘沙門天が祀られています。それらの御朱印も拝受できます。

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天智天皇が亡くなると、大友皇子と大海人皇子が 皇位継承をめぐって争い、壬申の乱が勃発します。長い石段を上ります。

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敗れた大友皇子の皇子・大友与多王は、父の霊を弔うために寺を創建し、 天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺の始まりとされます。

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勝利をおさめた大海人皇子は再び飛鳥に遷都し、近江大津京はわずか5年で廃都となりました。懸造りのお堂が見えてきました。

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貞観年間(859~877)になって、智証大師円珍が 園城寺を天台別院として中興してからは、 東大寺・興福寺・延暦寺と共に「本朝四箇大寺」の一つに数えられました。「鐘楼」

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円珍の死後、円珍門流と慈覚大師円仁門流の対立が激化し、 正暦4年(993)円珍門下は比叡山を下り三井寺に入ります。 この時から延暦寺を山門、三井寺を寺門と称し天台宗は二分されました。「百体堂」

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堂内正面には、三井寺の如意輪観音像を中心に西国三十三所の観音像をまつり、左右に坂東三十三所、秩父三十四所の合わせて百体の観音像を安置します。

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「観月舞台」 長等山の斜面にそって足代柱を立てて櫓に組み上げた懸造(舞台造)で、檜皮葺屋根が柔らかい曲線を描く優美な建築です。眼下に琵琶湖の景観が広がり、琵琶湖疏水と大津の町並みが展望できます。

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その後、二分された天台宗・両派の対立や源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど幾多の苦難を乗り越えて現在に至っています。

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「観音堂」 西国観音霊場の第14番札所。本尊は如意輪観音像(重文)で、33年に一度に開帳される秘仏です。後三条天皇(1034-73年)の病気平癒を祈願して延久4年(1072)に創建されたと伝えられています。

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重層入母屋造、本瓦葺の大建築で、内部は正堂(本尊をまつる)と礼堂を合の間でつなぐ密教系観音堂の古い形式をとどめながら内陣には元禄期の華やかな意匠をみせるなど近世的な観音霊場にふさわしい建築となっています。

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その後、文明年間(1469~86年)に現在地に移されましたが、貞享3年(1686)に焼失し、元禄2年(1689)に再建されました。観音堂がある高台の端から琵琶湖が見えます。上の写真のお堂は「世継地蔵堂」、こちら側から上ってくることもできます。

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「手水舎」六注造で吹き放しの水舎。中央に六弁の水盤が据えられ、周囲を六角形の手水鉢と溝が取り囲みます。内部に明治14年(1881)の建立を記す扁額がかけられています。

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「絵馬堂」 観音堂の境内の東端の切り立った崖に接して建っています。観音霊場として絵馬の奉納が多いことに対応したもので、6本の柱が露出した吹放しの簡素な建物です。絵馬舎の向こうカフェ「KanOn]があります。

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もう一段高いところに展望台があります。

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展望台からは大津市内や琵琶湖対岸の近江富士とよばれる三上山が見えます。

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コメント

こんにちは。
近江八景の一つ、三井晩鐘の三井寺ですね。
石山寺へ行った時、三井寺へも行ったのですが
ほとんど記憶がないのです。
石山寺の方は、昨日も書いた通り、色んな記憶が
残っているのですが、三井寺は何故でしょう?
しかもよく考えると2回行っています。

投稿: ゆーしょー | 2024年5月30日 (木) 13:24

京阪電車というだけで、懐かしく思います。
子供の頃に、たぶん一生分乗った気がします。
駅順もほとんど覚えていました。たぶん100回とか200回かと。
ひらパーに、親戚の家に。梅田に淀屋橋、京橋、千林。
何でこんなに乗ったのかは覚えていませんが、想い出いっぱいの電車です。

投稿: munixyu | 2024年5月30日 (木) 18:20

ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年5月31日 (金) 01:32

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