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2024年5月11日 (土)

本願寺北山別院と親鸞の苦悩

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日は一乗寺方面に行ってきました。最初に訪れたのは「本願寺北山別院」、山号を聖水山という浄土宗西本願寺派の本山直属の寺院です。この寺は、かつて「養源庵」という天台宗・比叡山延暦寺の末寺でした。「唐門」

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親鸞(1173-1263)は、藤原北家の流れをくむ父・日野有範と源氏の出身の母の間に長男として、京都の日野(伏見区)に生まれました。

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しかしながら幼くして両親を失い、8歳のとき叔父・日野範綱に引き取られ、9歳で青蓮院・慈円のもとで出家得度して、範宴(はんねん)と称しました。

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その後、比叡山に登り、横川首楞厳院の堂僧として修行を続けました。比叡山に上る前の一年余り、この北山別院の前身の養源庵で修業をしたという説があります。

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堂僧とは、常行堂で「不断念仏」をつとめる僧侶です。不断念仏というのは、ひたすら阿弥陀如来を称え、阿弥陀如来を念じ続けることで、阿弥陀如来の姿を見る「見仏」の境地に達することを目的とする修行です。

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親鸞聖人は修行に打ち込みましたが、修行に励めば励むほど見えてくるのは、末法の世では自力で人々を救うことができないという悩みでした。(上の写真から3枚は比叡山西塔のにない堂。)

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親鸞が比叡山で最後に修行したのは、西塔にある「常行堂」(下の写真)です。手前に「親鸞聖人旧跡」という石碑があります。

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建仁元(1201)29歳の親鸞聖人は、民衆とともに救われる道を探して、聖徳太子の創建と伝えられる洛中の六角堂(頂法寺)に百日間参籠し します。

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親鸞は六角堂への参籠の際に、幼いころ修行した当寺に立ち寄ったといわれます。比叡山から、雲母(きらら)坂、一乗寺、北白川、出町、河原町通を通って六角堂に向かいました。

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往きはここで身を清め、帰りは休憩して草鞋の紐を締めなおして急な雲母坂に向かったといわれています。

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その井戸水が「御聖水」として今なお湧いています。

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隣に「上宮太子影向(ようこう)石」があります。上宮太子は聖徳太子の別名で、影向石は神が降臨する(腰掛ける)石だそうです。聖徳太子は日本仏教の始祖といわれ、親鸞は「和国の教主」として崇めていたといわれます。

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参籠を続けて95日目の夜明け、親鸞の夢の中に、聖徳太子が観音菩薩の姿になって現れ、お告げを授けたといわれます。(御聖水から湧いた水が池となっています。)

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「六角堂」、紫雲山頂法寺という天台宗系単立寺院で、本堂が六角形をしていることから一般にこのように呼ばれます。下2枚は六角堂です。

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山門を入った右手の石段上に「親鸞堂」があります。右は「夢窓之像」、こうべを垂れて夢のお告げを聞く親鸞を表し、左の「草鞋の御影」は六角堂参籠の姿を親鸞が自刻したといいます。

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それは、厳しい修行をおこなわなくても、煩悩をもった人間がありのままの姿で救われる、阿弥陀仏の絶対の救済があることを示した夢だったといわれています。

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この夢告を受けた親鸞は、当時吉水に庵を結び「専修念仏」の教えを説いていた法然のもとを訪ねます。法然上人の専修念仏の教えとは、極楽浄土は自らの力で行うものではなく、阿弥陀仏の力によってかなえられるものであるという「他力」の教えでした。

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阿弥陀仏がすべての人間を往生させてくださると説く専修念仏の教えは、厳しい戒律を守り修行の末に悟りを開くことを理想とする当時の仏教界においては異端視され、批判の対象にもなっていました。

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しかし、その教えに聖徳太子の夢告と通じるものを感じた親鸞は、100日の間、法然上人のもとへ通い続けました。そしてこの教えを確信した親鸞は、「本願に帰す」と、専修念仏を説く法然上人の門下に入ることを決意します。

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親鸞35歳のとき、1207年の「承元の法難」による専修念仏停止(ちょうじ)にともなって、越後に流罪になりました。その後、1211年に赦免され、1214年に42歳で妻子らとともに関東で布教を行いました。下2枚は「岡崎別院」。

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関東での生活を経て帰洛、最初に住んだのが岡崎の草庵でした。その地に、江戸時代後期に東本願寺が創建した岡崎御坊が明治になって岡崎別院と改称されました。門前に「親鸞聖人御草庵遺跡」という石柱が立っています。

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親鸞は1224年頃浄土真宗の教義が体系化された『教行信証』を表しその宗祖となりました。しかし、その後の80歳代になっても『教行信証』をより良いものとするために添削を続けてさらなる完成をめざしました。

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唐門を入ったところに鐘楼があります。 鐘楼の鐘は明治34年(1901)に寄進され、もとは明の時代に中国で鋳造されたものと伝えられており、裾の波打った独特の形が目を引きます。

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本願寺北山別院では、今年(2024年)の5月19日(日)『親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要』が行われます。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
昨日は忙しく先ほど帰ってきました。
応援だけで失礼いたします。ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年5月12日 (日) 01:54

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