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2024年5月 1日 (水)

紫式部と宇治・平等院

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日、平等院を訪れたあと、中の島を通って宇治川の対岸に渡りました。いつも通る道なので写真は建物や史跡の名前だけにします。今日は『源氏物語』ではなく、紫式部自身と宇治や平等院との関係を紹介します。

源氏物語の最後の「宇治十帖」は、紫式部が見聞きした宇治や平等院、そこでの体験が大きな影響を与えています。上は「橘橋」。

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また、紫式部と平等院とも密接な関係がありました。紫式部の父・藤原為時は、平等院を創建した藤原頼通の叔父にあたり、幼いころから平等院に親しみがあったと考えられています。

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平等院の地は、9世紀末頃に光源氏のモデルといわれる左大臣・源融の別荘「宇治殿」が宇多天皇に渡り、天皇の孫の源重信を経て、摂政・藤原道長の別荘になりました。道長の没後の1052年にその子頼道が別荘を平等院に改めました。

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光源氏が造営した六条院は平等院がモデルとされ、池を中心に整備された美しい庭園は平等院を彷彿とさせます。(中央左は「宇治神社 船着場」。)

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紫式部は宮中に仕えていたときも、中宮・彰子や藤原道長のお伴で宇治や平等院を訪れています。『紫式部日記』には何度も平等院が登場し、源氏物語で光源氏が須磨の浦に建てた別荘も平等院がモデルだといわれています。「宇治川先陣之碑」

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また、紫式部は何度も訪れた平等院を歌に詠んでいます。宇治公園の枝垂桜

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『紫式部日記』には、平等院の美しい景観や風情に感動して「みちのくの 雲居にまがふ 翡翠の しることもなき 空に立つ」。「朝霧橋」

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紫式部は平等院で行われた宴に参加し、藤原道長とともに庭園を散策しました。平等院の美しさに感動して池に映る月を眺めて「この世に などかまがふ 月影の 浮きたる心 見せぬ池かも」という歌を詠みました。

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平等院での菊の宴に出席したときには、堂内に咲く菊の美しさに心酔して「菊の花 香にまがふる 鳳凰の 庭の秋風 吹くことなかれ」という歌を詠みました。ここでも、紫式部は平等院の美しさを称えています。

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「宇治十帖」は光源氏の次男として生まれた薫が主人公です。源氏の死後に、薫は仏道に専念している八の宮のことを知り、宇治の山荘を訪れるところからまります。 「浮舟のモニュメント」

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一方、このあたりにはかって応神天皇の皇子・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の邸宅があり、皇位継承の争いを避けてひっそりと暮らしていました。 「宇治神社一の鳥居」

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皇子は、皇位を譲り合って何時までも即位しない兄に対して、自ら命を絶って皇位継承を促したとされます。 この逸話は『日本書紀』に書かれていて、当時の貴族たちはよく知っていたと思われます。 宇治神社の拝殿「桐原殿」

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菟道稚郎子の没後、邸宅跡に兄・仁徳天皇が祠を建て霊を祀ったのが宇治神社と宇治上神社の始まりです。菟道稚郎子は宇治十帖に登場する「八の宮」のモデルとされます。 「本殿」

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八の宮はこのあたりの山荘で仏教三昧の生活をしていたことになっていて、八の宮が帰依した「横川の僧都」は比叡山の高僧・恵心僧都だと考えられています。 「早蕨之古蹟」

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源氏物語の横川の僧都は三室戸寺の僧となっていますが、現実の恵心僧都は宇治神社の隣の恵心院を再興しました。「宇治上神社」

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恵心院は、仏教に帰依した道長の庇護を受けて、塔頭・2院を有する説法の道場となりました。紫式部も恵心院を訪れたかも知れません。

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宇治十帖の「浮舟」における宇治川周辺の描写は、式部が中宮・彰子や道長に付き添って船遊びをしたときの体験がもとになっていると考えられています。

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また、不倫に苦しみ宇治川に身を投げた浮舟を助け、のちに出家させたのも横川の僧都となっています。実際の恵心僧都は、宮中でも何度も講義をしたといわれ、紫式部もその講義を聞いていたと考えられます。「与謝野晶子歌碑」

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僧都から人伝えに出家のことを聞いた薫は、妻の浮舟に会わせてもらえず文も受け取ってもらえません。薫はかつての自分と同じように、誰かが浮舟をかくまっているのではないかと思い悩みます。 「総角之古蹟」

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この話は「夢浮橋」の巻で、唐突に源氏物語はここで終わります。紫式部が何らかの理由でここで執筆を中断、あるいは、読者にその先を想像させる手法ともいわれています。

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夢浮橋は架空の橋ですが、最初に通った宇治橋のたもとに「夢浮橋之古蹟」があります。「源氏物語ミュージアム」 この日は出かけるのが遅くて、神社やミュージアムは既に閉まっていました。ここから宇治川の方(左)に行きます。

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宇治十帖は宗教色が強く、浄土教に帰依していた藤原道長の影響、あるいは紫式部自身の心境を反映していると考えられています。「朝霧通」

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「橋寺」は宇治橋の守り寺です。

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最後は京阪宇治駅、駅前の「駿河屋」で茶団子を買って帰りました。

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コメント

紫式部は、平等院がお気に入りだったのですね。
今でも美しい平等院ですから、当時の平等院の魅力は
凄かったのでしょう。平安時代の平等院の様子が
タイムマシンで見に行けたらいいのに。当時の人たちと
舟遊びでもしてみたいものです。

投稿: munixyu | 2024年5月 1日 (水) 17:44

こんばんは。ゆーしょーです。
宇治川界隈の写真が素晴らしいです。
そして懐かしいシャガの写真です。
30年ほど昔、箱根の宿に泊った時に
裏庭に咲いていました。
初めて見るシャガでした。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年5月 2日 (木) 00:49

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