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2024年5月 6日 (月)

いもぼう平野屋本店 2024年5月

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日八坂神社の摂末社を見て回ったあと、お昼を頂くつもりで円山公園にきました。最初に公園の南にある長楽館に行きましたが、ランチでもちょっとお高くて断念。祇園しだれ桜の南の開花亭は休業中でした。

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あてが外れてランチの場所が思い浮かびません。どこにも食べるところがなかったら露店や移動販売車でもと考えながら、知恩院の方に歩きました。

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GW中(5月2日)なので観光客でいっぱいだと思っていたら意外に混雑していません。八坂神社も混雑しておらず、理由は分かりません。

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円山公園にはいくつか茶店があり、こちらでもと考えながら知恩院の南門の方に向かいます。

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知恩院の門の南にある「いもぼう」のお店、いつも記事で紹介していますが入ったのはずいぶん前です。左の小道にはいくつか常設の料理屋やレストランが並んでいます。

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いもぼうの店先にあるメニューをみると、いろいろな料理があってここでお昼をいただくことにしました。「いもぼう平野屋本家」は300年にわたり「いもぼう」の味を一子相伝で伝えてきました。

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文豪に愛され、吉川英治は「百年を伝えし味には百年の味あり」と称賛しました。川端康成は「美味延年」と書き、松本清張は「北海に京を和えたるいもぼう哉」と詠み、それぞれ小説の舞台として登場しています。入ったところに色紙や写真がありました。

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写真は松本清張と若き日の会長(前当主)、手前にあるのがいもぼう(芋棒)の主役の一つの海老芋です。

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俵万智さんの色紙が目につきました。「君とゆく京都思えば京の字が今宵やさしく溶けてゆくなり」、後で調べるとこの歌は『サラダ記念日』に始まる三つ目の歌集『チョコレート革命』にある歌でした。

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この歌集のタイトルにもなった「男ではなくて大人の返事する君にチョコレート革命を起こす」のように恋の歌が多く、不倫を思わせる情熱的なものもあります。俵万智さんがいもぼうに来たときの状況が気になりました。

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上の廊下の左は円山公園、右はお庭に面する小部屋がならんでいて、奥には大部屋があります。しばらくすると、左の方の小部屋に案内されました。

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メニューにはいもぼうが入っている御膳や懐石料理があり、この日は「花御膳」をいただきました。個室の両側の壁には掛け軸が4幅ずつかかっています。複製ではなさそうですが作者は分かりません。

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最初に先付三種と生ゆば刺身が運ばれきました。

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平野屋本店では14代にわたり、伝統の味を守るために、その技と味を一子相伝で伝えてきたそうです。創業の時代に、九州の唐芋が京都に持ち帰られて「海老芋」として栽培され、「棒鱈」は北海道から宮中への献上物でした。「いもぼう」

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初代・平野権太夫は、南と北の「出会いもん」を独特の調理法で炊き上げました。芋の灰汁が棒鱈を柔らかくし、棒鱈から出るにかわ質が芋の型崩れを防ぎます。お互いが助け合うことから「夫婦炊き」と呼ぶ手法だそうです。「天ぷら」

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残りの料理も運ばれてきました。お吸い物、祇園豆腐、とろろのり巻、鴨ロース、御飯と香の物です。それぞれのお味は京料理の懐石料理と変わらず美味しくいただきました。

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徳川吉宗の享保の時代に、初代・平野権太夫は青蓮院宮に仕えて、御用のかたわら御料菊園や蔬菜の栽培にも携わっていたそうです。門主が九州から入手した唐の芋をこの地で栽培することに成功してその形から海老芋と名付けました。

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この海老芋を棒鱈とともに炊き上げる調理法を考案したところ、評判を得たため、宮家より「平野家」の屋号と現在の地所を賜わって、商売を始めたと伝わっています。

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一昨年(2022年)、円山公園内の平野屋の建物が「京都を彩る建物や庭園」に認定されました。市民が京都の財産として残したいと思う、歴史や文化を象徴する建物や庭園を選出する制度だそうです。

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入るときは気づきませんでしたが、入口に「ルパン三世」がいました。このあと、知恩院に向かいました。

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コメント

いもぼうは、よく考えられた調理の料理ですよね。
いもぼうの、芋の大きさからして、しっかりとしたお昼になったのでは。

投稿: munixyu | 2024年5月 6日 (月) 18:17

こんばんは。ゆーしょーです。
去年の正月、八坂神社へお参りに行った時、
円山公園をそぞろ歩きしました。
懐かしいです。
いも棒へは40年以上の昔、会社の同僚
3人で行きました。
メチャ美味しかったです。
お写真のお食事、めちゃくちゃ豪華ですね。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年5月 7日 (火) 02:07

懐かしいね。
確か高校一年生の時「いもぼう」は同じクラスにいた素敵な陽子さんのおばあさまのお店よね。
「俵万智さん」「ルパン三世」とはずいぶん時は流れましたね。

投稿: Tacchan | 2024年5月 8日 (水) 15:05

★Taccha~n こんばんは♪
高1の陽子さん・・・?? 陽子さんはTacchanしか知らないよ。高1の時Tacchanと私同じクラスでしたか?? 
「いもぼう」は大昔母と行った時は、松本清張の映画「顔」と同じ場所でした。(畳の間)

子供の頃、いもぼうの横に「馬」に乗れるところがあったの覚えてる? 私は馴染みの馬ちゃんがいてね。直径10mくらいの円を何周か乗るの、楽しみやった。

投稿: りせ | 2024年5月 9日 (木) 00:56

★munixyu さん こんばんは♪
「いもぼう」って、お正月のおせちにおばあさんが1ヶ月ほど前から棒鱈を水に漬けて柔らかくしたものと、海老芋を炊いたものですが、実は私は苦手だったのです。

他に料理が付いててよかったです。

投稿: りせ | 2024年5月 9日 (木) 01:08

★ゆーしょーさん こんばんは♪
この日は、知恩院の山手から円山公園に入りました。
この後、修学旅行の学生と同じくクレープまで買って食べながら歩きました。
料理が「いもぼう」だけだったら苦手でしたが、他も付いてて良かったです。

投稿: りせ | 2024年5月 9日 (木) 01:16

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