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2024年5月28日 (火)

石山寺 創建の歴史

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事に続いて石山寺に入りました。「石山寺」は山号を石光山という真言宗の大本山で、古くから観音霊場として知られ、西国三十三所第十三番札所です。また、様々な文学に登場し、真言密教の教学の寺でもあります。

「東大門」(重文) 石山寺の正門で、瀬田川沿いに東面しています。鎌倉時代の建立とされ、慶長年間(1596-1614)の淀殿の寄進による伽藍再興の際に、新築に近い大規模な修理が行われました。

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門の両脇には鎌倉時代の仏師運慶・湛慶の作と伝わる仁王像が祀られています。

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下は境内図で、東大門は中央下にあります。以下では、山全体に点在するお堂を巡りながら、石山寺が創建された物語を紹介します。

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「石山寺」は、天平19年(747)は聖武天皇の勅願により、東大寺の良弁僧正が建てた寺院と伝えられています。『正倉院文書』によると、石山寺は東大寺建立に大きな役割を果たしました。「宝性院 寺務所」

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良弁僧正は聖武天皇から、東大寺の大仏建立にあたって黄金が不足しているので、黄金の産出を祈願するようにと命じられました。はじめは吉野の金峯山で祈願していましたが、蔵王権現の夢告を受けて、この石山の地にたどりつきます。「法輪院」

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そして岩の上に、聖武天皇から預かった聖徳太子の念持仏を祀って祈願したところ、陸奥国で黄金が発見されました。祈願が達成されたため、念持仏を移動させようとしましたが、岩から離れません。

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そこに草庵を建てて寺院としたのが石山寺の始まりであるといわれています。「公風園」

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創建当初の東大寺は現在よりも大きな堂塔を有する伽藍であったため、建築資材が大量に必要でした。そこで資材である木材の集散地となったのが、この石山の地だったといいます。

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現在の滋賀県甲賀、高島などの山々から切り出された木材は、琵琶湖が瀬田川となって流れる要地 石山に一旦集められ、水路を使って送り出されました。「拾翠園」

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瀬田川から淀川へ下り、大和川をさかのぼって、奈良の都へ運ばれたと考えられています。「石山寺物産館 紫」 大河ドラマ菅家映のお土産や記念品がそろっています。上の拾翠園が出口になっています。

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「大黒天」 万寿元年(1024)に、3人の僧の夢のお告げに湖水より出現した大黒天を祀ります。

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良弁僧正の祈願の後も、石山寺は東大寺創建という国家事業にとって重要な地であったことがわかります。「世尊院」

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石山寺は創建当初から国家的な役割を担っていましたが、それは平安時代に入っても引き継がれました。延暦23年(803)、桓武天皇の勅命によって常楽会が営まれました。「くぐり岩」 

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常楽会(じょうらくえ)とは涅槃会(ねはんえ)ともいい、釈迦の入滅の日にその遺徳を称えて厳修する法要です。(穴をくぐると願い事がかなうとされるパワースポットです。)

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「比良明神影向石」 良弁僧正が聖武天皇にをじられて、金峯山に籠って金剛蔵王の夢告を受けてこの石山の地を訪れた際、岩の上で釣りをしていた老人から、お告げの地がまさにこの地であったことを知らされます。

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この老人こそが近江の地主であった比良明神で、比良明神が座っていた石は「比良明神影向石」として今も大切に守られています。「明王院」

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「大湯屋」妻を正面とする切妻造の建物で、内部は前室、脱衣場、浴室の三室構成となっています。湯屋は全国的に例が少なく、貴重な遺構の一つです。(近くには行けません。)

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「密蔵院」 明治26年(1893)島崎藤村が20歳のころ、石山寺の門前にあった石山寺の茶丈密蔵院に約2ヶ月間滞在しました。藤村はその時のことを「茶丈記」と題して雑誌『文学界』に寄稿しています。

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現在、密蔵院は、東大門からのびる参道のつきあたりに移築され、藤村ゆかりの建物として大切に残されています。下の水車は、かって200m小川に沿って下ったところにあった経堂の入口付近にあったものです。

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島崎藤村だけでなく、紫式部にも愛された密蔵院は、現代においてもロボットのイベントを開催したりと時代の先人たちを引き寄せる魅力があるのかもしれません。山の上のお堂を巡ってこちらの道から下りてきます。

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石山寺は創建時の東大寺との関わりから、もとは東大寺と同じ華厳宗に属していましたが、平安時代に真言宗・天台宗の密教が盛んになり、真言密教の道場になりました。本堂がある山の中腹に登ります。

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石段の途中にある「龍蔵権現社」 宝治元年(1247)勧進沙門祐円が再興しましたが天明のころ朽損し、明和年間(1764-1772)再興されました。

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石山寺初代の座主は、真言小野流の始祖である醍醐寺の理源大師聖宝がつとめました。その後二代目に聖宝の弟子・観賢、三代目は淳祐内供が座主となり、いよいよ真言密教の道場として台頭してきました。ご神木

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淳祐内供は石山寺の中興の祖といわれます。菅原道真の孫にあたり、朝廷の信頼も厚かったため、ますます多くの平安京の人々が石山寺を訪れるようになりました。左右にお堂が並んでいます。

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「観音堂」 宝暦年中に京都の「市人三井某老尼」の志願によって建立されたといわれ、当時は「札堂」と呼ばれていました。建物の木部に残された多数の釘穴は、参拝者が札を奉納する場所であったことを裏付けています。

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「毘沙門堂」 兜跋毘沙門天(重文) 平安時代に建立され、吉祥天・善膩師童子を祀る堂宇です。実際には正方形の平面ですが、間口三間に対して、奥行二間とし、方三間にしていない点が特色です。

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「蓮如堂」(重文)慶長7年(1602)三十八所権現社の拝殿として建てられ、神事にも仏事にも使用できるようになっていて、寺院における鎮守拝殿の一類型だそうです。現在では蓮如上人が祀られています。

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「硅灰石」(天然記念物)石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触し、その熱作用のために変質したもので、寺名の由来となっています。この後さらに山を上り、紫式部や源氏物語に所縁のお堂をめぐりました。

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コメント

こんにちは。ゆーしょーです。
昨夜から今日にかけてよく降りました。
石山寺へ行かれたのですね。
僕も数十年の昔、石山寺へ行ったことがあるのですが、
このように広い境内とは思いませんでした。
3枚目の境内マップはありがたいです。
その時、石山寺の門前でシジミご飯を食べました。
琵琶湖産のシジミですね。
そして記憶に残っているのは、白い巨大は石です。
松尾芭蕉の俳句に「石山の石より白し秋の風」とありますね。
その時三井寺へも行きましたが、どちらも素晴らしいお寺でした。

投稿: ゆーしょー | 2024年5月28日 (火) 16:17

淀川、大和川が出てきて驚きました。
実家が東大阪で、その2つの川の間ぐらいだと思います。
第二寝屋川も近くて、そう言えば、川に囲まれています。

投稿: munixyu | 2024年5月28日 (火) 18:57

ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年5月29日 (水) 00:03

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