上善寺と鞍馬口地蔵
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
寺町通は鞍馬口通に突き当り、その東北に上善寺があります。「上善寺」は山号を千松山(せんしょうざん)、院号を遍照院という浄土宗知恩院派の寺院で、六地蔵巡りの一つです。
山門の右に六地蔵巡りの一番札所を示す石標があります。
上善寺の創建は古く、平安時代前期の貞観5年(863)慈覚大師円仁により、天台密教の道場として開かれました。
当初は千本今出川にあって、最盛期には塔頭が13院もあったといわれています。しかし、その後の火災によって何度も焼失、衰退しました。
山門を入った右に「天道大日如来」の石像があります。鎌倉時代中期以前の作で、花崗岩製、舟形の光背があります。
室町時代の文明年間(1469-1487)、春谷盛信上人によって再興され、天台真盛宗となり、寺号が現在の上善寺となりました。上人は後土御門、後柏原天皇の戒師を務め、上善寺は両天皇の勅願寺となりました
安土桃山時代の文禄3年(1594)豊臣秀吉の都市改造により千本今出川から現在地に移され、浄土宗に改められました。本堂には本尊として阿弥陀如来坐像が祀られています。
本尊は江戸時代前期の寛永11年(1634)に嵯峨今林の蓮華清浄寺から移されたもので、奈良時代の行基の作と伝えられています。(以前、横の小屋に地蔵尊が仮安置されていましたが、今は何もありません。)
記事の題名の「深泥池地蔵」は「六地蔵」の一つで「姉子地蔵」とも呼ばれていました。しかし、 明治初年の神仏分離令のあとに起こった廃仏毀釈によって、深泥池地蔵は追放され上善寺に移され、以降「鞍馬口地蔵」と呼ばれるようになりました。
深泥池地蔵が上賀茂神社の神領にある仏像だったからだと思われます。また、近くにあった貴舩神社は神仏混合だったため焼打ちにあったそうです。(本堂の東、庫裏の前に庭園があります。)
以下では六地蔵巡りの由来を紹介します。平安時代初期、小野篁は熱病にかかり、冥土で出会った生身の地蔵菩薩の教えによって蘇生したそうです。「名号唱和」の上善寺つくばい
篁は、木幡山の桜の大木より6体の地蔵尊像を刻み、木幡の里(現在の大善寺)に安置しました。 その後、平安時代末期に都で疫病が流行、保元2年(1157)後白河法皇は平清盛に命じて六つの街道の各入口に六角堂を建てさせます。 「玄関」
そして、それぞれに篁が彫った地蔵を安置しました。 都に邪気が入ってくるのを防ぎ、街道を行く旅人の安全のためです。さらに、西光法師にそれらの地蔵の供養をさせたのが、「六地蔵巡り」の始まりです。
その後、先祖の霊の供養や無病息災・家内安全などを願う伝統行事として現在まで続けられ絵います。
ちなみに現在の六地蔵とは、大善寺・伏見地蔵(奈良街道)、浄禅寺・鳥羽地蔵(西国街道)、地蔵寺・桂地蔵(丹波街道)、源光寺・常盤地蔵(周山街道)、上善寺・鞍馬口地蔵(鞍馬街道)、徳林庵・山科地蔵(東海道)です。
大正7年(1918)に再建された地蔵堂が老朽化したのを契機に、上善寺ではかっての由緒に基づいて2016年8月に六角形の地蔵堂を新築しました。六角形の一辺が3m、高さが8.2mだそうです。
鞍馬口地蔵は、顔立ちや姿が女性的で美しく、右手に錫状、左手に宝珠を持っています。江戸時代に極彩色に彩色され、その下にさらに古い彩色痕があるそうです。2016年の調査で、伝承の通り桜材の一木造であることが分かったそうです。
境内の東にある墓地には「長州人首塚碑」があり、元治元年(1864)7月19日に起こった禁門の変において、鷹司邸附近で亡くなった長州藩士・入江九一(1837-1864)ら8人の首塚があります。
また大名や公家の墓も多く、中でも今出川家の代々の墓があります。「今出川家」は先日の記事で紹介した西園寺家の庶流で、明治になって菊亭 と改姓して、貴族院侯爵議員の菊亭脩季(ゆきすえ)を輩出しました。
「観音堂」 上述の大正7年(1918)に再建された旧地蔵堂を、この場所に移動して観音菩薩を祀っています。
境内の南(山門の右手)に石仏群があります。ここには、鎌倉時代後期の地蔵立像や聖観音座像、江戸時代中期の十三仏板碑など珍しい石仏があります。おそらく、長年街道筋に置かれていたものがこの寺に集められたと思われます。
このあと、鞍馬口街道を通って京の七口の一つ・出雲路橋の方に向かいました。
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コメント
疫病なんかは、歴史の話だと思っていましたが、
コロナも疫病みたいなもので、百年、二百年に一度あるものなんですね。
もう出てきて欲しくないですが、また数百年後に大騒ぎになったときに、
二の舞いにならないように、対策はしっかりしておいて欲しいものです。
特に、水際対策、マスク、防護服など。
投稿: munixyu | 2024年5月19日 (日) 17:23
こんばんは。ゆーしょーです。
上善寺のつくばいには名号唱和と
書いているのですね。
昔、京都古寺巡りをしたときに、
古銭のつくばいを見たことがあります。
投稿: ゆーしょー | 2024年5月19日 (日) 22:42
ポチ♪2
投稿: ゆーしょー | 2024年5月20日 (月) 00:07