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2024年4月10日 (水)

大河内山荘 傅次郎の半生と山荘庭園

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の亀山の展望台を下りて、大河内山荘を訪れました。「大河内山荘」は映画俳優・大河内傳次郎(おおこうちでんじろう)が別荘として造営して、その山荘と回遊式庭園が一般公開されています。

門の脇にある拝観受付を過ぎて坂を上ると、左に斜面に上る回遊路、右にお茶席があります。最初に散策をして、お茶は後で頂くことにします。

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大河内傅次郎は、明治31年(1898)福岡県築上郡岩屋村字大河内(現・豊前市大河内)に生まれ、大正15年(1926)日活大将軍撮影所に入社しました。石段を上ったところにある「中門」は登録有形文化財。

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サイレント映画の時代、入社前から大河内の演技を見ていた伊藤大輔監督に素質を認められ、『月形半平太』の主役と脇役を逆にしたストーリーを書いて『長恨』という作品を撮影しましたた。(中門をくぐると広場になっていて、奥に休憩席ありります。)

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長恨のラッシュプリントを見た撮影所長・池永浩久は大河内を気に入り、池田富保監督の『水戸黄門』、続いて大佛次郎原作の『照る日くもる日』に出演させました。(桜越しに比叡山が見えます。)

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休憩席の前に「大乗閣」(登録有形文化財)があります。寝殿造、書院造、数寄屋造など日本住宅の伝統的様式を合わせ入れた建物です。他の建物も含めて、傳次郎の構想に基づいて数寄屋師の笛吹嘉一郎が施工しました。

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傅次郎のデビュー作の演技は評判を呼び、翌年(1927)だけで21本の作品に出演。この中の伊藤監督・唐沢弘光撮影の『忠次旅日記』全三部作はサイレント映画時代劇の金字塔ともいえる傑作になりました。

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以降、このコンビで時代劇を連発、大河内は空前の人気を集める大スターとなりました。下に先ほどの休憩席が見え、展望が開けてきました。庭園は、三段の高さにある建物を巡る回遊式になっていてこのあたりが一番下の段です。

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トーキー映画時代となり、上のコンビで撮影した一連の「丹下左膳」シリーズは大河内の生涯の当たり役となりました。地元の豊前訛りのある大河内の「姓は丹下、名は左膳」という決めセリフは後の世までモノマネされました。

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大河内は、全盛期の昭和6年(1931)この山荘の設計・造営を始めました。当時長期保存が難しかったフィルムに対し、永く消えることのない美を追究するためともいわれています。

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同年、二尊院にあった九条家の位牌堂を参考に「持仏堂」(登録有形文化財)を建てました。熱心な仏教徒だった傅次郎は、このお堂で座禅をしたといわれています。

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ここはちょっとした谷になっていて、日本庭園のような雰囲気です。散策路は持仏堂の横から、少し高い場所に上ります。

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この地は百人一首でも知られる小倉山の南東の斜面と、亀山公園に挟まれた約2万平方メートルの荒地でした。傅次郎は映画出演料の大半を注ぎ込み、30年の歳月をかけて、亡くなるまでこつこつと山荘を作り上げました。 2段目の平地です。

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「滴水庵」 1937年に移築された木造平屋建で、2室の広間の茶室と土間のある数寄屋造りの水屋です。この庭を含め、山荘のすべての庭は傅次郎の着想にもとづき、傅次郎と庭師・広瀬利兵衛が一緒に造営したといわれています。

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傅次郎が一番苦労したのが井戸でした。山頂近くで、地下水脈に至るまで相当深く掘らなければならず、井戸は石を投げ込んで七、八つを数えなければ音がしないほどの深さだったといいます。 

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茶室の横の回遊路をさらに上ると尾根に出て視界が広がり、すぐ下には亀山の展望台から尾根伝いの道が通っています。ここは「嵐峡展望台」というそうで、保津川を挟んで正面が嵐山です。

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昨日の記事の「大悲閣」が間近に見えます。

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上流は保津峡、右は小倉山の斜面、左は北松雄山、正面は北山の西部です。

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尾根伝いに少し北に行くと、開けた場所に茶室「月下亭」があります。ここが一番高い3段目の平地になります。

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傅次郎はこの山荘に住み、自ら木を植え石を据えて庭園を造り続けました。(ここからは市内の大部分が見渡せます。)

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戦後も数々の有名作品に出演しましたが、敵役や脇役を演じることも多くなりました。比叡山と手前は衣笠丘陵。

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それでも山荘を造り続け、最期は大乗閣で亡くなったそうです。(衣笠丘陵に仁和寺の五重塔が見えます。いつも写真を撮っていますが、この日ははっきり写りました。)

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月下亭から、上るときとは別の道を通って、お茶席の前まで下りてきました。

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以前は拝観券にお茶券がついていたのですが、この日はセルフサービスの冷たいジュースが置いてありました。喉が渇いていたので一休みしました。周囲には外国人観光客が何組もいました。

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お茶室の横には背の高い桜の木があって、その下を通ることができます。

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この後、竹林の小径を通って、天龍寺に向かいました。

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コメント

セルフサービスの冷たいジュース。
これだけ歩くと、喉も乾きますよね。
写真は時間が止まっているから、しばらく満開が楽しめるのは、
ありがたいことです。写真って凄いですよね。

投稿: munixyu | 2024年4月10日 (水) 15:13

こんばんは。ゆーしょーです。
竹やぶはよく歩くのですが
大河内山荘へは行ったことがないのです。
僕が子どもの頃、戦前を代表する
時代劇スターとして大河内傳次郎は
有名でした。
僕の父より10歳上の人でした。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年4月11日 (木) 00:59

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