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2024年4月 7日 (日)

嵐電で嵐山へ 2024春

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日は、嵐電で嵐山に行ってきました。今日は嵐電の北野白梅町駅から嵐山駅までの全駅と途中で目についた風景を紹介します。

最初に乗る北野白梅町からの区間は「京福電気鉄道北野線」で、前半は沿線にある有名寺院が駅の名になっています。

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「等持院駅」 足利尊氏が夢窓国師を開山として等持寺の別院を建て、尊氏の没後その墓所となり等持院と名づけられました。元の 等持寺の名は、一寺を建てて三寺に当てるべく、「寺」の字を三つよせたとわれています。

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「龍安寺駅」 桜が綺麗な駅です。龍安寺は駅から右(北)にかなり歩いた「きぬかけの路」沿いにあります。

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ここまでは複線でしたが、ここから先は民家が密集していて用地確保のめどがたたず単線となっています。

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「妙心寺駅」 花園法皇が妙超(みょうちょう)の弟子関山慧玄(かんざんえげん)を開山として、花園離宮を禅寺にしたものです。慧玄が師である妙超の名の一字をいただき、その心を継ぐとの意味で妙心寺と名づけられたといわれます。妙心寺は左(南)にあります。

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このあたりは御室と呼ばれています。宇多法皇が仁和寺に「御室」を造営して御所としたことから、その建物が「御室御所」と呼ばれ、やがては仁和寺の別称となり、御室がこのあたりの地名にもなったといわれます。

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「御室仁和寺駅」 かっては「御室駅」という名でした。駅舎が日本建築風になっていて、近畿の駅百選に選ばれています。仁和寺は右(北)のきぬかけの路沿いにあります。

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「宇多野駅」 昔は「高雄口」という名でしたが、高雄への交通網の変化によって、このあたりの地名に変更されました。宇多野は宇太野とも記され、9~10世紀の光孝、村上、円融の3天皇の陵墓があります。

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駅のホームが曲線になっていて、周囲の景色から山の中の駅のような雰囲気があります。

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この高架橋を抜けると、

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お馴染みの桜のトンネルです。(TOPの写真も)

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今年の京都のソメイヨシノの開花は3月29日、満開は4月5日(金)と発表されました。

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以前からこの日(4月6日)に嵐山に行くことを決めていたので、満開の桜を見てホットしました。夜はライトアップもあるそうです。

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この辺りの宇多野は、禁野(きんや)として天皇の鷹狩の猟場になったそうです。禁野は一般人の狩猟が禁じられている場所です。

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「鳴滝駅」 この地域を流れる御室川の渓流がこの付近で滝のようになり、水音が遠くまで鳴り響いたので「鳴滝」という地名になったそうです。この駅と次の常盤駅の間は複線になっています。

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「常盤(ときわ)駅」かって嵯峨天皇の皇子・左大臣源常(みなもとのときわ)の山荘があったことがこのあたりの地名・常盤の由来だいわれます。後年この地に生まれた義経の母は常盤御前と呼ばれ、晩年はこの地に戻って余生を送ったと伝えられています。

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「撮影所前駅」 2016年に北野線全線開通から90周年を記念し設置された新しい駅です。東映太秦映画村へはこの駅から左(南)に歩いて2分くらいです。

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「帷子(かたびら)ノ辻駅」 ここで、四条大宮から出発する「嵐山本線」に乗り換えます。嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子は仏教の信仰が厚く、檀林寺を建立して「檀林皇后」とも呼ばれました。

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素晴らしい美貌の持ち主でしたが、死に際して諸行無常を人々に示すために、自分の亡骸は埋葬せず、どこかの辻に打ち棄てよと遺言しました。遺言は実行され、皇后の亡骸が遺棄された場所は帷子辻と呼ばれました。

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「有栖川駅」 開業当初の地名・太秦村大字嵯峨野にちなんで「嵯峨野駅」という駅名でしたが、天龍寺や大覚寺などに行きたい観光客が間違ってこの駅で降りることが多くなり1975年に近くを流れる川の名に変更されました。嵐山線は複線になっています。

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「車折(くるまざき)神社駅」 車折神社は左(南)にあり、この駅は神社の裏参道の入口にあります。かっては「車折神社裏駅」という名だったそうで、神社にちなんで朱色に塗られています。

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「鹿王院駅」 鹿王院にちなんだ駅名ですが、設置されたのは1956年に近くに公団住宅が建設されたためです。鹿王院は足利義満が創建した寺院で、廟を建てようとして藪を切り開いたところ、白鹿が出てきたために名づけられたといわれます。

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鹿王院は駅のすぐ南にありますが、山門はかなり南に歩いたところにあります。紅葉の名所で、秋には1日100人限定のライトアップ特別拝観がありました。

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「嵐電嵯峨」 JRや嵯峨野トロッコ列車へはここで乗り換えます。嵯峨という地名は、このあたりが愛宕山麓の緩やかな傾斜地になっていて、坂(さか)が転じたといわれています。

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山が近くなってきました。この山は大堰川の向こうにある嵐山です。

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「嵐山駅」 600本の京友禅を使ったボール(行灯)が建ち、「キモノフォレスト」と呼ぶそうです。ここから、松籟庵(しょうらいあん)でお昼をいただくために、渡月橋の方に向かいました。

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コメント

のどかですね。一気に春が来たというか、
春の中にいる気がしました。桜も丁度いい咲き具合ですし。この一週間ほどでしょうか。
雨が降らない日が、一日でも長いといいですよね。

投稿: munixyu | 2024年4月 7日 (日) 20:22

こんばんは。ゆーしょーです。
この電車へは乗ったことがないので
楽しんで見せて頂きました。
嵐山本線は複線電化ですが、
途中までは単線電化ですね。
運転席の横の窓から前方を撮ったのですね。
終点嵐山駅から嵐山はすぐ前ですね。
よい車窓からの眺めでした。
ありがとうございました。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年4月 8日 (月) 00:06

★munixyuさん こんばんは♪
桜が咲くとなぜかウキウキして、心の中も春になります。

投稿: りせ | 2024年4月10日 (水) 01:01

★ゆーしょーさん こんばんは♪
注意して写真を撮ったつもりでしたが、後で整理するのが大変でした。嵐電の駅は運転席の横から駅名が見ずらいので、いろいろな景色をヒントに数百枚の写真を各駅の区間に仕分けしました。

投稿: りせ | 2024年4月10日 (水) 01:08

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