本満寺 大枝垂桜 見頃
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
閑臥庵でお昼を頂いた日、最後に本満寺を訪れました。「本満寺」は山号を広宣流布山(こうせんるふざん)、正式名称を本願満足寺という日蓮宗本山です。何度か大枝垂桜を見に来ていましたが見頃にならず気になっていました。
山門前にある「出町妙見宮」、妙見大菩薩が祀られ洛陽十二支妙見めぐりの丑(うし、北北東あたり)です。この妙見めぐりは、京都御所の紫宸殿を中心に十二支の方角に祀られた霊場です。
本満寺は毎年のように記事にしていますが、とりあえず簡単に歴史を紹介します。
「本満寺」は、室町時代の応永17年(1410)関白・近衛道嗣の嫡子・玉洞妙院日秀が朝廷から敷地3万坪を与えられて創建したのが始まりです。当時は上京区元本満寺町(新町通今出川上る西入)にありました。
戦国時代の天文5年(1536)天文法華の乱で焼かれ、一時堺に逃れました。(大枝垂桜の周囲を一周します。)
天文8年(1539)12世日重の代、関白・近衛尚道の外護により現在地に移り、後奈良天皇の勅願所となったといわれています。
江戸時代中期には塔頭10、直末55、孫末19寺があったほど興隆しました。
万治4年(1751)に江戸幕府第8代将軍徳川吉宗の病気平癒を祈願し、幕府の祈願所となりました。
一方で、江戸時代には度重なる火災に見舞われました。寛文の大火(1661)、宝永の大火(1708)、天明の大火(1788)で焼失、その都度再建されました。
幕末の慶応3年(1867)4月13日・14日に新選組を脱走した田中寅蔵が当寺に潜伏するが見つかり、翌15日に切腹させられた事件がありました。向こうが書院。
現在では、四院の塔頭(一乗院、守玄院、実泉院、法泉院)を残すだけになりました。
姫路市法華寺より晋山した63世・森日洸が貫首を務めています。
大枝垂桜を一周しました。
枝垂桜の向かいに大きなソメイヨシノがあり、区民の誇りの木だそうです。
7~8分咲きでしょうか?
「七面堂」 14世日遠上人が七面山(しちめんざん)で千日の行を修して感得した法華経の守護神・七面大明神を祀ります。ここで御首題(ごしゅだい)が頂けますが、既に閉まっていました。日蓮宗のお寺では御朱印と御首題を区別しています。
七面堂の右に、徳川家康二男・結城秀康(後の福井藩主)の正室・蓮乗院(?-1621、鶴姫)の石廟があります。訪れる人は見かけません。
「本堂」には本尊の十界大曼陀羅および近衛尚道が奉安した日蓮上人坐像を安置。この像は、芹生村山麓より発見され、山中より法華経読誦の声が上がったという伝説があります。本満寺の山号の略称「広布山」の扁額がかかっています。
本堂の右奥にある墓地に尼子十勇士の一人「山中鹿之介」の墓があります。尼子氏が毛利氏に敗れた後、浪人となり上洛して主家の再興をはかった悲劇の武将です。墓地の入口にある塔頭の「一乗院」
1568年に東福寺の尼子勝久を還俗させて擁立、毛利氏の反攻にあいます。後に織田信長、羽柴秀吉を頼って毛利攻めに参加するも敗北、主君は自決、鹿之介も殺されました。彼の物語を知ったあとは、必ずお墓にお参りするようになりました。
既に日が暮れかかっていましたが、訪れる人が絶えません。
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コメント
いろんな桜が、どんどん咲き初めましたね。
この時期が、一年で一番いい時期だと思います。
ソメイヨシノも、ここから満開に向かいますし。
ここで少しでいいから時間が止まってほしいものです。
投稿: munixyu | 2024年4月 4日 (木) 20:11
こんばんは。ゆーしょーです。
本満寺の大枝垂桜が素晴らしいですね。
大勢の人が撮影していますね。
この大枝垂桜を一周して撮影したのですね。
メチャきれいです。 ポチ♪2
投稿: ゆーしょー | 2024年4月 5日 (金) 01:08
★munixyuさん こんばんは♪
写真をいっぱい撮ってしばらく出歩るかないので、私の場合は満開がしばらく続きます。
投稿: りせ | 2024年4月10日 (水) 00:47
★ゆーしょーさん こんばんは♪
大きいお寺ではないのですが、外国人観光客がいっぱい来ているのに驚きました。
投稿: りせ | 2024年4月10日 (水) 00:48