« 吉田東通を歩く 南部 | トップページ | 櫛笥小路を歩く 針小路から東寺北大門 »

2024年3月 2日 (土)

櫛笥小路を歩く 八条から針小路へ

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

Ani_4436a
※写真は全てクリックで拡大します。

先日、梅小路公園を訪れたあと、大宮通を歩いてJRの線路の下を通り八条通まで来ました(上の写真)。少し西に歩くと東寺の「北総門」(重文)があります。

鎌倉時代に建立された四脚門で、江戸時代にいったん南に移されましたが、1994年に修復されて当初の位置に戻されました。ここから向うが東寺の境内になります。

Ani_4437a

総門の横に不動明王が祀られています。いつも新しい花が供えられていて誰かがお世話をしているようです。

Ani_4441a

この通りは「櫛笥小路(くしげこうじ)」といい、通りの名は平安時代この地に「櫛笥大納言」という人物が住んでいたことに由来します。当初は平安京の一条通と九条通の間を走っていました。

Ani_4443a

しかし、平安京の大内裏や神泉苑の建設、平清盛の西八条殿、後には豊臣秀吉による聚楽第の造営によって相次いで分断されました。江戸時代に二条城の周辺地域の整備が行われ、櫛笥小路に相当して城より北に日暮通が、南に神泉苑通が開通しました。

Ani_4444a

明治以降も国鉄の線路や東海道本線梅小路貨物駅(現在の梅小路公園)などでさらに分断されました。結局、昔の面影を残しているのは、当時の北総門から向うに見える北大門の間だけとなりました。

Amg240302ba

上は現在のGoogleMapで中央が櫛笥小路です。少し正確ではなく道幅は上や下の写真で見えるように北総門から北大門まで同じ幅です。下の朱色の部分が平安京の市街図で、北総門から南の全域が東寺の境内になっていて、支院が立ち並んでいます。

Amg240302aa

花園院、政所院、倉垣院などは東寺の庶務を司るバックヤードだったといわれています。下の写真は右(西)にある「洛南高等学校総黌記念館」。洛南高等学校・附属中学校は、平安時代初期の私立学校「綜藝種智院」をルーツとしています。

Ani_4445a

綜藝種智院は828年に空海が庶民教育や各種学芸の綜合的教育を目的に、藤原三守から譲り受けた左京九条の邸宅に設置した日本最古の私立学校といわれています。明治14年(1881)に僧侶育成機関の「総黌(そうこう)」として復興されました。

Ani_4446a

その後、総黌は名称を変えながら、現在の種智院大学、洛南高等学校、同付属中学となっています。左の門の向こうの左に薬師院、右に弥勒院と文殊院があります。

Ani_4447a

上の門からの道が途中でU字型に曲がって、下の写真の門まで続いています。その南に塔頭の普賢院があります。いずれの塔頭も情報がなく由緒が分かりません。

Ani_4448a

下は昭和2年(1927)頃の京都市明細図で、左は東寺中学の運動場、右には現在の宝菩提院と、濟(済)成院という寺院が書いてありますが、こちらも情報がありません。

Amg240302d

昭和28年に作製された地図(省略します)も同様なので、上に出てきた四つの塔頭はそれ以後に創建された(あるいは現在地に移転した)と思われます。

Ani_4449a

「地蔵院」 こちらも同様に昭和28年以降に創建あるいは移転してきた塔頭だと思われます。

Ani_4450a

「宝菩提院(ほうぼだいいん)」 鎌倉時代の弘安2年(1279)に第三長者だった亮禅(りょうぜん)によって創建されたと伝わり、かっては観智院と櫛笥小路をはさんで東西対称に建てられた東寺の別格の支院です。

Ani_4457a

創建当時の宝菩提院の経蔵は「三密蔵(さんみつぞう)」といわれ、真言聖教の宝庫でした。山門の正面の建物、おそらく庫裏だと思われます。

Ani_4471a

明治14年(1881)に総黌が開学されたのに伴って、現在地へ移転しました。東寺西院流能禅方(のうぜんかた)の法流本山として現在に至っています。(山門を入って左手に三浦という表札がかかった建物があります。)

Ani_4472a

おそらく宝菩提院の前住職だった三浦俊良(しゅんりょう、1913-2010)の住居だったと思われます。三浦俊良は大分県出身の真言宗僧侶で、1942年に東寺に入寺、1956年宝菩提院の住職となりました。

Ani_4473a

1962年、洛南高等学校副校長、1971年東寺責任役員・寺務長、翌年辞任。1978年洛南高等学校校長、翌年洛南高校や宝菩提院住職を全て辞任、1988年成基学園顧問となりました。「本堂」

Ani_4466a

1992年再び宝菩提院住職となり西京極幼稚園長も兼任しました。2010年6月24日に遷化。享年98。本堂の前に「水子地蔵尊」が祀られています。

Ani_4464a

三浦俊良は生前三大改革を行ったことで知られます。東寺高校の改革(省略)と弘法市の改革、終戦後の弘法市は香具師の親分が仕切っていたのを、現在のように出店組合が統括する形に改革しました。(境内の南東の隅にも建物があります。)

Ani_4467a

最後の改革は教王護国寺(東寺)の真言宗東寺派からの独立で、東寺派の管長・長者を民主的に公選で選ぶ道筋をつけました。上の経歴で1972年に東寺責任役員・寺務長を辞任したのは、その間の混乱の責任をとってのことでした。「針小路通」の西

Ani_4475a

著書の「東寺の謎」は、東寺の歴史や数々のドラマ、様々な伽藍の謎と空海のメッセージなど、東寺が面白くなる本だといわれています。下は針小路通の東、向うに東寺保育園があります。櫛笥小路はもう少しありますが、今日はここまでです。

Ani_4478a

お帰りの際には、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Ani_4480a

|

« 吉田東通を歩く 南部 | トップページ | 櫛笥小路を歩く 針小路から東寺北大門 »

コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
櫛笥通・・・読めなかったです。
くしげどおりと読むのですね。
京都には難しい名称が多いですね。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年3月 3日 (日) 01:40

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 吉田東通を歩く 南部 | トップページ | 櫛笥小路を歩く 針小路から東寺北大門 »