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2024年2月25日 (日)

龍岸寺 2024年2月

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の粟嶋堂宗徳寺から塩小路通(三哲通)を西に歩くと、黒門通との交差点北西に龍岸寺があります。上は客殿、下はその前にある掲示版です。

お寺のポスターとシンガーソングライターの岡崎体育、吉本のすゑひろがりずの標語?が貼ってありました。おそらく、龍岸寺を取材に来たときに書いたものだと思います。

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龍岸寺」は山号を三哲山という浄土宗の寺院です。江戸時代初めの元和2年(1616)僧・安井算哲により開かれました。

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「本堂」は江戸時代中期の貞享年間(1684-1688)の建造で、屋根が大棟から軒にかけて一段区切りをつけた錣葺(しころぶき)となっているのが特徴です。

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安井算哲は、僧侶よりは囲碁の棋士(碁方)として知られています。幼少から囲碁を学び、囲碁の家元の始祖・本因坊算砂の弟子といわれます。安井算哲も家元の始祖となり幕府から俸禄が支給されました。

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本堂には本尊・阿弥陀如来坐像が祀られています。右に観音菩薩、左に勢至菩薩が安置されているのですが、写真からはみ出ています。堂内の写真は龍岸寺のHPからの転載です。

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慶安5年(1652)安井算哲が死去し、本因坊家の墓がある寂光寺に葬られました。長子は当時13歳であったため家元の安井家は算哲の弟子・算知が養子となり継ぎました。長子は改姓して渋川算哲(後に晴海と改字)を名乗りました。「客殿」

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渋川晴海は碁方として幕府から俸禄をもらい、御城碁に出仕して本因坊に勝つこともありました。 一方、数学、天文、暦法を学び、中国からもたらされた宣明暦による日蝕・月食の予報が2日もずれる原因を解明しました。客殿の玄関

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彼が作成した大和暦が採用され、貞享元年(1685)に初代幕府天文方に250石をもって任ぜられました。下は、渋川春海が子・昔尹(ひさただ)の名で発行したとされる日本初の星図「天文成象」。

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以後、天文方は渋川晴海の世襲となり、碁方は辞しました。その後の龍岸寺の詳しい歴史は不明のようです。(手水鉢には龍岸寺と彫られていて、かなり古い物だと思われます。)

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現在の住職・池口龍法は第24世にあたります。1980年に兵庫県の西明寺に生まれ、京都大学、同大学院ではインドおよびチベットの仏教学を研究。大学院中退後2005年より知恩院に奉職、主に編集や広報に携わりました(2022年4月まで)。

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2009年超宗派の若手僧侶を中心に「フリースタイルな僧侶たち」を発足して代表に就任、フリーマガジンの発行など仏教との出会いの創出に取り組み、2014年、龍岸寺住職となりました。「念侍仏造立教室」も開催しています。

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龍岸寺の住職として、念仏フェス「超十夜祭」や仏具系ポップユニット「佛佛部」、1日仏像彫刻教室、シングルファザーの住職と息子達による
YouTubeチャンネル「龍岸寺ナムナムTV」など多彩な活動をしています。墓地の入口

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2022年4月に完成した永代供養墓「星月墓(せいげつぼ)」 後継者がなくて家のお墓が心配、お墓が欲しいけれど経済面で不安などの方々のために建立したそうです。

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釈迦がその元で悟りを開いた菩提樹の実は仏界の宇宙を表す「星」と「月」の模様があるとされ、仏像の光背の代わりに開祖の渋川春海があらわした星図を彫ってあります。現住職は、多彩なアイデアの活動で注目を浴びることもあります。

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「ドローン仏」信念厚い人々が命を終えるとき、阿弥陀如来が菩薩とともに極楽浄土からお迎えに来られるとされます。仏師・三浦耀山が3Dプリンターで複製した仏像を、ドローンに載せて空中を飛来させることに成功しました。

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「冥土喫茶♡ぴゅあらんど」信じる宗教が違っていても、人間はみんな幸せになりたいと願って生きています。お茶を飲みながら、宗教のことなどをゆる~くお話ししませんか。毎回ゲストの方のお話があります。

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著書に『お寺に行こう! 坊主が選んだ「寺」の処方箋』(講談社)、『ともに生きる仏教 お寺の社会活動最前線』(ちくま新書)。日めくりカレンダー「スター坊主めくり」(便利堂)、2023年7月より新潮社webマガジンに「住職はシングルファザー!」連載中。

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山門の向かいは元梅逕(ばいけい)中学で、その校内に「是より洛中荷馬口付のもの乗るべからず」と刻まれた碑があるはずですが、工事中で入れませんでした。最後は、龍岸寺の塀の端にある辻地蔵。この後、西の梅小路公園に向かいました。

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コメント

こんばんは。
色んな浄土宗のお寺があるのですね。
龍岸寺というお寺なのですね。
かなりの古いお寺ですね。
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投稿: ゆーしょー | 2024年2月25日 (日) 23:51

ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年2月26日 (月) 00:03

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