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2024年2月 5日 (月)

須賀神社 夕暮れの節分

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の聖護院門跡の斜め向かいにある須賀神社に行ってきました。この神社の節分では珍しい「懸想文(けそうぶみ)売り」がでることで知られます。懸想文とは恋文のことです。

また、須賀神社は節分のときだけ頂くことができる「須賀多餅」でも知られています。カワイイ龍の手水鉢があります。

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「須賀神社」は平安時代初期の869年に建立され、聖護院一帯の産土神として信仰されてきました。創祀当時は西天王社とよばれ、平安神宮の青龍殿あたりに鎮座して、岡崎の東天王社(岡崎神社)と対をなす神社でした。懸想文売りです。

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鎌倉時代の1332年には北条高時の反乱により吉田神楽岡に避難し、南北朝時代1336年に社殿が造営されました。その後、江戸時代の慶安元年(1648)には現・山蔭神社(吉田神社摂社)あたり遷座したといいます。

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明治政府の神仏分離令により、外来神を祀ることができなくなり、社名iも西天王社から須賀神社に改められました。また、住民の要望によって吉田神社の頃に御旅所があったこの地に遷座しました。「聖護院町氏神」の石碑があります。

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右の須賀神社には素戔嗚尊とその妻・櫛稲田比売命(くしいなだひめのみこと)を祀り、縁結び、夫婦和合、厄除けの信仰があります。左には昭和39年(1964)新たに交通神社が創建されました。

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交通神社には久那斗神(くなどのかみ)、八街比古神(やちまたひこのかみ)、 八街比売神(やちまたひめのかみ)が祀られ、交通安全、旅館業守護などのご利益があります。

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本殿の左手前に「白龍大明神」と「稲荷大明神」を祀る摂社があります。 白龍大明神は厄除け開運をもたらし、稲荷大明神は五穀豊穣、商売繁盛の神です。

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最初に書いた懸想文とは、公家など限られた人しか文字が書けなかった時代に代筆してもらった恋文のことです。この風習は平安時代から始まったといわれています。社務所・授与所

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江戸時代の京都の町では、(節分ではなく)正月に縁起の良いお札として、「懸想文」が梅の枝に付けて売り歩かれたそうです。その身なりは、烏帽子に水干、覆面姿の異様な姿をしていていました。

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この怪し気な格好には訳があります。かっての公家たちは生活が苦しく、顔を隠して懸想文で副収入を得ていたようです。江戸時代には流行した懸想文でしたが、いつしかこの風習は途絶えてしまいました。

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ところで「須賀多餅」は年に一度だけ、節分の2月2,3日に境内の片隅で売られています。また、こちらの席で頂くこともできます。

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ここで一休みして須賀多餅を頂きました。この餅は求肥(ぎゅうひ)でくるんだこし餡の和菓子で、柚子と梅による香り付けがされています。横にあるには福豆が入った縁起ものの「福茶」で、こちらも節分の時だけいただくことができます。

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須賀多餅は大徳寺近くの紫野雲林院町の「葵餅」で製造されています。この店は桜餅、塩大福、よもぎ餅、柏餅などを製造・販売しています。廃業した近くの「大徳屋本舗」から引き継いで須賀多餅を作るようになったそうです。

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白くもちもちとした見た目から、この餅を食べるともち肌になるといわれて、これも女性に人気があるようです。持ち帰って家でもいただきました。

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須賀多餅を頂きながら休んでいると日が暮れてきて、ひっきりなしに女性が懸想文を買い求めに来ていました。

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途絶えてしまった懸想文は、戦後の昭和22年(1947)頃須賀神社の節分祭に復興されました。この懸想文を鏡台や箪笥の引き出しに人に知られないように入れておくと、顔かたちが良くなり着物がふえて良縁に授かるといわれています。

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懸想文売りの服装は、当時画家であり風俗研究でも知られた吉川観方が監修しました。吉川観方は白峯神社の「小町をどり」を復興したり、鷹峯・常照寺の「帯塚「、安井金毘羅宮の「久志塚」には、「吉川観方小直衣之像」があります。

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一方、綴じられている懸想文の中身を開けて見た方が何人かいます。本文は、そのときどきの世情や西天王社に始まる須賀神社の歴史、疫病退散の祈りなどを交えた、かなり長文の格調高い文面だそうです。

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本文の最後には返歌が添えられています。かっての恋愛は歌のやりとりで行われました。そして、毎年の決まりで、旧年の干支に因んだ名前の女性(男性)から、新年の干支に因んだ名前の男性(女性)へ送る恋文となっています。

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昨年は、「癸卯の初春 寅治郎より 卯楽良さま まゐる」となっていたそうです。

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毎年その時々の情勢を的確に記述した古文が書かれ、歌の素養も必要なことから、大学の国文学の先生が書いているという噂がありますが真偽は分かりません。

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須賀神社の節分だけ見られる懸想文売りと須賀多餅ですが、日が暮れてからも参拝客が絶えることはありませんでした。

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コメント

懸想文を買いに来る人は結構多いのですね。
いつもの怪しい衣装の人も、毎年見てると愛着を感じます。

投稿: munixyu | 2024年2月 5日 (月) 18:27

こんばんは。ゆーしょーです。
京都ではあちこちの神社で
節分の行事をしているのですね。
ここ須賀神社へも行って来たのですね。
行くのが遅く、夕暮れて来ましたね。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年2月 6日 (火) 00:38

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