« 西本願寺 その伽藍と歴史 | トップページ | 興正寺 その歴史と紅白の梅 »

2024年2月19日 (月)

西本願寺・飛雲閣 特別公開

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

Ani_3551a
※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事に続いて、西本願寺境内の南東にある飛雲閣に入りました。「飛雲閣」(国宝)は「京の冬の旅」で3月10日まで特別公開され、44年ぶりだそうです。上の「衡閣門」を入ると、3層のこけら葺(ぶ)きの楼閣が現れます。

池は「滄浪池(そうろうち)と呼ばれ、楼閣は金閣、銀閣とともに「京都三名閣」と並び称されています。最初にこの池から右(西)に広がる池泉式庭園「滴翠(てきすい)園」を見ていきます。

Ani_3554a

滴翠園は、江戸時代前期(1618年)に聚楽第から飛雲閣を移した際に、苑池として造られたといわれています。本願寺18世・文如により滴翠園奉行が置かれれて整備が始まり、「滴翠園」と名付けられたといわれます。

Ani_3567a

園路の横は滄浪池にそそぐ涸流れで、途中に文如による毫塚の「乾亨主人毫塚」があります。

Ani_3599a

この涸流れの左(南)には滄浪池が伸びています(西湖)が、この日は工事をしていました。

Ani_3576a

園路の右は「艶雪林」と呼ばれ、七重石塔「俗風塔」があります。文覚上人の塔ともいわれ、江戸時代前期の寛永年間(1624-1643)に移されたといわれます。

Ani_3581a

涸流れには石橋が置かれて、飛雲閣からこちらに渡ることができます。

Ani_3588a

江戸時代中期(1768年)には2つの茶亭「澆花亭」「青蓮樹」が置かれました。

Ani_3582a

向うには待合が見えます。ここから先は通行できないようになっていて、園路を飛雲閣の前まで戻ります。

Ani_3585a

艶雪林の梅が見ごろとなっていました。

Ani_3600a

この滄浪池には流れ込む川はなく、自然の湧水だそうです。現在は池に石橋がかかっていますが、それ以前は舟で飛雲閣に出入りしていたそうで、手前の石段はかっての船乗り塲だと思われます。

Ani_3608a

右は「黄鶴台(おうかくだい」という蒸し風呂、その手前にむくり屋根の廊橋「擲盃橋」が見えます。池の向こうは隣の興正寺の塀です。

Ani_3647a

滄浪池を回り込んで、飛雲閣の正面に行きます。

Ani_3645a

初層の左の「舟入の間」は唐破風屋根、右端(西)の招賢殿は入母屋、載り反り屋根になっています。二層の歌仙の間は、三方に唐破風屋根でむくり(上向きの曲線)になっています。

Ani_3617a

北の舟入が正面玄関となっていて、その左(東)に茶室「憶昔席(いくじゃくせき)」が造られています。

Ani_3613a

憶昔席へはこちらの木の「踏花塢(とうかう)橋」を渡っていくことができ、途中に中門と待合があります。塀の向こうは本願寺の鐘楼です。

Ani_3612a

木橋のところから坂道を上った高台にあずまやの「故蝶亭」があります。江戸時代中期に制定された「滴翠園十勝」の一つに数えられています。

Ani_3625a

他は、飛雲閣、滄浪池、龍背橋、踏花塢(龍背橋の出島付近)、嘯月坡(しょうげつは、滄浪池の堤付近)」、黄鶴台、艶雪林、醒眠泉(せいみんせん、湧水)、青蓮榭(西の茶室)が挙げられています。

Ani_3635a

故蝶亭から飛雲閣の三層がよく見えます。三層は8畳あり「摘星楼(てきせいろう)」ともよばれ、楼内から星が掴めるほどの視界があったとされます。かつては比叡山を望むことができたといいます。

Ani_3633a

手前が「踏花塢」。飛雲閣は1951年に国宝、滴翠園は1958年に名勝に指定されました。この後、西本願寺の唐門と、隣の興正寺を訪れました。

Ani_3641a

お帰りの前に、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Ani_3654a

|

« 西本願寺 その伽藍と歴史 | トップページ | 興正寺 その歴史と紅白の梅 »

コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
西本願寺にはこのような立派な庭園があるのですね。
東本願寺の庭園へは2回行ったことがありますが、
西本願寺の庭園は知らなかったです。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年2月20日 (火) 02:55

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 西本願寺 その伽藍と歴史 | トップページ | 興正寺 その歴史と紅白の梅 »