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2024年2月 3日 (土)

吉田神社 節分前夜祭 2024

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日は吉田神社の節分前夜祭に行ってきました。吉田神社の節分祭は室町時代に行われて以来、信仰と伝統を誇る京都の一大行事です。東大路から吉田神社の参道は露店が並んでいます。

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吉田神社の節分祭は2月2日~4日の期間に行われ、例年50万人が訪れるといわれています。今日はそれぞれの露店の説明はありませんのであしからず。

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2月2日には本宮・大元宮で「節分前日祭」、大元宮中門で「疫神祭」、本宮前 舞殿で「追儺式(鬼やらい神事)」が行われました。  

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午後3時頃、6時から行われる追儺式に先立って、ほら貝の音を鳴らしながら3匹の鬼が吉田山から下りてきました。私は一の鳥居の前で待ち構えていました。

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追儺式で追い払われる3匹の鬼は、赤鬼が怒り、黄鬼が苦悩、靑鬼が悲しみを象徴しているそうです。

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追儺式の前に鬼が現れて暴れるのは、災疫がはびこる世の中を象徴しているのだと思われます。

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平安神宮の追儺式では、鬼たちが観客を威嚇しながら都を象徴する大殿に駆け上がって占拠します。その後、市民の豆撒きによって追い払われます。

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この時現れた三匹の鬼は、観客を威嚇しながらも愛そうがよくて、記念撮影に応じてくれます。夜の追儺式のデモンストレーションも兼ねているのでしょう。

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東大路の方に向かっていった鬼たちは、しばらくすると引き返して、吉田山の方に帰っていきました。

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本殿にお参りするために二の鳥居まで来ると、ここでも鬼が暴れていました。

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石段を上って本宮前の広場には、拝者が持参した古い神札を納める火炉が設置してありました。3日の火炉祭では、それらに宿る神霊が元の御座に戻る様に、浄火で焚き上げます。

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吉田神社の福豆は、豪華な賞品が付いていることでも知られます。おそらく最も高額な賞品はネッツトヨタヤサカ ㈱ が協賛したトヨタヤリス だと思われますi。

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こちらは授与所で、各種のお守りに加えて節分にちなんで「節分面一式」、「節分神符一式」、「疫神斎」が授与されます。疫神斎とは疫神祭が斎行されたことを示す証し(神符)です。

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本宮には健御賀豆知命(たけみかづちのみこと)、伊波比主命(いはいぬしのみこと)、天之子八根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ)が祀られています。厄除、開運、学問、良縁などのご利益があるとされます。

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本宮横で抽選券つきの福豆を頂きました。2月5日に抽選会が行われ、その後インターネットや京都新聞で結果が発表されます。

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この後、もう一つの斎場の大元宮に向かいました。途中にある鹿の像、この日は行列ができていました。体の悪いところを撫でるのだと思われ、頭が光っていました。吉田神社は奈良の春日大社の神を勧請したもので鹿は神の使いです。

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大元宮に上る参道の途中に「菓祖神社」があります。果物の橘を日本に持ち帰ったとされる田道間守命と、日本で初めて饅頭をつくったとされる林浄因命を菓子の祖神として祀っています。

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ここでは大豆を淹ってつくった豆茶の接待がありました。

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ところで、「節分」とは立春・立夏・立秋・立冬の前日を意味し、その中でも立春の前日としての節分では、平安時代に追儺(ついな)、鬼遣(おにやらい)と呼ばれた宮中行事が行われました。大元宮への参道に戻ります。

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元々は旧暦の12月の歳事で、冬から春に転じるときで変化が大きく、疫鬼が民に病や災禍をもたらすとされていました。

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そこで疫鬼を駆逐し、古い年を送り、新たな年、春の陽気、吉福を内に迎えるために、宮中で追儺・鬼遣の行事が行われました。

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その儀式では、大舎人が黄金四つ目の仮面を被り、玄衣朱裳を着装し、盾矛をとって「方相氏」となり、小童を多数従えて、陰陽師が祭文を奏します。

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その後、方相氏は大声を発し盾を打つこと3度、群臣呼応して舞殿を巡ります。最後に上卿以下殿上人が桃弓で葦矢を放ち、疫鬼を追い払います。

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現在の節分では豆を撒いて鬼を追い払いますが、その正確な起源は明らかではないそうです。(大元宮の前の広場にきました。)

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ただし、漢代の中国では節分の日に厄除けや魔祓いのために小豆や五穀を撒く風習があったそうで、日本でも平安時代には「散米」といって米を撒く風習が広く見られたそうです。

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室町時代には節分の日に都の公家や武家が豆まきをして鬼を追い払ったという記録が残っているそうです。大元宮の鳥居

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大元宮の前に「厄塚」築かれ、厄神や心に潜む鬼を塚に封じ込め、社殿と繋がった注連縄により八百万の神の力を借りて一年の健康を祈ります。

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大元宮には八百万の神が祀られています。

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こちらの授与所で方相氏の置物を頂きました。方相氏は宮中で鬼を追い祓う役目で、節分の行事が公家や一般庶民に広がるときに鬼を追い払う役目が豆になりました。方相氏と福豆で二重に鬼を払うことができると考えました。

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帰りの参道でいつものようにみりん粕の「こぼれ梅」を買いました。

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一の鳥居の前のコンピューター占い、行列ができていました。最後の「唐記麺坊」は点心を販売している露店で、東寺の弘法市では有名です。

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コメント

大元宮の途中の鹿の像。
そうですねえ。ノドの少し下のところを、撫で続けたいです。
ここは物凄く大事なところで、冬になると厄介でいつも困っています。

投稿: munixyu | 2024年2月 3日 (土) 17:50

こんばんは。ゆーしょーです。
吉田神社は節分の日に賑わうのですね。
節分前夜から賑わっていますね。
節分の豆まきをしたのでしょう。
和歌山では紀三井寺が節分の
豆まきで賑わいます。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年2月 4日 (日) 01:55

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