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2024年2月10日 (土)

相国寺の境内を歩く 東部

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日、光源院の特別公開に行ったとき、相国寺の境内を見て回りました。あたらめて総門から出発します。下は相国寺の境内図で、今日はその東部を歩きます。右下には山外塔頭の「銀閣寺」が書かれていて東へ4㎞だそうです。

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「玉龍院」 南北朝時代の1388年、足利義満が太清宗渭(そうい)を相国寺に迎請するためその禅室として創設、開祖をその法弟の雲溪支山(うんけいしざん)としました。太清和尚は相国寺第4世、雲溪は第5世となり、ともに雪村友梅禅師の法系です。

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江戸時代中期の天明の大火(1788年)によって焼失しましたが、良谷恵譲(りょうこくえじょう)によって中興されました。昭和5年(1930)現在の場所に移りました。

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「光源院」 先日「京の冬の旅」での特別公開を記事にしましたので説明は省略します。予定されていた特別公開が1月21日から休止となりましたが、2月2日から再開されています。あらたに3月3日が休止日となりました。

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総門からの参道から東門の方(右)に向かいます。

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途中にある「林光院」は足利義持の弟、義嗣の菩提を弔うため、夢想国師を勧請開山として創建されました。勧請開山とは、寺院を創始した僧侶が、師への尊崇の念から自分ではなく師を開山としたものです。

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維新後の廃仏毀釈の中で明治7年に廃寺となりましたが、大正8年に相国寺派管長の橋本獨山(どくざん)によって再建されました。本堂、書院などの建物は仁正寺(にしょうじ)藩市橋家(滋賀県)の藩邸を買い取り移築したものです。

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5年前の京の冬の旅で特別公開され、藤井湧泉による猫のような虎の襖絵が、ガイドブックの表紙になりました。湧泉は1964年中国に生まれて京都市立芸術大学に留学、1994年に藤井伸恵さんと結婚、一休寺や高台寺圓徳院の障壁画などを描いています。

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相国寺の東門の外に林光院の境外墓地があり、幕末の「蛤御門の変」、「鳥羽伏見の戦い」で戦死した72名の薩摩藩士が葬られています。林光院と薩摩藩・島津家との関係は関ケ原の戦いにさかのぼります。

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西軍が総崩れとなり敗色濃厚の中、島津義弘が両陣営の中央を突破し伊賀に隠れ、大阪の豪商田辺屋今井道與が潜伏先から海路護送して無事薩摩に帰国させました。

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この功績によって、道與は摩藩秘伝の調薬方を伝授され現在の田辺製薬の始まりとなりました。後に、道與の嫡孫乾崖梵竺が林光院5世住職となり、義弘が自ら造った僧形像とその位牌が林光院に移され、その供養を続けてきました。

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幕末には薩摩藩邸が相国寺境内につくられ、蛤御門の変では薩摩藩兵がその藩邸から出陣し、戊辰戦争では相国寺塔頭の養源院が野戦病院となりました。戦死した薩摩藩兵が林光院の墓地に葬らたのは当然のなりゆきでした。

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もう一度相国寺の境内にもどり鐘楼の「洪音楼」天明の火災で焼け、寛政元年(1789)古鐘を買って仮楼にかけ、天保14年(1843)現在の層楼を建造しました(京都府指定有形文化財)。全国でも珍しい大型の袴腰付鐘楼です。

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「大通院」 かって伏見にあった大光明寺(現在相国寺塔頭)の境内に、伏見宮始祖大通院宮栄仁親王の菩提所として建てられました。1600年代初めに大光明寺とともに相国寺山内に移されました。

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現在は相国寺修行道場「専門道場」を兼ねていて、坐禅堂は四方単の大規模な禅堂で、日夜雲水(修行僧)が坐禅や托鉢に励んでいるそうです。山門は開いていますが立入禁止の看板があります。

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「宗旦(そうたん)稲荷社」 大通院の前(鐘楼の裏)にあり稲荷社には「宗旦狐」の伝承があります。 江戸時代の初め、相国寺境内に一匹の白狐が住んでいました。

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その狐はしばしば茶人・千宗旦に姿を変え、時には雲水にまじり坐禅をくみ、また時には寺の和尚と碁を打つなどして人々の前に姿を現していました。宗旦になりすました狐は、近所の茶人宅へ赴いては茶を飲み菓子を食い荒らすことがたびたびでした。

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ある時、宗旦狐は塔頭・慈照院の茶室びらきで、点前を披露していました。遅れてきた宗旦はその見事な点前に感心しました。 宗旦狐は店先から油揚げを盗み、追いかけられ井戸に落ちて死んだとも、猟師に撃たれて命を落としたとも伝えられています。

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化けていたずらをするわけでなく、人々に禅を施し喜ばせていたという宗旦狐の死を悼み、雲水たちは祠をつくり供養しました。それが今でもこの宗旦稲荷として残っているのだそうです。

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「弁天社」 祀られている弁財天は御苑内の久邇宮邸の守護神が、東京移転の際に寄進されたものです。

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「開山堂」 開山の夢窓国師の木像を安置していて、境内で最も大切なところだそうです。応仁の乱(1467)の兵火で焼失し、寛文6年(1666)後水尾天皇が、皇子桂宮第3世穏仁親王のために再建しました。

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「承天閣美術館」 昭和59年相国寺創建600年記念事業として建造されました。相国寺や塔頭寺院に伝わる美術品を受託し、その保存および展示公開、修理、研究調査、禅文化の普及を行っています。『若冲と応挙』展を行っていました。

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庫裏「香積院」 文化4年(1807)建立、禅宗の庫裏建築に典型的な切妻妻入で、平成19年に京都府指定有形文化財。このあと、法堂と方丈の渡り廊下を横切って、境内の西にある特別公開の塔頭に向かいました。

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コメント

宗旦狐の伝承。こういうの面白いですよね。
でも、いろんなところで狐の話があるわけで、
京都には、ある程度本当にいるんだと思います。
出てきたら大変ですが、見てみたいものです。

投稿: munixyu | 2024年2月10日 (土) 14:06

こんばんは。ゆーしょーです。
相国寺の境内ってとても広いのですね。
東部だけでもこれだけの広さがあるのですから。
京都市内の寺院に占める広さは何パーセント
あるのでしょうかね。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2024年2月11日 (日) 00:03

★munixyuさん こんばんは♪
市内で狸は見たことがありますが狐はありません。でも伝承になるからには、何らかの出来事があったと思われ、気になりませう。

投稿: りせ | 2024年2月16日 (金) 01:27

★ゆーしょーさん こんばんは♪
かっての相国寺は現在の数倍も広い境内があったそうです。お寺の面積が市内のどのくらいあるか分かりません。

投稿: りせ | 2024年2月16日 (金) 01:41

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