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2023年12月 7日 (木)

天龍寺 2023秋

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事に続いて天龍寺の庭園に入りました。撮影日は11月28日で、京都の紅葉の見ごろの時期は過ぎていますがブログではもう少し紅葉が続きますのでよろしく。

「天龍寺」は山号を霊亀山(れいきさん)、正式名称を天龍資聖禅寺(ししょうぜんじ)という臨済宗天龍寺派の大本山です。平安時代初期、この地には嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子が開いた檀林寺がありました。右に「大方丈」があります。

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その後の鎌倉時代中期、荒廃した檀林寺の跡地に後嵯峨天皇とその皇子・亀山天皇が離宮を営み「亀山殿」と称しました。昨日の記事の最後で、門越しに御陵を見た二人の天皇です。大方丈の前庭の正面は唐門。

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この庭は簡素な枯山水で、紅葉はありません。ただし、大方丈を通して後ろ(西)にある庭園を見ることができ、ちょっぴりお堂からの眺めが体感できます(TOPの写真)。

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大方丈の裏(西)にある「曹源池庭園」、約700年前に夢窓国師が作庭、現在でも当時の面影をとどめ、わが国最初の史跡・特別名勝に指定されました。右の建物は「小方丈」、左の山は借景の亀山。

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1336年、後醍醐天皇と対立した足利尊氏が持明院統(北朝)の光明天皇を擁立して幕府を開きました。尊氏は1338年征夷大将軍となり、この年を室町幕府の始まりとする説もあります。

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曹源池を巡る池泉回遊式庭園は嵐山や亀山を取り込んだ借景式庭園でもあり、天龍寺の山号「霊亀山」は亀山にちなんでいます。寛政11年(1799)刊行の「都林泉名勝図会」に描かれた姿をよく残しているといわれます。こちらの借景は嵐山。

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正面の2枚の巨岩を立てた「龍門の滝」は、中国の登龍門の故事になぞらえたものです。通常の鯉魚石は滝の下に置かれますが、ここでは滝の流れの横に置かれ、龍と化す途中の姿を現す珍しい姿をしているそうです。

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1338年、後醍醐天皇は吉野で崩御しました。翌年、足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、大覚寺統(南朝、亀山天皇の系統)の離宮であった亀山殿を寺に改めたのが天龍寺です。

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亀山殿は、後嵯峨天皇や亀山天皇につづいて後醍醐天皇も幼少の頃を過ごし、後醍醐天皇のゆかりの地でもありました。後醍醐天皇の菩提を弔う寺院の建立を尊氏に強く勧めたのは、当時、武家からも尊崇を受けていた禅僧・夢窓疎石でした。「大方丈」

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曹源池庭園は中の島がないことが特徴とされますが、池の端の水が流れ込む場所には小さな島があります。

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お堂の拝観をした場合は小方丈から渡り廊下を通って上の多宝殿に行け、向うに見える内庭は嵐山の景観を表しています。

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無窓疎石は、鎌倉幕府が滅亡して建武の新政を開始した後醍醐天皇に招かれて1335年に臨川寺を開山、後醍醐天皇から「夢窓国師」の国師号を授けられました。この時の勅使役が足利尊氏で、以後尊氏も疎石を師と仰ぎました。「多宝殿」

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多宝殿には後醍醐天皇の尊像が祀られています。現在の建物は昭和初期の建立ですが、後醍醐天皇の吉野行宮(あんぐう)時代の紫宸殿の様式を伝えています。後醍醐天皇は南朝のあった奈良県吉野の塔尾陵に葬られています。

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一方で、夢窓疎石は幕府の重臣・中原親秀に請われて西芳寺を中興。尊氏は、天龍寺を創建するとともに全国に安国寺を建立し利生塔を設置しました。(向うは曹源池の背後を通る帰路の一つです。)

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天龍寺の建設資金を調達するため、疎石は天龍寺船の派遣を尊氏に献策しました。(私はいつものように展望台に上ります。)

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無窓疎石は1351年に死去し臨川寺に葬られました。臨川寺は亀山上皇の離宮の別殿「川端殿」に建てられ、現在は天龍寺派の寺院です(非公開)。展望台に来ました。

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無窓疎石の教えは、純粋禅ではなく日本の伝統的仏教である天台宗や真言宗とも親和性がある折衷主義的な試みであったといわれます。(展望台から先ほど通った多宝殿が見下ろせ、春は枝垂れ桜が綺麗なところです。)

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展望台は「望京の丘」と呼ばれ、天龍寺の伽藍越しに、市内中央部や比叡山から東山三十六峰が見渡せます。左が比叡山、右は大文字山です。下は落葉した枝垂れ桜が続きます。

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展望台は山腹を北に向かい、ここから北の庭園「百花苑」に下ります。一方、展望台には上らずに多宝殿の左から百花苑に行くこともできます。

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「平和観音」夢想国師は、母親が観音菩薩の夢を見て国師を生んだことから観音菩薩を信仰していたそうです。そして、夢想国師が南北両朝の和平に尽力したことにちなみ、この像を平和観音とよぶようになったとか。観音像の前は「愛の泉」。

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百花苑は四季を通して様々な花が咲きます。とりわけ春に咲く花が多く、このときは嵯峨菊がひっそりと咲いていました。

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無窓疎石は禅庭・枯山水の作庭家としても名高く、天龍寺と西芳寺(苔寺)の庭園は国の特別名勝に指定、世界遺産にも登録され、永保寺、瑞泉寺、恵林寺の庭園は国の名勝に指定されています。

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「硯石」 明治32年(1899)に日本画家・鈴木松年が法堂に雲龍図を描いときに使ったもので、60人の僧がこの硯で墨をすったといいます。石碑のように見えて、あまり気に留める方はいません。

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この日は百花苑を通って北門から竹林の小径に出ました。このあと常寂光寺の方に向かいます。

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コメント

ここの紅葉の赤は、落ち着いた上品な赤ですね。
同じ赤でも、いろんな赤に出会えるのが紅葉の楽しいところなのかも。
毎年、何百何千の赤に出会っていると思います。

投稿: munixyu | 2023年12月 7日 (木) 17:35

こんばんは。ゆーしょーです。
天龍寺の庭の池を曹源池というのでしたね。
曹源池の後ろの小さな丘を巡りました。
ここも4年前に行ったのが最後になるかも
知れません。   ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2023年12月 7日 (木) 23:15

今日のポチ♪2です。

投稿: ゆーしょー | 2023年12月 8日 (金) 00:15

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