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2023年12月12日 (火)

永観堂 紅葉の伽藍をめぐる

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日、若王子熊野神社を訪れたあと永観堂にきました。撮影は紅葉の真っ盛りの12月1日で、山門付近は大混雑でした。既に市内の紅葉の多くは見頃を過ぎていますが、もう少しだけ写真がありますのでお付き合いくださると嬉しいです。

「永観堂」は、正式名称を禅林寺という浄土宗西山禅林寺派の総本山です。

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下は参道の途中にある塔頭の「智福院」、特別拝観をしていて五劫思惟阿弥陀仏(アフロ仏)が見られたそうです(12月3日まで)。

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平安時代(853年)に空海の弟子・真紹(しんじょう)が藤原関雄(せきお)の東山山荘を譲り受け、尊像を安置して真言宗の道場としたのが永観堂の始まりです。中門では拝観券のチェックがあります。

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『古今集』に真紹の徳を慕っていた藤原関雄が詠んだ歌が残っています。「奥山の岩垣紅葉散りぬべし、照る日の光、見る時なくて」、当時から永観堂は紅葉の名所だったようです。

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平安時代の承暦年間(1077-81)に第7世として永観(ようかん)が入寺、浄土念仏も学べる兼学道場としました。鎌倉時代初め、真言宗の静遍僧都は法然の念仏を批判するために著書を読むうちに自分の間違いに気づき、永観堂を浄土宗の寺院としました。

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さらに、鎌倉時代中期の1253年、浄土宗西山派開祖・證空(しょうくう)の弟子・浄音が入寺して17世となり、浄土宗西山禅林寺派の本山となり、現在に至ります。「大玄関」からお堂に上がります。

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庭の紅葉だけを見て帰る人が多いのですが、お堂からの眺めもオススメです。下の見取り図で赤線が拝観順路で、色がついた建物を巡り阿弥陀堂まで行きます(多宝塔は後で登ります)。

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大玄関を入ると正面に内庭があります。この庭の周囲を、左の古方丈、正面右の瑞紫殿、右の釈迦堂(方丈)の順に回ります。建物の内部は撮影できません。

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古方丈は寛文6年(1666)に建立され書院として使用されました。狩野元信や原在明(ざいめい)の襖絵があります。孔雀の間の左右の欄間にはそれぞれ5羽の雀が描かれたといわれますが、右の欄間の雀が1羽足りません。

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雀があまりに見事に描かれていたので、1羽が飛び去ってしまったといわれています(上の写真、抜け雀)。下は古方丈から内庭。

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応仁の乱で永観堂も伽藍の大半が焼失してしまいました。ところが、かつては伝法堂と呼ばれた瑞紫殿に安置されていた阿弥陀如来坐像だけは右手が焦げただけで、焼け残ったそうです。下は瑞紫殿の前から、

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寺伝によると、この像は弘法大師が火除けの願を掛けて彫刻したとされ、今でも火除けの信仰を集めています(火除けの阿弥陀如来)。下は釈迦堂からみた古方丈。

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こちらの「方丈」は本堂に次いで古いとされ、釈迦三尊像を安置したところから釈迦堂とも呼ばれます。中央の勅使門は江戸時代後期の1830年に建立され、四脚の唐門、京都府指定文化財。ここは釈迦堂の前(西)庭になります

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ところで、永観堂の名の由来となった第7世・永観(1033-1111)は、禅林寺境内に「薬王院」という施療院を建て、窮乏の人達の救済活動を行いました。

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永観は山内に梅林を育てて「悲田梅(ひでんばい)」と名づけ、窮乏の人達の薬食の一助にと果実を施しました。釈迦堂の隅にその名残の「悲田の梅」があります。境内でも重要な木だと思われますが、気付く人はあまりいません

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また、病人の浴室として「温室(うんしつ)」を設け(大玄関の左から行けます)、薬王院に阿弥陀像を安置して末期の人々の最期を見送りました。釈迦堂の南庭、苔地に池や枯山水もあり、こだわりのない自然な雰囲気です。

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「千佛洞(せんぶつどう)」。もともと千佛洞とは敦煌のように岩をくりぬいて造った石窟寺院群を表すのだそうですが、こちらは丈夫な壁でできた宝蔵です。

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永観は、18歳から日課として一万遍の念仏を称え、後には六万遍もの念仏を称えたとされ、自ら「念仏宗永観」と名のったそうです。御影堂に向かう渡り廊下から多宝塔に登る石段が見えます。

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永観は一時衰微していた寺を興隆させ中興開山と呼ばれました。その遺徳をしのび禅林寺は永観堂(ようかんどう)と称されましたが、いつしか「えいかんどう」とよばれるようになりました。御影堂の外縁から。

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「御影堂(大殿)」は近代(1912年)に建立されたものです。宗祖・法然と唐代浄土宗大成者の善導大師立像を祀っています。

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御影堂の南の外縁から、紅葉の間から一段高い場所にある阿弥陀堂が見えます。

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御影堂の外縁を一周して東(山側)に行くと、渡り廊下が三差路になっています。中央に水琴窟があり、ここから左右に廊下が続きます。

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左の「臥龍廊」は室町時代の1504年に造られたらせん階段でかなり急です。ここを上るとお堂の中で一番高いところにある開山堂に行けるのですが、危険とのことで通行できません。以前に上ったのは貴重な体験かも知れません。

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三差路から右の階段を上ります。永観堂のお堂は斜面に建てられていて、拝観順路は次第に上の建物をめぐるようになっています。そのため、大玄関で履物を手にして、一番上のお堂から庭に下ります。

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階段を上ったところにある「位牌堂」、開山以来の住持や高僧の位牌を祀っています。こちらも正面から撮影はできません。

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「阿弥陀堂」は江戸時代初めの1607年に豊臣秀頼が大坂の四天王寺の曼荼羅堂を移築したもので、京都府指定文化財。本尊の「阿弥陀如来立像」(重文)は「見返り阿弥陀」とも呼ばれ、伝承があります。

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この像は東大寺に秘蔵されていましたが、「衆生済度こそ本願であり宝蔵にしまっておくのはもったいない」と、永観が東大寺別当職を辞して像を背負って京に向かいました。東大寺の僧が取り戻そうと追いかけきても、像は永観の背に取り付いて離れませんでした。

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この阿弥陀如来はいつものようにお経を読みながら歩く永観につきあいました。しかし、その速度が遅いので「永観遅し!」といって見返ったままこの姿になったとも伝えられています。

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上の写真は、阿弥陀堂より上の斜面にある鐘楼。最後の写真は順路の途中にあった3本に分かれた松葉で、智恵、慈悲、真心を象徴して三鈷の松といわれます(持ち帰えり自由)。ここからお堂を出て庭に向かいます。

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コメント

こうして見ると、植物は強いですよね。
異常気象でも、綺麗に紅葉できるわけで。
人は、温暖化でふらふらになってるのに。

投稿: munixyu | 2023年12月12日 (火) 14:07

こんばんは。ゆーしょーです。
永観堂へは、正月に銀閣寺から哲学の道を
歩いた時に寄ったような記憶があるのですが、
数十年の昔のことなので忘れてしまいました。
紅葉がメチャきれいですね。
観光客が多いので交通整理をしていますね。
嵐山の紅葉しか知らなかったですが、京都には
いたるところに紅葉の名所があるのですね。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2023年12月13日 (水) 01:07

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