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2023年11月16日 (木)

比叡山延暦寺 横川地域 前編

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事ではシャトルバスで延暦寺の横川地域まで来ました。「横川(よかわ)」は、 西塔から北へ4kmほどのところにあり、第3世天台座主の慈覚大師・円仁によって開かれた地域です。「拝観受付」

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下は横川地域の地図で、左下が駐車場・拝観入口です。山上ですが、全体としてそれほど高低差はありません。

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参道の左には横川地域にゆかりのある宗祖や名僧の生い立ちを描いた看板が並んでいます。「祖師御行績絵看板」というそうです。

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道元禅師は3歳のときに父を8歳のときに母をなくし、世の無常を感じて出家を志します。14歳のときに横川般若谷千光坊に入り、70世天台座主公円僧正について得度しました。後に正法眼蔵を著し、曹洞宗の宗祖となりました。

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親鸞聖人の父は藤原氏の流れをくむ日野有範で、9歳のときに叔父に付き添われて三条白川の慈円和尚のもとで出家しました。比叡山に登り、横川で学僧となって修行、各地で布教しました。越後へ流罪の後、教行信証を著し浄土真宗の宗祖となりました。

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日蓮聖人は11歳のときに出家、比叡山横川の定光院を住居として勉学に励みました。そして仏教の神髄は法華経にあるという結論に達し法華宗(日蓮宗)の宗祖となりました。立正安国論を唱えて様々な迫害をうけるも布教を続けました。

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小さな池のほとりに「龍ヶ池弁財天」祀られています。かつて大蛇が坂本や仰木に現れ、悪事を働いたといいます。18代天台座主元三大師・良源が、神通力があれば大蛇になれというと、大蛇は大きくなってみせました。

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今度は小さくなりこの手の上にのれというと一寸足らずになり、良源は蛇を握り潰しこの池に封じ込めたといいます。後にこの地に弁財天が祀られたときに、蛇はその使いなったという伝承があります。

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池の前に「横川中堂」があり、横川の本堂にあたります。舞台造りで、外観は遣唐船が浮かんでいる姿に似せて造られているとされます。

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横川中堂は平安時代の848年、円仁により建立されましたが、信長の焼き討ちにより焼失。1584年豊臣秀吉が再興、1604年淀殿により改修されました。昭和17年(1942)に落雷により焼失して昭和46年に現在の建物が再建されました。

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堂の中央部が2m程下がっていて、そこに本尊として円仁作と伝えられる聖観音菩薩が祀られています。

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慈覚大師・円仁は横川の地に隠棲して根本如宝塔を建てるなどして横川の基礎をきずきました。その後唐にわたる時に大風で船が難破しかけたときに観音菩薩に救われたといわれています。

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帰国した円仁は、観音菩薩の力に感銘してここに祀ったのが横川中堂の始まりとされています。このいきさつが、横川中堂の前の絵看板(上)に描かれています。

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「赤山宮」 円仁は勅許を得て唐にわたり、中国の赤山で学びました。そのとき、新羅明神を留学中の仏法研究の守護神として受持しました。10年間の修行が無事終了したので、帰国後にこの地に新羅明神を祀ったとされます。

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「一念寺跡」 かつて横川中堂のそばに政所(まんどころ)が置かれ、横川の事務を行っていましたが、台風による倒木で倒壊したといいます。

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「平和地蔵菩薩」 天台宗では毎年青少年への布教活動の一環として小中学生を対象に天台青少年比叡山の集いを開催しているそうです。この地蔵菩薩は平成27年(2015)の記念です。

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横川中堂の前から鐘楼に至る参道の両側に西国三十三か所の石仏が祀られています。下は第30番竹生島、神の住まう島といわれ、全体が神仏習合の霊場となっています。

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振り返って、横川中堂が遠くになりました。

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「虚子之塔」 昭和28年(1953)に建立された高浜虚子の生前墓で、没後に遺骨が分骨されました。俳人で小説家である虚子は、比叡山をこよなく愛し何度も訪れ、一念寺に籠り小説『風流懺法』を書きました。

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比叡山を詠んだ俳句が90首以上あるそうで、この句碑には「清浄な月を見にけり峰の寺」

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参道の突き当りに横川鐘楼があります。ここから右に行きます。

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「秘宝館」 良源や源信が住した恵心院の旧地といわれています。工事中でした。

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「承陽大師御霊跡 従是下 一丁半」と刻まれた碑。承陽大師は明治天皇が道元に贈った大師号で、この下に得度した旧地があります。

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「恵心院」 恵心僧都源信の旧跡です。恵心僧都は平安中期の天台宗の僧侶で、学才に恵まれ浄土教だけでなく幅広い分野で著作を残しています。

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源信はこの地で『往生要集』や『二十五三昧式』などを著わし、後の浄土宗や浄土真宗などの源となる日本浄土教の基礎を築きました。ここは平安中期に開かれた念仏昧の道場で、後に恵心院と呼ばれるようになりました。

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『源氏物語』の「賢木」の巻で、光源氏は天台座主により受戒し横川僧都によって剃髪します。「手習」の巻では、三角関係に悩んだ浮舟が入水しようとして、横川の「なにがしの僧」に救われて尼となます。これらの僧は源信がモデルだといわれています。

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恵心院からもう一度鐘楼の方に引き返し、その向うにある元三大師堂に向かいました。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
比叡山では、平安末期から鎌倉時代はじめにかけて、
法然・栄西・親鸞・道元・日蓮といった各宗派の
開祖たちが学んだのですね。
僕は歴史の勉強が足りないといつも思っています。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2023年11月17日 (金) 01:52

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