白沙村荘 2023秋
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
昨日の記事につづいて、銀閣寺バス停前にある白沙村荘に入りました。TOPは北門で正面に受付があります。
「白沙村荘(はくさそんそう)」は、日本画家・橋本関雪が制作を行うアトリエとして造営した邸宅です。約1万平方メートルの敷地内に大正から昭和初期に建てられた建造物や、平安から鎌倉にかけての石造美術品が散在しています。
上は拝観受付の横にある待合、下は受付で頂いたパンフレットの見取り図です。赤線で描かれている拝観順路にほぼ従って、芙蓉池の東を通って右回りに庭園を巡ります。
待合の裏、敷地の東北の隅に鎮守社の「石造八幡宮」があります。この辺りから始まる小川が「芙蓉池」に流れ込みます。
「国東塔」鎌倉初期のもので、おそらくは国内に現存する最大の五輪塔。静御前の供養塔と伝えられ、関雪が別府に赴いた際に見出し白沙村荘まで運んだものです。静御前は、源頼朝と対立した義経に従って九州に落ち延びます。
伝承によると、静御前は宗像氏能の計らいで、勝浦村・勝田の地に移住して臼杵太郎を出産。息子は大分県の大友氏に仕え、静御前は義経を探しに京都に上洛したとあり、この塔はその息子が静を偲んで建立したといわれています。主屋の「瑞来山」
しばらく行くと、石橋と門があります。石橋は「大阪講元」の銘が刻まれた江戸期のもの、「東門」は1918年の建造で、以前は鉄板の屋根でしたが、景観に配慮して数年前に檜皮葺と瓦に変えられました。
関雪は自身の美意識に基づいて、当時水田が広がっていた銀閣寺畔、浄土寺・鹿ヶ谷村に1914年から1944年の30年間にわたって自ら設計と作庭を行い、土石草木の一切を運び入れて邸宅を造り上げました。庭園の入口の木戸
関雪は最初に北半分の敷地を手に入れ、自ら指揮してこの池を造って一旦庭を完成させました。庭園は芙蓉池を中心とした池泉回遊式庭園になっています。
昭和5年(1930)には南側の敷地も入手して、北の庭とつなげるように池を拡張して、集めた石造品を配置しなおしました。拡張した池(写真の左手)は「瑞月池」と命名しました。
瑞月池には向かい合って建物があり、向うにもう一つの石橋が見えます。周囲のカエデが綺麗に紅葉していました。
東側は茅葺きの四阿(あずまや)「如舫亭(にょほうてい)」で1917年建造、1932年に移築されました。茅葺屋根の上に貝殻がのっているのは、火事を防ぐまじないのようなものだそうです。
池の向こう(西)は1933年に夫人のために建てた茶室で、左は「憩寂庵(けいじゃくあん)」、右は「倚翠亭(いすいてい)」これらは2009年に焼失して2012年に再建されたものです。
憩寂庵の前(南西)にある「但馬国分寺礎石蹲(つくばい)」、鎌倉時代のものです。
上の見取り図に描かれた拝観順路とは異なり、二つの茶室の前(東)を通って、「存古楼(ぞんころう)」にきました。1919年建造で、関雪が展覧会出品作品などの大作の制作をおこなったアトリエです。普段は自由に入ることができます。
東の芙蓉池の光を光源として設計されており、上のすりガラスの窓からの柔らかい間接光が室内を照らします。1917年から1945年までの関雪の大作屏風のほとんどがこのアトリエで制作されたそうです。
こちらは存古楼の前から芙蓉池、右の石橋の向こうが瑞月池、正面の木立を通してかすかに大文字山が見えます。
存古楼の南にある「夕佳(ゆうか)門」、庭園の東と西を分かちます。
桃山時代の「観音石幢」 石幢(せきどう)は石塔の一つで、六角または八角の石柱と、仏龕(ぶつがん)・笠・宝珠などからなり、中国から渡来し、室町時代以降のものが多いそうです。八角の面に観音像が浮き彫りされています。
向うの「持仏堂」は1919年に建立され、橋本家の本尊「地蔵尊立像」(重文、鎌倉期)を祀っています。関雪夫妻の命日(2月26日、4月14日)に開帳されるそうです。右手前に平安期の「旧富田林八幡宮七重層塔」があります。
前にある大きな鞍馬石には、呉昌碩(ごしょうせき)の篆刻「鬱勃縦横」が刻まれています。昌碩は、中国の清朝末期から近代にかけて活躍した詩人、画家、書家、篆刻家で、清代最後の文人といわれ、全てに秀でていたので「四絶」と称賛されました。
芙蓉池から持仏堂の裏を小川が流れて「浄土池」となります。その対岸の石の上に小さな石像がありました。
浄土池にかかる石橋を渡って庭園の北西部にいきます。白沙村荘は戦後米軍家族の住宅として接収され、返還後に多くの文化人などの力により復興してきました。
北の竹やぶにある「藪の羅漢仏」、表情が豊かな羅漢像が並んでいます。下の石板には仏像が刻まれえいます。
現在、白沙村荘では再び建物の修復や庭の整備が必要な時期となり、それらの文化財を保存するため「羅漢会」を作って多くの人々の協力を仰いでいるそうです。
藪の羅漢仏の前から持仏堂、紅葉に覆われていました。
敷地の西端に2014年開館した「橋本関雪記念館MUSEUM」があります。現在、白沙村荘秋季展が開催されていて関雪の名品が見られます。それらは別の機会に紹介するとして、明日は昨日訪れた嵐山・嵯峨野方面の記事の予定です。
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コメント
約1万平方メートルって、凄い規模ですね。
途中で迷うような気がしてしまいます。
京都は、とてつもなく広いところが多いですが、
昔の名残りなのでしょうね。規模に驚きます。
投稿: munixyu | 2023年11月29日 (水) 15:22
こんばんは。ゆーしょーです。
白沙村荘という隠れた名所があるのですね。
嵯峨野の大河内山荘は知ってましたが、
白沙村荘は初めて知りました。
あずまやを四阿とも書くのですね。
初めて知りました。
僕はいつも東屋と書いていました。
ポチ♪2
投稿: ゆーしょー | 2023年11月30日 (木) 01:03