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2023年11月 4日 (土)

安祥院 日限地蔵と木食上人

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※写真は全てクリックで拡大します。

五条坂を茶わん坂の分岐点から少し上ったところに安祥院があります。門前の石標は「日限地蔵尊」(右)と「梅田雲濱先生墓 當院内」(左)。「安祥院」は山号を東山という浄土宗鎮西派の寺院で、通称を「日限(ひぎり)さん」といいます。

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平安時代中頃の942年、朱雀天皇の勅願によって、天台座主・尊意僧正が乙訓郡に大薮山仁王護国院を創建したのが始まりとされます。その後荒廃、鎌倉時代に再興され寺号が安祥院と改められました。

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南北朝時代(1336-1392)の兵火などにより再び衰退しました。山門を入った左に京都市保存樹の「ヤマザクラ」があり(上)、山門の右に塀に沿って通路があります。

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江戸時代中頃の1727年、木食正禅養阿(もくじきしょうぜんようあ)上人が、この五条坂に安祥院を再建しました。通路の奥に「大弁財天」が祀られています。

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木食上人は、1678年に丹波保津村の郷士の家に生まれ、幼くして父を亡くし、銀座(京都)の手代を経て、24歳で泉涌寺雲竜院で出家、朋厚房正禅と名乗りました。(五重石塔、由来は不明です。)

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その後の1711年、高野山に上り木食恵昌に師事し、木食(もくじき)行に入りました。木食行は五穀を断ち、草の根や木の皮だけで命をたもつ難行で、その行を修めた僧侶を木食といいます。本堂の前にお坊さんの置物、初めて見ました。

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甲賀郡安養寺(現嶺南寺)と高野山で木食大戒を修めて大阿闍梨となり、諸国行脚の旅に出ました。信濃の善光寺や美濃の国一円を行脚した後、七条大宮上るに「梅香庵」を建立して、本格的な布教を開始。「本堂」

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本堂には京都六阿弥陀の一つとされる阿弥陀如来像を祀っています。この六阿弥陀は木食上人が広めたもので説明は後で出てきます。

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当時の京都は六墓五三昧という11カ所の無縁墓地がありましたが、すべて罪人の処刑場の近くにあったので、一般の僧侶は敬遠していました。(本堂の左手に庫裏・授与所、その奥に休憩所、左にお堂があります。)

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しかし木喰上人は罪人とおぼしき無縁仏の亡霊を回向するため、寒夜も墓掘りを続けました。そして3年後の1717年に、11の墓所それぞれに南無阿弥陀仏と刻んだ六字名号碑を建立しました。(休憩所から愛宕山が見え、高台にいることが分かります。)

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それらは、度重なる兵火や天災、明治の廃仏毀釈によって行方が分からなくなりましたが、最近の調査研究で4カ所の遺跡が確認されました。昼夜の別なく洛中を廻り念仏勧進に励む上人に多くの人々が帰依しました。休憩所にお堂があります。

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そして、霊元法皇、宝鏡寺宮をはじめとする人々の浄財によって、1727年に安祥院の諸堂が落成しました。(休憩所に祀られている不動明王像は木食上人の発願によって狸谷から遷されたそうです。)

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その間、狸谷不動を建立、真如堂に丈六の金銅阿弥陀如来を寄進、行く先々で自ら刻んだ念持仏を授けたといいます。熱烈な阿弥陀信仰にもとづいて、六阿弥陀めぐり(真如堂、永観堂、清水寺阿弥陀堂、安祥院、京極の安養寺と誓願寺)を広めました。

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渋谷街道の修築工事、峠道の管理所・休憩所を建造、井戸掘り、石橋の架設、寺社の敷石などの土木工事も行いました。先ほどの京都市保存樹のヤマザクラの根本に木喰上人が道普請した、山科日ノ岡峠の車石が置かれています。

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本堂の前に、車石に用いるために西京極・佃橋(旧天神川)から移された橋桁石がおかれています。右は木食上人自筆の大日三尊光明真言碑です。

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そして、阿弥陀浄土に往生するためには地蔵菩薩の導きが必要として、「日限(ひぎり)地蔵尊」を祀りました。本堂左の地蔵堂に祀られています。

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この地蔵尊は日を限って願い事をすれば叶えてくれるといわれ、明治初め頃から多くの信仰を集めるようになりました。日限願かけとは、自ら日数を決めてお詣りをして、その期限をもって願いをかなえて下さいとお願いすることだそうです。

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この像は木食上人が造り、1730年に霊元天皇の勅願によって宮家たちが寄進した銀貨や銅鏡によって鋳造され、2.6mにも及ぶ金銅製半跏像です。写真は通称寺の会のHPからの転載。

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木食上人は1763年この安祥院で即身仏になり墓塔に納められました。北にある墓地には、尊攘派志士で儒学者・梅田雲浜(うんぴん)、勤王の志士・大高忠兵衛、種痘医・赤沢一堂、医師・赤沢寛堂、陶工・清風与平兵衛らの墓もあります。

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木喰上人没後の1787年、安祥院は4宗兼学の霊元法皇の勅願所となりました。地蔵堂の左奥に石の鳥居が見えます。

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明治の1873年浄土宗無本寺より浄土宗鎮西派に改宗、知恩院末になり現在に至ります。この辺りは鬱蒼とした樹木で覆われていて、まだ紫陽花が咲いていました。無本寺は本山を持たない寺院です。

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鳥居の向こうの祠には「荼枳尼天(だきにてん)」が祀られ、憑き物落としや病気平癒、開運出世の福徳神として信仰されています。この神は明治の神仏分離で多くの寺院で廃されましたが、有力寺院には残っています。

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さらに奥には鐘楼があり、立派な梵鐘がつるされています。

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賑やかな五条坂とは別世界の静かな境内でした。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
日限さん、京都にもあるのですね。
と言いますのも、和歌山県にもあるのです。

昨夜テレビで「ブラタモリ」を見ました。
来週は「鯖街道」とのことです。
楽しみです。ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2023年11月 5日 (日) 02:01

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