武信稲荷神社 坂本龍馬と一寸法師
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三条会商店街の散策の途中に、その南にある武信(たけのぶ)稲荷神社を訪れました。「武信稲荷神社」は平安時代初期の貞観元年(859)藤原良相(よしみ)によって創建されました。
「起上大明神(大黒社)」 七福神で有名な大黒様を祀ります。本来は大国主命ですが、大黒=大国に通じるとして同一視されてきました。名前通り、発展、飛躍、事業仕事運、財運向上等の御利益があるとされます。左は法華経の御塚。
上の写真は中央の参道の右にあり、正面の参道の正面は「拝殿」で、その前ににいろいろな置物が飾ってあります。左奥にはご神木の榎の大木が見えています。
藤原良相(813-867)は右大臣・正二位まで上り詰めた公卿で、この付近にあった邸内に藤原一族の学問所・勧学院と病人を救護する延命院を建て、神社はそれらの守護社として祀られました。
良相は幼少期から度量が広く、仏教に深く帰依していて様々な逸話があります。後に一族の藤原武信が当社を厚く信仰して現在地に社殿を整備したので、武信稲荷と呼ばれるようになりました。
本殿には、宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)、佐田彦大神(さだひこのおおかみ)、大宮能売大神(おおみやのめのおおおかみ)を祀り、商売繁昌、家内安全、健康長寿、交通安全、火難や盗難除けなどの信仰があります。
また、良相は長として一族の名付けをしていたことから、名付け・命名に所縁の神社としても知られます。さらに、豊臣秀吉が出兵の際に持参したといわれる駒形守護札(絵馬)が伝わり、必勝開運、技能上達、試験合格などの祈願も行われています。「授与所」
「宮姫社」 向うのご神木の榎に宿る弁財天が祀られています。榎は樹齢850年、平安時代末期に平重盛が安芸宮島厳島神社から苗木を移したと伝えられ京都市天然記念物。榎は「縁の木」とも読まれ、宮姫社は縁結び、恋愛の神としても信仰されています。
平成25年8月ご神木の枝が折れ落下しました。枯れ枝とはいえ処分するわけにはいかず、チェンソーアート世界チャンピオン城所ケイジ氏に彫刻を依頼しました。城所氏は枝を見た瞬間に龍の姿を感じ、見事な龍の姿に生まれ変わりました。
ご神木には坂本龍馬と妻おりょうの逸話があります。神社の南には幕府直轄の六角獄舎があり、幕末には勤王の志士が多数収容されていました。その中におりょうの父の楢崎将作が捕らえられていました。(現在では更生保護法人盟親やマンションがあります。)
おりょうは父の身を案じ、龍馬と共に何度か訪れますが、面会はかないません。そこで、神社の榎の上から様子を探ったといいます。その後、命を狙われて追われる龍馬は身を隠し、二人は離れ離れになってしまいました。
おりょうは龍馬の身を案じ行方を捜し、二人で何度も訪れた武信稲荷神社の榎に龍馬独特の字で『龍』の字が彫ってあるのを見つけました。
自分は今も生きていて京都にいるという、龍馬からの伝言でした。それを察したおりょうは二人の共通の知人を訪ねて再び出会えたといいます。神社では、二人にあやかって伝言を残したい場合は、絵馬に書いて奉納してくださいとお願いしています。
本殿の南には「伏見遥拝所」があり、伏見の御山を遙拝できます。伊勢神宮ならともかく、伏見稲荷の遥拝所はちょっと珍しいと思います。やはり、大きな商店街で商売繁盛を願う人々が多いからでしょうか。
遥拝所の右に「南末社三社」があり、左から白清大明神・七石大明神・太郎松大明神を祀っています。
本殿の裏に「釘抜き大明神」 ご神体は鉄製の釘抜きで釘抜き地蔵と呼ばれます。かつて、近くに住んだ鍛冶屋が病いになり災難にも苦しんでいました。当社の稲荷に祈り、鉄を打ったところ自然に釘抜の形になったので祀ったといいます。
以後、一家は幸運に恵まれ、体の病苦あるところをさすり釘抜をなでると「病苦を抜く」として病いも治るといわれています。本殿の右奥(北)には「北末社二社」として、金毘羅宮(左)と天満宮(右)が祀られています。
本殿の右手前の「白蛇大辨戝天」 あるとき行者の夢に白蛇の姿をした弁財天が現れ「人々を守護するために世に出る。境内十三の社となる神社に祀り信仰せよ」とお告げがありました。
夢でみた神社を探したのが当神社で、昔から白蛇が度々現れていたといいます。ここが祀るべき場所と確信した行者は、有志の人々とともに弁財天を祀り、商売繁栄、技術技芸の上達、金運上昇にご利益があるとされます。
ところで、室町時代から江戸初期の『御伽草子』をもとにした一寸法師の童謡で、「指にたりない一寸法師 小さな体に大きな望み」「お椀の舟に箸のかい 京へはるばるのぼりゆく」「京は三条の大臣殿に 抱えられたる一寸法師」・・・
主人公の一寸法師は都に上り、京で一番大きな屋敷に住み込みで奉公します。その屋敷の主の「三条の大臣殿」は、この神社を創建した藤原良相のことであるといわれています。
姫のお伴で清水寺に出かけた帰り 襲い掛かった鬼に法師は飲み込まれてしまいます。しかし、針の刀で一生懸命に胃を刺すと、鬼は法師を吐きだして逃げて行きました。置き忘れていった打ち出の小槌によって、法師は背が伸びて立派な大男となりました。
御伽草子にはその続きがあって、法師はお屋敷の娘と結婚、その噂が広まると宮中に呼び出されます。そこで貧しい両親が無実の罪で流罪となった貴族で帝とゆかりがあることがわかり、気に入られて中納言まで出世しました。
この逸話にあやかって、子供が大きく立派に育つように、また打ち出の小槌のように金運・開運・出世が叶うようにと祈願をする人が絶えないそうです。最後の写真は三条会商店街から振り返って。
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コメント
こんばんは。ゆーしょーです。
久しぶりに一寸法師の歌を歌いました。
♪指にもたりない一寸法師
小さな体に大きな望み
お椀の舟に箸のかい
はるばる京へのぼりゆく
ありがとうございました。
投稿: ゆーしょー | 2023年10月29日 (日) 00:37