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2023年9月 9日 (土)

宝ヶ池の湖畔を歩く

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日の記事の平安騎馬隊の厩舎から宝ヶ池に向かいます。右には岩倉川が流れ、途中に右手にある「北園」への橋があります。地図によると、このあたりの真下を地下鉄烏丸線が通っています。

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直ぐに左に「桜の森」が現われます。

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右手には国立京都国際会館の建物

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青葉が森を覆いつくしています。春に訪れたことがないのですが、美しいことが想像できます。

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今まで歩いて来た道から、ところどころに松ヶ崎山に登る山道があったのですが、こちらは広い道(山間園路)で、尾根を越えて松ヶ崎小学校まで行けます。ただし、途中にある「法」の火床は立入禁止です。

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「宝ヶ池」の東端に来ました。この池は江戸時代中期に造られた人工の溜息が始まりです。その経緯は少し後で。

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池の全景のパノラマ写真。池の周囲を回る1.6㎞の園路があり、正面の一番高い山は「松ヶ崎高山」。池の西南部の奥まったところに売店や貸ボート乗り場、藤棚などがあり、池の周囲では一番賑わう場所です。

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ところで、先日の記事で子どもの楽園に行く途中の(山端橋の下流にある)「井手ヶ鼻井堰」が、農業用のため池として宝が池が造られた原因となったと書きました。

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江戸時代の京都で庶民の食生活が充実するとともに副菜の消費が増えて、近郊の農村が蔬菜(そさい)類を栽培するようになりました。その栽培には水稲よりも多量の水が必要でした。その多くは京野菜として現在も流通しています。

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蔬菜は食用にできるキノコなども含み、栽培野菜よりも広い意味です。井出ケ鼻井堰は高野川西の松ヶ崎村の住民の農業用水のために造営されました。一方、川の東の一乗寺村は井堰より下流から取水していました。「松ヶ崎寝子ヶ山」

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しかし、農業用水の需要が増して寛文13年(1673) 一乗寺村は井出ケ鼻井堰より500mほど上流に「太田井堰」を設けてこから取水するようになり、両村の水争いが激しくなりました。「国立京都国際会館」

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これには一乗寺村に移住してきた石川丈山が関与していたといわれています。丈山は隠棲の地を探して各地を渡り歩き松ヶ崎を選んだそうです。しかし、松ヶ崎村の住民は丈山が来ることを好まず、敷地に墓石を持ち込んで墓地にしてしまいました。「比叡山」

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歌碑「山々も まつもうもれて 見えぬまで さくやさくらの はなの白雲」作者の千嘉代子(千宗室夫人)は「国際ソロプチミスト京都」の創始者で主団体はアメリカで人権と女性の地位を高める目的で結成された奉仕団体です。同団体は周辺の清掃管理をしています。

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松ヶ崎村に拒絶された丈山はやむなく一乗寺に居を構え、これが今の「詩仙堂」です。松ヶ崎村を快く思っていなかった丈山は、一乗寺村の住民が大田井堰を造るのを支援したといわれています。「松ヶ崎寝子ヶ山」の麓を行きます。

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当時、井堰を造るには京都所司代の許可が必要で、かって徳川家康の近侍だった丈山は顔がきいたのでしょう。大田井堰から取水した「太田川」は現在も暗渠となって南に流れていき、出町柳で高野川に注いでいます。

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太田井堰ができると松ヶ崎は水不足となり、一乗寺との水争いが一層激しくなりました。記録に残っているだけでも江戸時代中期までに8回の争議が続いたそうです。宝ヶ池の北西の入江

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争議の原因は、太田井堰が水を取り込みすぎるとして松ヶ崎村が太田井堰を崩したり、井堰の付近で水流を変えたりしたことがほとんどだったそうです。「菖蒲園」

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その都度、奉行所はに一乗寺村は下流にも水を流すように、松ヶ崎村には井堰を妨害しないようにとの裁きを下しています。丈山は既に没し、奉行所は差しさわりのない裁きをしたのですが、根本的な解決にはなっていませんでした。

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このあたりの松ヶ崎山の北側の山麓にも田圃がありましたが、湿田でだったので、ここを農民の負担によってため池に改築することになりました。宝暦13年(1763)に代官に願い出て許可を得ました。

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当初は小さいもので「北浦溜池」あるいは単に「溜池」とよんでいたようですが、安政2年(1855)に堤を高くして拡張、現在の大きさになりました。池の向こう岸には「野鳥の森」があります。

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池で蓄えられた水はいったん岩倉川に流して、井出ケ鼻井堰で取水して緩やかに傾斜する地形を利用して、松ヶ崎村に多数の水路を張りめぐらせました。その水路は現在も見ることができます。ボート乗り場に来ました。

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宝ヶ池からの水は、灌漑用だけでなく共同利用できる水車があって各戸が精米に利用しました。また、それぞれの家には川に面して低くなった「使い場」があり、洗濯・洗面や野菜洗いなどに使われたそうです。

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昭和6年(1931)に松ヶ崎村が京都市に編入されると、宝ヶ池は京都市の所有となり、その後の歴史は子供の楽園の記事で紹介したとおりです。下はこの周辺の唯一のカフェで、今日はここまでです。

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コメント

池の周囲を回る1.6㎞の園路。
この距離がいいのでしょうね。
2kmを超えてしまうと、子供やお年寄りは、
しんどくなってしまいそうな気がします。
何もないようで色んな自然が広がる、いいところですよね。

投稿: munixyu | 2023年9月 9日 (土) 15:31

こんばんは。ゆーしょーです。
宝が池とは名ばかりで、周囲1.6km、
池畔を一周するのに30分ほどかかるとは
湖に近いですね。
この付近へは一度も行ったことがありません。
一度訪ねてみたいところです。

投稿: ゆーしょー | 2023年9月10日 (日) 01:04

ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2023年9月10日 (日) 01:05

★munixyuさん こんばんは♪
歩いて1周が30分くらいで、疲れずに楽しめる距離ですね。

投稿: りせ | 2023年9月12日 (火) 00:51

★ゆーしょーさん こんばんは♪
かっては、若い人で賑わった場所ですが、ちょっと寂しくなりました。貸しボートに乗るには宝ヶ池か嵐山でした。

投稿: りせ | 2023年9月12日 (火) 00:53

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