« 四条通を歩く 先斗町から寺町へ | トップページ | 寺町通四条下ルを歩く 浄教寺まで »

2023年9月21日 (木)

寺町通四条下ルを歩く 火除天満宮まで

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

Anf_7881a
※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事に続いて、四条寺町の交差点から寺町通を南に歩きます。ここはかって電気街として知られた通りですが、現在は多様なお店やホテルが立ち並ぶ繁華街の一つになっています。一方で昔からある寺社は健在で、寺町らしい面影も残っています。

「Risa Magli」四条通に入口があるランジェリー専門店、その向うに地下にあるカフェ「御多福珈琲」の入口が見えます。急階段を下りるとレトロで落ち着いた雰囲気のカフェで、喫煙OK、コーヒーやケーキが美味しい人気店だそうです。

Anf_7883a

「COSMETICS池善」 池善は1931年創業の化粧品専門店。2021年3月この寺町四条に移転し、名前もcosmetics池善でオープン。資生堂はじめKOSE、covermark、ACSEINE、ヒノキ肌粧品、オパール、4711など様々な化粧品を取り扱っています。

Anf_7885a

焼肉 ホルモンの「蔵 寺町店」 京町家の店内で、黒毛和牛のステーキ、焼肉、ホルモンを頂けます。ランチメニューは6種類あり、その内ステーキ定食は、上等なお肉に味噌汁、香の物、サラダに1品ついて人気だとか。

Anf_7888a

通りの右(西)側は「藤井大丸」。明治3年(1870)創業の藤井大丸呉服店が、明治28年に四条通に4階建の新店舗を開設して百貨店として開業。現在では若者をターゲットとしたセレクトショップが数多く出店しています。

Anf_7889a

「春長寺」は山号を松林山という浄土宗の寺です。安土桃山時代の1574年、信長に仕えた武将・村井貞勝が三条京極の邸内に創建したお堂に始まります。前年、村井貞勝は信長に京都所司代に任じられ京都の民政にあたっていました。

Anf_7890a

1581年に出家した貞勝は、翌年本能寺の変が起こると信長の嫡男・信忠の宿所に駆けつけ、明智軍と戦い討ち死にしました。貞勝の菩提を弔うためお堂を現在地に移し、春長寺と改められました。この名は出家した貞勝の号・春長軒にちなんでいます。

Anf_7898a

本堂は江戸時代後期の1802年の再建で阿弥陀如来を祀り、屋根に柔らかなふくらみの「むくり」があります。庫裏は大正初期の古谷三代吉の建築。彼は京都市の営繕課の技師のとき、寺院や和風建築に関わり武田五一に設計図を依頼されることもありました。

Anf_7895a

その頃、市電開通のため四条通の道路拡張工事が行われ、用地買収や設計に関わりました。太正になると退職金をもとに工務店を設立、春長寺の借家2軒も新築しました。その一つが最初にみた珈琲店だとみられます。下は脇道からみた春長寺の建物。

Anf_8015a

「チーズと生はちみつ BeNe 京都河原町店」 関西を中心として展開、厳選したチーズと生はちみつを使用した和風のおばんざいプレートが人気だとか。国産はちみつソースやチーズ専門店のクリームチーズプリンもあります。

Anf_7906a

「ekaki」 お昼からナチュラルワインがグラスで10種ほどいただけるワイン酒場。ワインに合う黒枝豆のピクルス、ラムのもも肉生ハム、ブルーチーズのキッシュなどもあり、ワイン好きにはピッタリのお店だとか。入口はアコーディオンドアです。

Anf_7907a

「永正亭」明治23年創業の老舗蕎麦屋。人気の「たぬきそば」はあんかけ出汁がコシのある蕎麦にからみ、身も心も温まる一杯です。旅行者には特田舎そばのコシのあるお蕎麦と濃いめのお出汁がが好まれるようです。

Anf_7909a

「ファミリーマート 四条寺町店」 HPに店長からアルバイト募集の熱いメッセージがあります。「高校生、大学生、フリーター、主婦・主夫、シニア、未経験の方、土日祝勤務できる方、夜勤・早朝勤務できる方、大歓迎!」

Anf_7910a

「火除(ひよけ)天満宮」 安土桃山時代の天正7年(1579)、九州での兵乱を避けるため、筑紫国大宰府から老神官が菅原道眞の像を背負って入洛して、六条通周辺に祀ったのが始まりといわれています。(ビルの1階の通路が参道になっています。)

Anf_8022a

本能寺の変の後、天正15年(1587)に織田信長・信忠の菩提を弔うために烏丸二条龍池(たついけ)とよばれる地に「大雲院」が創建され、その鎮守社として迎えられました。「天満宮二十五社第九番」の石碑

Anf_7917a

その後の慶長2年(1597)、秀吉による都市計画によって大雲院とともに現在地に遷されました。大雲院は通りの向かいの高島屋(駐車場)のあたりにあったそうです。北野天満宮と同じ梅星紋の手水鉢もあります。

Anf_7921a

ところが、この一帯だけが奇跡的に類焼を免れ、これ以降もしばしば火災から救われたという伝承があり、学問成就とともに火除の神として人々の信仰を集めてきました。「社務所」、ビルは「火除天満宮東風館」と呼ばれ神社の所有かも知れません。

Anf_7940a

昭和48年(1973)「大雲院」は現在の円山公園近くへ移転しましたが、火除天満宮はそのままこの地に残りました。こちらの「火の用心」の護符は、おみせ屋さんでよく見かけます。

Anf_7942a

「拝殿」 こちらはビルの北側に建てられ、本格的な寺院建築です。

Anf_7967a

奥に菅原道真を祀る「本殿」があります。

Anf_7972a

説明は省略しますが、道真を祀る神社にある摂社が並んでいます。左に絵馬所があります。

Anf_7962a

今年の干支の絵馬、署名と落款から作者は「樋口富麻呂」(1898-1981)です。大阪市に生まれ、20歳すぎから同郷の画家・浮世絵師の北野恒富に師事し、1915年の第9回文展に初入選以来、帝展や院展でも風俗美人画が何度も入選を果たしました。

Anf_7977a

『大大阪』という川柳雑誌に竹久夢二らとともに木版の表紙絵を載せています。第2次大戦後は独自の境地を開拓、題材を琉球や東アジアに広げ、さらに古典文学に求め、晩年は主に仏画、高僧像などを描きました。

Anf_7988a

ところで、火除天満宮の御朱印はスタンプ式で御朱印帳に直接押してもらえます。ただし、ここの社務所ではなく、明日訪れる斜め向かいのお店です。

Anf_7994a

お帰りの前に、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Anf_8014a

|

« 四条通を歩く 先斗町から寺町へ | トップページ | 寺町通四条下ルを歩く 浄教寺まで »

コメント

「火の用心」の護符。
当たり前のことですが、本当に大事なことですよね。
火は、燃え出したら止まりませんから。
火の用心。火の用心。ですよね。

投稿: munixyu | 2023年9月21日 (木) 18:41

こんばんは。ゆーしょーです。
京都には八百八もの寺が市内全域にあるのに
まだ寺町というところに集中して寺があるのですね。
和歌山市にも寺町という地名があり、そこには
立派な寺が何寺が集まっています。
彼岸に入った今、お参りする多くの人で賑わっています。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2023年9月22日 (金) 00:51

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 四条通を歩く 先斗町から寺町へ | トップページ | 寺町通四条下ルを歩く 浄教寺まで »