西木屋町通(四条下ル)を歩く
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
東華菜館で食事をした後、四条通を西に歩き高瀬川まで来ました。川沿いの道は木屋町通で京都で最も賑やかな繁華街の一つです。高瀬川にかかる「四条小橋」を渡ると、地下にある阪急の駅への階段、その向うに宝くじ売り場があります。
その横が「西木屋町通」、三条から七条まで続いていて裏木屋町通とも呼ばれます。右の建物の1階はよしやとカルビーとのコラボ店、2階の「ベジデジや」はサムギョプサルが名物の韓国料理店です。ここから南に歩きます。
高瀬川に下りれる空き地があります。向うの祠に2体のお地蔵様が祀られています。「涙の地蔵」は森鴎外の小説「高瀬川」に登場し、高瀬舟で運ばれる罪人が無事に帰れるよう祈ったとされます。当時山崎屋の「廻船問屋」にあったものです。
「池大雅作の地蔵」は、元文年間(1736-41)池大雅が建仁寺の僧侶に地蔵のあるべき姿を聞いて筆をとり、白川の自然石に貼り付けたもので、当時は町会所にあったものです。これら2体の地蔵は「真町地蔵尊」と呼ばれています。
また、この辺りから南は「船頭町」と呼ばれ、角倉了以が高瀬川をひらいたとき、備前和気郡から連れてきた船頭たちが住みついた場所だそうです。西木屋町通に戻ります。
右(西)に居酒屋の「天心爛漫」、1階はカウンター席、2階はテーブル席で『宝石鍋』が名物です。水晶に入ったコラーゲンたっぷりのあおさ出汁でお野菜やお肉を頂き、「美肌健康しゃぶしゃぶ」だそうです。しばらく、通りの西のお店が続きます。
「喜人来人(きときと)」 日本海の魚貝が美味しい海鮮料理のお店で、黒板には「人気もの のどぐろ、白海老、から付かき。テーブル席、個室もご用意します。アルバイト、調理師募集中」と。北山通から移転してきました。
「GOOD morning」 閉店していますが、レコード音楽がかかるバー(昼間はカフェ)です。名物は人気のベーカリー「kurs(クルス)」のドーナツで、バター、生クリーム、アイスクリームなどがトッピングできるそうです。
「お酒の美術館」と書いてありますが、オールドボトルを中心にフードも充実したレトロパブです。気取らず丁寧な(しかもイケメン)店主さんとリーズナブルな価格でウイスキーが楽しめ、初心者にも安心のお店だそうです。
「フランソア喫茶室」 昭和9年(1934)開店の喫茶店で、当時のクラシック音楽とコーヒー好きな人々を喜ばせました。 また、戦時色が深まり自由な言論が困難になっていく時代に抗して、反戦や前衛的な芸術を議論する場ともなりました。
劇団民芸の創設者・宇野重吉や滝沢修の色紙、藤田嗣治のスケッチなどが残されています。創業者・立野正一と芸術家仲間が設計した建物は、ステンドグラスの窓、優雅なドームの白天井、赤いビロードの椅子などの調度を持ち、
「京町家の骨組みを残し欧風調を取り入れた昭和初期の革新性を持つ建物」として、喫茶店で初めて国の有形文化財に指定されました。隣に、洋菓子店がオープンしています。
向かいは京料理の「高瀬川 まんも庵」でしたが、看板はなくお店が変わるようです。ここからしばらくは通りの東側です。
その隣の「肉しん」は一昨年3月にオープン、国産黒毛和牛のA5ランクをリーズナブルな価格で提供、高瀬川沿いのテラス席もあります。2階には「Cafe&Bar POCHER」があったのですが、こちらは店がありません。
手前は「板前焼肉一笑 四条木屋町店」、大阪に数店舗ある人気焼肉店「板前焼肉一笑」さんが京都に初進出。一頭買いで上質な希少部位がリーズナブルに味わえます。
ここには中華料理の「眠眠」があったのですが、一昨年に近くに移転しました。眠眠の南側にあった和食店も見当たらす、それらが一つの建物に建て替えられました。南側にはまだ店舗が入っていないようです。
「肉の匠 悠々庵」 一昨年の3月26日にオープンした焼き肉店です。御所南にある鉄板料理屋「Teppan Dining L’ajitto」がプロデュース、宮崎県の西ノ原牧場から仕入れる黒毛和牛が頂けます。
「食堂みやざき 」 京都で一番予約が取れない店ともいわれる木屋町の割烹「食堂おがわ」の二号店です。貼り紙には『年齢・国籍 不問、生い立ち問わず、賄い美味あり』と書いてあり、人手不足が伝わってきます。
「村田秀吉商店」 昔の着物から現代の着物までの古着や呉服、昔のお道具類、古美術などを扱う古物商です。電話を頂ければ、係員がお伺いするそうです。
横には河原町通に抜ける道があり、右に軽食の「エディー・プランニング」、左はには「24時間ジム|エイチエム四条河原町」、ヨガ スタジオの「カルド河原町」、国産牛焼肉食べ放題「あぶりや 四条河原町駅前店」などがあります。
西木屋町通の突き当りは「村上重本店」 創業180年の千枚漬の老舗です。「千枚漬」の看板は、本能寺第127貫主松井日宏上人の筆、丸に十文字の家紋は、幕末に店の漬け物を食べて喜んだ島津藩主から使用を許されたといわれています。
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コメント
変わった感じのお店が多いですが、
どこもみんな、入ってみたいお店ばかりですね。
まあでも、少しずつ潰れたり新しく建ったり。
やっぱり飲食店は難しいのですね。
投稿: munixyu | 2023年9月17日 (日) 13:30
こんばんは。ゆーしょーです。
高瀬川の川べりに腰を掛けて
読書をしたり弁当を食べたり
するのにぴったりの高さですね。
この高瀬川を囚人を乗せた船が
通ったのですね。 ポチ♪2
投稿: ゆーしょー | 2023年9月18日 (月) 02:53
★munixyuさん こんばんは♪
四条河原町は京都で一番賑やかな場所なので、飲食店の競争も激しく個性を出す必要なあるのでしょうね、
投稿: りせ | 2023年9月19日 (火) 00:36
★ゆーしょーさん こんばんは♪
森鴎外の小説『高瀬舟」は、江戸時代に島流しにされる罪人が高瀬舟にのって大阪まで運ばれるところから始まります。罪人を運ぶのは町奉行所の同心で、親族などの一人を乗船させることが慣例でした。そこで罪人と親族との切ない会話を聞かされる護送の役目は、気の弱い同心にとってつらい仕事だったそうです。
投稿: りせ | 2023年9月19日 (火) 00:50