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2023年9月 2日 (土)

山ばな 平八茶屋

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

川端通との合流点の少し北の鯖街道沿いに「山ばな 平八茶屋」があります。上は母屋で、その左にある正面玄関の門は「騎牛門」とよばれ、萩の禅寺にあったものを譲り受けて移設、築400~500年以上といわれます。

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平八茶屋の始まりは平安初期と伝わっていますが、店主の名がはっきりしている天正年間(1573-1592)の創業としているそうです。若狭街道(鯖街道)に面する茶屋として始まり、江戸中期には萬屋(よろずや)を兼ねた麦飯茶屋となりました。

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かつて街道を行く旅人は、ここで一服のお茶を飲み、「麦飯とろろ」をかき込んで旅路についたそうです。門を入り鬱蒼とした木々で覆われた通路の先に売店があり、その右にある数寄屋造りの建物のお座敷に案内されました。

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大広間は高野川に面して、楓の青もみじの間から松ヶ崎東山と高野川の涼し気な風景が広がっています。お食事前に川を眺めていると、青い色の小鳥が飛び立つのが見え、カワセミではないかと思っています。

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川の中ではコサギがを何度も川底を突いています。しばらく眺めていましたが、獲物が小魚なのか水草なのかは分かりませんでした。

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お昼のお料理として「麦飯とろろ膳 造り、揚物」を注文しました。しばらくすると、全ての料理が運ばれてきました。他に、造りや揚物がないシンプルな「麦飯とろろ膳」もあり、こちらでも量的には十分だと思います。

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懐石料理ならば最後の方にご飯が出てくるのですが、こちらは麦飯とろろが主役です。柔らかく炊いた麦飯の蓋に香物がのり、美味しいお味のとろろ汁をかけて食べます。右は小吸物。

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猪口三種、それぞれの食材と調理法を教えていただいたのですが思い出せません。大きい写真を載せておきますのでご想像ください。いずれのお料理も優しいお味で、おいしくいただきました。

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焚合(たきあわせ)と取肴(とりざかな)

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揚物

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造り(二種盛)

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最後の水物(デザート)は様々な果物を冷たいジェルで包んであります。最近になく満足したお料理で、さすがに伝統のある料理屋さんだと感激しました。

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お昼のお料理として、他に麦飯とろろ汁がついた昼会席、予約が必要ですが京地焼 鰻一匹丼、車海老天麩羅膳、京の野菜弁当-撫子-があります。お座敷には大きな書の作品が飾ってありました。

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女将さんたちは丁寧ながらわざとらしさがなく、さりげない対応に好感が持てました。庶民的な茶店の伝統を受け継いでいるようです。お食事をいただいた後、庭を見学させていただきました。

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向いの建物にかま風呂があります。かま風呂は和風サウナで温度は摂氏55~60℃、中にむしろが敷かれ、陶器の枕を持って入り横になります。温度がサウナに比べて低いので心臓や筋肉への負担が少なく、ゆったりと長時間休むことができます。

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お食事の前後でも利用できるそうです。料金1,100円(税込、サ別)バスタオル・タオル貸出有り、要予約です。隣に内風呂も併設されていて、汗を流すことができます。

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お庭は高野川に沿って南北に長く600㎡もあります。この庭は昭和初期の大きな台風の後に造られたといわれています。春はつつじ、秋は紅葉が美しいそうで、今頃の青もみじも堪能できます。「不老門」という門をくぐります。

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ところで、平八茶屋は様々な文化人が訪れ作品や日記に残し、狂言にも登場します。壬生狂言では「洛北山鼻といえば平八、平八といえば山鼻」と謡われています。山鼻とは山の尾根の先端のことで、ここは松ヶ崎東山の山鼻です。

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江戸後期の儒学者・頼山陽は京都に書斎「山紫水明処」を営み、文人と交わっていました。その著書の『山陽詩鈔』という漢詩のなかで、山端に遊ぶという題で平八茶屋が紹介されているそうです。

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幕末には、岩倉に岩倉具視が隠棲しており、当家も勤王志士の会合場として睨まれて、新撰組に嫌がらせを受けたこともあったといわれます。
今もなお、母屋の入口にそのときの刀傷が残っているそうです。

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明治の文豪・夏目漱石は、平八茶屋に思い入れがあったようで、著書にたびたび名前が登場します。庭の一番奥(北)に滝があり、そこからの水が小川となって庭を流れています。中央に池があり元気よく鯉が泳いでいました。

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正岡子規や高浜虚子らとの出会いが漱石が職業作家となることを決意させ、その場となった京都や平八茶屋が心に残ったようです。処女作の『虞美人草』の最初の部分に「今日は山端の平八茶屋で一日遊んだほうがよかった。今から登ったって…」。

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明治・大正・昭和に活躍した俳人・高浜虚子は京都でたくさんの句を詠んでいます。その中に2首、「平八に自働車又も花の雨」、「平八と春水隔て隣りけり」。

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北大路魯山人は、画家、陶芸家、美食家、書家でもあり、18代目当主と親交があってしばしば当家を訪れました。美食家として名をはせていた魯山人が息子の19代当主が焚いたごりの飴だきを「甘すぎ」というと、これが平八の味だと反発されました。

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18代当主の還暦祝いに魯山人が持ってきた一筆の書に「とろろやの主ねばって六十年 平八繁昌(はんじょう)子孫萬采(ばんざい)」と書かれていました。今も宝として大切に残してあるそうです。この後、鯖街道をさらに北に向かいました。

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コメント

平八茶屋は、母が若い頃に数回行ったようです。
バブルの頃。京おどりか何かの後に行ったとか。
もう、大昔。昭和の夢物語でしょうね。

投稿: munixyu | 2023年9月 2日 (土) 16:19

こんばんは。ゆーしょーです。
平八茶屋の左手にある門はすごく立派ですね。
2階へも登れるのでしょうね。
お昼の食事はメチャ立派ですね。
昔から麦飯にとろろと言いますが、
ここではそれを味わうことが出来るのですね。
消化の悪い麦飯に消化の良いとろろをかけて
昔から食べていたのですね。
とろろは時々食べるのですが、長いこと
麦ごはんを食べてないです。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2023年9月 3日 (日) 00:48

気が遠くなるほどの昔に「平八茶屋」で麦飯にとろろをかけて楽しくいただいたことがありました。懐かしい思い出で~す。

投稿: Tacchan | 2023年9月 3日 (日) 15:35

★Taccha~n こんばんは♪
私も気が遠くなるほどのちょっと前に食べに行ったことが有ります。
なんかねえ、私もこの頃昔の写真の整理をして、、懐かしいなあと感慨にふけっています。

投稿: りせ | 2023年9月 5日 (火) 01:13

★munixyuさん こんばんは♪
お母さまは京都通でいらっしゃるようですね。京都の人でも、名前は知っていても実際に出かけた人は多くないと思います。

投稿: りせ | 2023年9月 5日 (火) 23:44

★ゆーしょーさん こんばんは♪
麦飯は麦と白米を混ぜて炊いたものでした。その割合をお聞きしたのですが、秘伝なのか教えてくれませんでした。麦の香ばしい味は残っていて、かたくはありませんでした。

投稿: りせ | 2023年9月 5日 (火) 23:49

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