銅像でめぐる 江戸時代の人物
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
先日の記事で幕末の志士や新選組の銅像を紹介しましたが、今日はそれ以前の江戸時代の人物の銅像です。最初は京都三大銅像の一つ、川端三条に建つ「高山彦九郎皇居望拝之像」です。
高山彦九郎(1747-93)は、上野国新田郡細谷村(群馬県太田市)の郷士の二男として生まれ、幼いころから勤皇の志を持ち、各地を遊歴して勤皇論を説きました。京では岩倉具選(ともかず)宅に寄宿して光格天皇にも拝謁しました。
しかし、幕府の警戒を呼び久留米の友人宅で自刃。銅像の初代は有志により1928年に制作、戦時中に金属供出。現在の銅像は1961年に再建されました。彼の行動と思想は幕末の尊王攘夷運動に大きな影響を与えたといわれます。
西山の古刹・善峯寺にある「けいしょう殿」には「桂昌院の銅像」が安置されています。桂昌院(1627-1705)は大徳寺近くで生まれ、江戸幕府3代将軍・徳川家光の側室となり、5代将軍・綱吉を生みました。
女性最高位の従一位を授かり、綱吉の政策の陰の力となりました。また、大奥総取締となり大奥の基盤を築いたとされます。銅像は花山法皇西国札所中興一千年を記念して1987年に建立されました。
信仰心が厚く、京都では智積院、善峯寺、金蔵寺、南禅寺、乙訓寺、清涼寺、西明寺、真如堂などの再建・再興に尽力。今宮神社の社殿の再建、やすらい祭りの復活にも尽力し、境内中央にレリーフがあります。
二尊院の鐘楼の前にある「角倉了以像」 角倉了以〈1554-1614)は京都の豪商で、嵯峨嵐山の出身。土倉経営(金融業・質屋)で莫大な富を得て、保津川、高瀬川、富士川、天龍川などの開削を行いました。
二尊院の道空に師事し仏道にも励み、晩年は飛雲閣に隠棲しました。京都では琵琶湖疏水の設計者・田辺朔郎と共に「水運の父」と呼ばれています。近世の京都の発展に貢献したことにより。明治40年(1907)正五位を追贈されました。
嵐山公園にも同じ像があります。鍬を手に遠くを見つめるこの像は、戦時中供出されましたが戦後有志によって再建。「京都三大銅像」の一つです。また、自決した豊臣秀次と三条河原で処刑されたその一族を弔って瑞泉寺を建立しました。
八大神社の「宮本武蔵像」 宮本武蔵(1584-1645)は江戸時代の実在の剣客で、13歳で初めて新当流の有馬喜兵衛と決闘し勝利、 吉岡一門との「一乗寺下り松の戦」の前に立ち寄ったといわれています。像は決闘から400年の記念事業として2003年に建立。
29歳までに60余回の勝負の全てに勝利したといわれてます。大坂の陣(1614、15)では徳川方に参陣、島原の乱にも出陣。その後、幾つかの藩に招かれ剣術指南や城・寺院の作庭を行いました。 横の祠には当時の一乗寺下り松の一部が納められています。
著書『五輪書』は武蔵の兵法や哲学を密教の五輪(五大)になぞらえて五巻に分けて書かれ、英語をはじめ数か国語に訳されて海外でも読まれています。オリンピックを五輪と訳すのはこの書が由来だそうです。
知恩院の三門の南の庭園「友禅苑」に枯山水があり、その東端に「宮崎友禅斎」の銅像があります。宮崎友禅(1654-1736)は能登国(現・石川県)穴水に生まれ、京都へ出て知恩院前に住居を構えました。
元禄年間を中心に扇絵師として活躍、友禅模様という名称のもとになった扇絵や小袖の雛形を描き、友禅染の始祖といわれます。友禅苑は宮崎友禅の生誕300年を記念して、昭和29年に改修造園されました。
三条大橋西詰の南に「弥次喜多像」があります。十返舎一九の東海道中膝栗毛で珍道中をする二人が銅像となっています。江戸の日本橋から始まる東海道の終点が三条大橋でした。
銅像は平成6年(1994)三条小橋商店街振興組合が建立したもので、彫刻家の小山由寿の作です。足元には、旅人の安全を祈願する「なで石」が置かれています。
四条大橋東詰北の「出雲の阿国像」 関が原の合戦後の1603年、出雲の阿国は四条河原で伊達男風の扮装で「かぶきをどり」を披露、絶大な喝采を浴びました。像は平成6年(1994)京都洛中ライオンズクラブにより建立。
後に女歌舞伎は禁止され、男が女形を演じる今日の歌舞伎に発展しました。 江戸時代初期、各地にあった芝居小屋は、京都所司代・板倉勝重によって四条河原に集められ、常設の芝居小屋は七軒になりました。現在は川端四条に「南座」が唯一残っています。
今年の宮川町主催の「京おどり」は京都芸術大学に開設された京都芸術劇場で行われ、演目は「洛中洛外おどり始―出雲の阿国 かぶく夢―」でした。洛中洛外図よりヒントを得て、阿国が様々な芸能を見聞して阿国歌舞伎を創始するまでの舞絵巻です。
上は第一部 第一景「洛中洛外図(一)」いにしえの京、市街のありさまを描きます。下は第一部 第四景「阿国歌舞伎」阿国は遊女、かぶき者ととも踊ります。 最後はは芸舞妓さん全員によるフィナーレの「宮川音頭」。
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コメント
銅像になる人は、もちろん凄いですが、
銅像を作る人も凄いですよね。
銅だから、彫るというか、型に入れて流し込むとかでしょうか。
いずれにしても大変なことだと思います。
投稿: munixyu | 2023年8月31日 (木) 17:19
こんばんは。ゆーしょーです。
1枚目の銅像は、銅像としては珍しいポーズですね。
立像が多い中、人に乞い願っているポーズですね。
初めて見ました。
ポチ♪2
投稿: ゆーしょー | 2023年9月 1日 (金) 01:26