俳句でめぐる京都 その2
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
一昨日に続いて、俳句でめぐる京都の2回目です。今日は秋から冬の風物を詠んだ句です(ただし、成り行きによっては他の季節もあります)。最初の「常寂光寺」は、山号を小倉山という日蓮宗の寺です。
安土桃山時代、究竟院日禛(くきょういんにっしん)上人が、隠棲地として角倉家から小倉山の土地の寄進され、慶長年間(1596~1615)に2世日韶(にっしょう)上人が小早川秀秋の助力を得て、桃山城客殿を移築して本堂としたのが始まりです。
本堂の前にある句碑「落葉ふんで 道新しく ひらけたり」 作者の高桑義生(1894-1981)は俳句誌「嵯峨野」を主宰し、「鳴門秘帖」や「無法松の一生」などの映画の脚本家でもありました。
「化野念仏寺」は平安時代初期の弘仁2年(811)空海が野ざらしになっていた遺骸を埋葬し真言宗の五智山如来寺を建立したのが始まりとされます。鎌倉時代初期、法然が寺を念仏道場として浄土宗に改宗、寺名を「念仏寺」に改めました。
高台にある墓地に行く途中に水子地蔵堂があり、その横に句碑「秋思深し菩薩になれぬ仏たち」、作者の山本茂氏は檀家だそうです。
出口の横に「白露のうつくしかりき仏たち」、作者の田畑比古はホトトギス派の俳人で「東山」の主幹。虚子の「風流懺法」のモデルの三千歳夫人の墓参の時に詠んだ句だそうです。
円山公園の東にある「安養寺」は 奈良から平安時代にかけての延暦年間(728-806)、桓武天皇の勅命によって最澄がこの地に創建したと伝わります。当時このあたり一帯の台地には葛やススキが生い茂り、真葛(まくず)ヶ原と呼ばれていました。
本堂の前に桂樟蹊子(かつらしょうけいし)の句碑「露けしや真葛ヶ原に石の階」 桂樟蹊子(1909-1993)は水原秋桜子門下で、「馬酔木」や「京大俳句」を経て、「霜林」を主宰しました。
三千院には多くの石碑や歌碑、句碑があり、そのうちの一つが門前通りにあります。
小塙(こはなわ)徳女の句碑「魚山の名ここに千年冬木立」。魚山は三千院の山号、小塙徳女は明治から昭和にかけての女流俳人で、かって三千院門前にあった料亭「四季の茶屋」の女将でした
前回の記事に出てきた一乗寺の金福寺。本堂の前の庭の隅に、蕪村「花守は野守に劣る今日の月」、百池「西と見て日は入りにけり春の海」 寺村百池(ひゃくち)は河原町四条上るの糸物問屋で蕪村門下、蕪村没後は京都俳壇の重鎮となります。
高台の上にある芭蕉庵は茅葺き屋根、内部は千利休が造った待庵に似た三畳台目の茶室です。ここでしばしば句会が催され、蕪村がここで詠んだ秋と冬の句「三度啼きて聞こえずなりぬ鹿の聲」、「冬ちかし時雨の雲もこゝよりぞ」。
さらに山の上に蕪村の墓があり、その横には門下・江森月居の墓と句(立札)があります。「朝霧にまぎれて出む君が門」、「敗軍の五六騎蓑をうちかづき」。
蕪村「名月や 神泉苑の 魚おどる」 写真は神泉苑の観月会、句碑は橋の左手の本堂の横にあり、御朱印にも書かれているそうです。
前回も登場した嵯峨野の落柿舎ですが、元禄17年/宝永元年(1704)に去来が亡くなった後、庵は荒廃し場所も分からなくなったそうです。明和7年(1770)京都の俳人・井上重厚が嵯峨野(天龍寺塔頭・弘源寺の跡地)に庵を再建しました。
庵の前に向井去来の句碑があります「柿主や梢はちかしあらし山」。井上重厚が建てたもので、京都で最も古い句碑だそうです。この句にまつわる逸話があります。1689年の秋、去来は庵の庭にある柿の実を、木に実をつけたまま商人に売りました。
銭1貫文の代金を受け取りましたが、夜に台風が来て実のほとんどが落ちてしまいました。泣き言をいう商人に対して、去来は金を全て返して、庵を「落柿舎」と名付けたといわれます。高浜虚子「凡そ天下に去来ほどの小さき墓に詣りけり」。
「十三畳半の落柿舎冬支度」 工藤芝蘭子(しらんし)は落柿舎11世庵主。永井瓢齋(ひょうさい)の志を継ぎ、堂島の相場師から一転、私財を投げ打って戦後の落柿舎再建に尽力しました。
「足あともはづかし庵のわかれ霜」 山鹿栢年(やまがはくねん)は8世庵主。近代における落柿舎復興の事業は、明治時代の栢年から始まりました。大正9年落柿舎退庵の折の作。
「草の戸やわが名月は山はなれ」かつみ、大津市の義仲寺から移築された下平可都三(1822-1910)の句。蕉風をつぐ連句の名手で全国に千人以上の門人があり、俳画や剣術にも優れていたそうです。
ところで「嵐山花灯路」は初冬の風物詩でしたが、昨年度で終了してしまいました。法輪寺から渡月橋、竹林の小径を通り、落柿舎、二尊院までがライトアップされました。落柿舎の前の広場に「秋のわすれもの」、京都嵯峨芸術大学の学生さんの作品です。
落柿舎の門前にも同大学の学生さんの作品「柿主や梢は近き嵐山」があります。作品名は上述の去来の句です。
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コメント
凄い句がたくさんありますよね。
昨日は、久しぶりに朝日新聞の朝日俳壇に載りました。
まあでも、最近は大激戦で大変です。
一句でも多く載れるよう、さらに頑張ります。
投稿: munixyu | 2023年6月 5日 (月) 15:25