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2023年6月10日 (土)

八神社 謎が解明される

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の浄土院の前の道の突き当りに八神社の「一の鳥居」があります。その手前を右に行くと大文字山への登山道になります。この神社にはいくつか謎があって、2年前にその謎に迫る史実を見つけてブログで紹介しました。

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今回、訪れた際に新しい駒札が立っていて、八神社の由緒に私の考察と同様のことが書き加えてあり、ちょっと嬉しい気がしました(後述)。一の鳥居の手前を右に行くと大文字山への登山道になります。

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「八神社」は、銀閣寺やかっての浄土寺村の鎮守社で、このあたり一帯の産土神(うぶすながみ)として人々の信仰を集めてきました。「社務所」には「八神社氏子会」、「八神社樹下会」の看板もかかっています。

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八神社の創建は平安時代の大同年間(806-810)あるいは延喜年間(901-923)と伝えられていますが、喜永6年(1853)の浄土寺村の火災により記録が焼失、詳しいことは分からないそうです。 

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「大文字保存会倉庫」 大文字送り火の準備として、5月にマツ割り木と松葉を大文字山から銀閣寺山門に下ろし、6月麦わら束を八神社倉庫へ搬入、7月八神社でマツ割り木の小割作業をします。

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「二の鳥居」 ここに八神社の社標があり、左には脇道に抜ける道標もあります。石段の一方は提灯で飾られ、10月下旬の秋季例祭には大勢の人が集まり、華やかな雰囲気になるそうです。上に赤い社(やしろ)が見えています。

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石段の途中に末社の「雨社」があり、山林や水を司る「高龗神(たかおかみのかみ)」を祀っています。この神は河合神社や貴船神社にも祀られています。

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先ほどの「鎮守」とは、鎮座した土地やその住民を守る神、「産土神」はその土地で生まれた者がどこに行こうが一生守護する神とされます。石段の横に「手水舎」。

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石段の上は「樹下(このもと)稲荷社」で稲倉魂命(うがのみたまのみこと)を祀り、五穀豊穣。商売繁盛のご利益があるとされます。

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左の石段をさらに上ると、八神社の社殿があります。

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本殿には祭神として八神、すなわち高御産日神( たかみむすびのかみ)、神産日神(かみむすびのかみ)、生産日神(いくむすびのかみ)、足産日神(たるむすびのかみ)、玉積産日神(たまつめむすびのかみ)、

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大宮売神(おおみやのめのかみ)、御食津神(みけつかみ)、事代主神(ことしろぬしのかみ)を祀っています。相殿として十禅師大明神を祀ります。上の写真は「拝所」です。(上の写真は「拝所」で、下が「本殿」。)

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祭神は、『古事記』や『日本書紀』の冒頭に現れ、天皇の守護神として宮中の八神殿に祀られた八神と全く同じものです。このような神社は全国でも珍しいそうで、その経緯が八神社の謎です。

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また、相殿として祀っている「十禅師大明神」は、日吉大社の祭神の一柱、豊雲野神(とよくものかみ)のことで、諸事を発現する神だそうです。拝殿の横に「八神社 釘隠・眷属玉眼 寄進」と書かれた板。

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拝所の横に願い事を書いた札や紙の絵馬がかかっていて、半数以上が外国語なのには驚きます。このあたり(浄土寺)には外国人が多く住んでいて、それらの人々の守り神でもあるのかも知れません。

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祭神の八神は、宮中八神殿が廃絶した後、江戸時代に吉田神社境内と白川家邸内に創建され、明治以降は皇居の宮中三殿の一つとして復活しました。白川家は花山天皇の皇孫・延信王から始まり、代々神祇伯(神祇官の長官)となった公家です。

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また神紋は「五三桐(ごさんのきり)」です。この桐の紋は菊紋章とともに皇室専用の紋で、後に室町幕府、豊臣政権などが用い、現在では日本国政府の紋章として用いられています。神紋も皇室とのつながりを示していると考えられます。

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最近『諸社根元記』に「延喜5年(905)山城国愛宕郡如意峰神祇斎場所に3132座の神体を奉安、八神殿を平安城宮から東山如意嶽、後の文明16年(1484)吉田神楽岡に遷した」と記されていることを知りました。

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諸社根元記は室町時代に吉田神道を創始した吉田家が各神社の由緒を調べたものです。明治以前は吉田家が朝廷の神事を取り仕切り、全国の神社を統括する立場にあったので、必要性から作成してきたと考えられています。 (井戸の上に扇形の歌碑?、字が読めません。)

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如意峰(嶽)は如意が岳(大文字山の背後の山)で、その神祇斎場所(朝廷の神事を行う場所)が八神社ではないかというのが私の推察でした。また、諸国の神々の筆頭が八神殿の神でもあります。建物に「神心流 詩吟・剣舞・扇舞 本部道場」という看板。

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新しい駒札(下)では、如意峰神祇斎場所が八神社の社地につくられたと断定しています。すなわち、宮中八神殿が廃絶した後、一旦この地に遷され、その後に吉田神楽岡(吉田神社境内)に遷されたことになります。

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駒札には。銀閣寺所蔵の絵図により、足利義政が東山殿を建てた頃には八神社に本殿2棟があり、東に八神、西に樹下社が祀られていることが書いてあります。内裏は平安時代でも16回も火災に遭い、鎌倉時代以後は再建されることはありませんでした。

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その都度、天皇は離宮や大寺院、後に里内裏に住居を移し、宮中に八神殿を造ることができなくなったと考えられます。八神社は現在まで途切れることなく八神殿の神々を祀り続けてきたことになり、もっと注目されてもよい神社だと思います。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
八神社という名前の神社ですね。
八神社とは珍しい名前の神社ですね。
今の時期、十薬をよく見かけます。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2023年6月11日 (日) 01:35

★ゆーしょーさん こんばんは♪
十薬、社務所の前に咲いていました。ちょっと殺風景なので載せました。

投稿: りせ | 2023年6月12日 (月) 23:35

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