御蔭祭と切芝神事
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
明日(5月12日)は葵祭の前祭である御蔭祭が行われます。今日は、過去の祭や関連個所の写真をまとめて、荘厳な御蔭祭の概要を紹介します。
「御蔭祭」は、比叡山麓にある八瀬御蔭神社から荒魂(あらみたま)を下鴨神社に迎える神事です。この荒魂と下鴨神社の和魂(にぎみたま)が一つになって、御祭神は新たに生まれ変わって葵祭を迎えます。「御蔭神社」
この荒魂と和魂が融合するという考えは古来の祭祀に見られるもので、例えば、祇園祭の久世駒形稚児が荒魂のご神体を体に結わえて八坂神社の本殿に向かい、祭神の和魂と和合するのも同様の神事です。
下鴨神社で行粧(ぎょうしょう、旅のいでたち)を整えて御蔭神社に向かい、昼すぎから御生神事(みあれしんじ)が行われます。この神事の始まりは平安時代よりはるか昔であるといわれています。
現在では、荒魂は道路に出てから車に乗って赤の宮神社に向かいます。この地は古くから賀茂社の領地で、神が降り立つ・神奈備(かんなび)があった場所の一つで、道中の無事を祈り舞楽の奉納があります。
その後、荒魂は北にある「茶ノ木原公園」で待機している神馬に乗り換えて糺の森に向かいます。公園の場所は松ヶ崎西山のふもとで、上賀茂神社の方が近いかも知れません。私が自転車で大田神社や上賀茂神社に行くときに通ります。
現在の神社の神幸祭では、祭神は神輿に乗って巡行しますが、このように神馬の背に乗って移動するのは最古の神幸列の形式といわれます。下は御蔭祭の祭列の巡行経路です。
下鴨神社の表参道の一角に「神馬幄(あく)」が設けられています(幄とはテントのようなものです)。「御蔭祭」は複数の神事の総称で、勧盃の儀、樹下神事、御蔭山の儀、御生神事、路地祭、切芝神事、還立の儀、本宮の儀により構成されます 。
それらのうち、ここで行われる「切芝神事」は一般にも公開され、もっとも華やかなものです。祭列は河合神社に到着、そこで列を整えて表参道にやってきました。
舞人や奏者が待ち構えています。そばに控える氏人(うじびと)は静原、岩倉、幡枝、松ヶ崎、田中、上高野、一乗寺、下鴨の各地域の氏子の皆さんです。
続いて弓矢や盾などの武具、太鼓、笛などの楽器を持つ人々がやって来ました。、
神馬がやってきました。
幄に入った神馬は、五色幕から頭だけを出して(荒御魂として)儀式を見守ります。切芝神事の主役はこの神馬です。
いくつかの神具が下鴨神社から蔡列に手渡されます。琴は今度の式年遷宮のときに新調したそうで、舞を始める前の重要な手順のようです。*記事の最後にある「お願い」を忘れないでね。
6名の舞人が古代から伝わる歌謡「東遊(あずまあそび)」を舞います。東遊を奉納するのは、宇多天皇が祈願成就のお礼として藤原時平に奏上させたことに始まるとされます。、
もともと、舟に乗って東からやって来たという下鴨神社祭神の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の来訪を祝う舞で、ここでは糺の森で荒御魂を迎えた喜びを表しています。
もう一度舞が行われ、2度目は袖をたくし上げています。舞が佳境に入ったということかも知れません。
舞が終わると、「列奉行」から「御白杖(はくじょう)」が氏人童形(うじびとどうぎょう、子供の氏子)に渡されます。御白杖は巡行の道筋を示すとされ、最後に本殿に戻る蔡列の先導を清浄な童にゆだねる儀式です。、
次に「三代詠(三台塩)」が奏されます。神を讃える曲だそうです。
神馬は神妙に聞いています。
最後に所役が順に名前を呼ばれて列に加わり、本殿に向かいます。
御白杖を持った氏人童形、この儀式のもう一人の主役です。
相生社の前
本殿での神事に加わる所役だけが中門を入ります。「本宮之儀」は荒御魂を再び本殿に遷宮する非公開の儀式です。その間中門は閉じられ、警護のものが守っています。
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コメント
コロナ禍で分かったのは、日常、当たり前の大切さ。
当たり前にあった、当たり前の行事。
1つ1つ大切にしていきたいですよね。
投稿: munixyu | 2023年5月11日 (木) 19:24
こんばんは。ゆーしょーです。
葵祭は5月15日に行われますよね。
何故かその日だけはよく覚えているのです。
ポチ♪2
投稿: ゆーしょー | 2023年5月12日 (金) 00:21