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2023年5月24日 (水)

南禅寺 無関禅師とご朱印

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事で鹿ヶ谷通を歩いて南禅寺北門の大寂門まで来た続きです。以下に登場する寺院は南禅寺の塔頭です。

「聴松院」は江戸時代の元禄年間(1688-1704)から湯豆腐を寺で供していたといいます。平成19年(2007)院内の湯豆腐店は廃業、現在は「総本家ゆどうふ奥丹」(上の写真右)が営業しています。

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聴松院は細川氏の菩提寺で上の門はいつも閉じています。左隣の門の石柱にある「大聖摩利支尊天」は本尊(秘仏)で、こちらの門は昼間は開いていて自由に参拝できます。

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「慈氏院(じしいん)」 南北朝時代の1385年、南禅寺44世・義堂周信(ぎどうしゅうしん)が足利義満に土地を譲られ寿塔を建てたのが始まりとされます。寿塔は生前に建てる墓塔で、現在の東山中学あたりでした。

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「大安苑」のカフェの入り口 同じ敷地に「京割烹 大安苑」もあり、11代目小川治兵衛が作庭した双龍庭園を見ながら京懐石を頂けます。ここまでが鹿ヶ谷通のようです。

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牧護庵(ぼくごあん) 鎌倉時代の1318年に、後宇多天皇の勅により約翁徳検((やくおうとくけん)が南禅寺5世となりました。その没後の1320年に、塔所として牧護庵という名の庵が建てられ、南禅寺塔頭となりました。

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平成4年(1992)に「わらべ地蔵の庭」が作庭され、庭のあちこちに彫刻家・杉村孝作のわらべ地蔵が置かれました。杉村孝氏のわらべ地蔵は三千院の有清園が有名ですが、牧護庵には100体以上が納められているそうです。

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門前の石柱の上にもわらべ地蔵がのっています。

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「南禅寺三門」南禅寺の開創当初のものは永仁3年(1295)に西園寺実兼の寄進によって建立されました。 現在の門は寛永5年(1628)に藤堂高虎が大阪夏の陣に倒れた家来の菩提を弔うために再建したものです。

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ところで、「南禅寺」は鎌倉時代中期の正応4年(1291)に、亀山法皇がこの地にあった離宮を無関普門禅師(大明国師)に下賜し、開山として迎えて開創したのが始まりです。

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無関禅師は建暦2年(1212)今の長野市若穂の保科の地で生まれ、幼ない時から新潟県菅名庄の正円寺に住していた伯父の寂円のもとへ預けられ、13歳で得度しました。

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その後勉学のため諸方を尋ねたのち、群馬県世良田の長楽寺にいた釈円栄朝につき指導を受けました。栄朝は栄西の法を嗣いだ禅僧でしたので、無関禅師はここで初めて禅を学びました。

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その頃、宋から帰国して藤原氏の帰依を受け、その菩提寺東福寺の開山に迎えられていた円爾弁円禅師の門に入り、苦修の年月を重ねました。

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「法堂」(仏殿)は、江戸時代の1606年に豊臣秀頼の寄進によって再建されましたが、明治時代の1895年に焼失し、1909年に再々建されました。

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建長3年(1251)無関禅師40歳の時、更に向上の道を求めて宋に渡り、浄慈寺(じんずじ)の断橋妙倫(だんきょうみょうりん)に参禅することになりました。宋に留まること10年余、禅の深興に達して断橋禅師の法を嗣いで弘長2年(1262)帰国しました。

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帰国後は新潟県の正円寺に帰り、静かに坐禅三昧の時を過していました。法堂の須弥壇上中央には本尊の釈迦如来、右に獅子に騎る文殊菩薩、左に象に騎る普賢菩薩が祀られ、天井には雲竜図が描かれています。

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弘安3年(1280)師の東福寺円爾禅師が病気であることを知り、70歳の老躯をいとわずはるばるお見舞いに上洛。同年10月17日円爾禅師は遷化、その後継の第2代住持が数ヶ月で退任したあと、無関禅師は周囲の要望で東福寺第3代住持に迎えられました。

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70歳までの生涯を専ら修行に終始した無関禅師は初めて住持に就住し、 11年後の正応4年(1291)12月12日、東福寺龍吟庵で遷化しました。晩年亀山法皇の帰依を受けて南禅寺の開山となったのはこの遷化の年でした。

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後に、後二条天皇より仏心禅師、後醍醐天皇より大明国師の謚号を賜りました。この日の目的は南禅寺の御朱印帖を頂くことでした。右は拝観入り口ですが閉門時間が迫っていたので、左の売店に直行しました。

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何種類かの御朱印帖がありましたが、目当ては南禅寺所有の「群虎図」(重文)が表紙となったものです。最初のページに書かれている御朱印は「金剛王宝殿」を頂きました。金剛王宝殿は先ほど見てきた法堂のことです。

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見開きのページには開山の仏心大明国師・無関普門禅師の遺偈(ゆいげ、禅僧が臨終の際に弟子や後世に残す言葉)が書かれています。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
懐かしい南禅寺です。
と言っても何十年もの昔ですから
ほとんど忘れています。
ただ、南禅寺三門へ登ったことだけ憶えています。
絶景かな絶景かなと期待して登ったのですが、
桜の時期でなかったこともあり、期待したほどの
景色でなかったです。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2023年5月25日 (木) 02:24

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