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2023年5月 1日 (月)

新緑の門前通りから勝林院へ

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事に続いて、三千院の門前通りを歩きます。石段の左に「後鳥羽天皇・順徳天皇 御稜参道」の石標があり、この通りは両天皇の大原陵への参道でもあります。

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石段の脇にはシャゲが咲いています。日向大神宮でも同様で、シャゲはこのような斜面に群生するようです。

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石段を上ると緑のトンネルで、右に三千院の石垣、左にお店が並んでいます。

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「芹生茶屋 そば処」 麺類各種、おでん、とろろが入った定食などがあり、お手頃な値段です。芹生茶屋は昨日の料理旅館「芹生」の経営で、旅館の方から入ることができます。

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「芹生茶屋 甘味処」 みたらし、わらび餅、ぜんざい、あんみつ、ところてんなどがあります。ちなみに、「芹生」は京都の北山にある山里の名で、そこに広がる原生林は京都大学の演習林になっています。

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「心の里 心繋(きずな)」 京土産のお店で、豆柴忍者のグッズ、清水焼・京焼のアクセサリーなどがあります。右の棚に「クレープ八ッ橋」があり、「京都駅では売っていません、常温で日持ちします」と書いてあります。

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「土井しば漬け本舗 三千院前店」 しば漬け以外に、浅漬け、木の芽煮、佃煮、山椒ちりめん、志そちりめんなどのしそ製品、お土産用のセットもあります。

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三千院の表門「御殿門」 この日はGWの直前でまだ観光客が多くなかったので、最初に宝泉院に向かいました。すいていて額縁庭園の写真が撮れることを期待しました。

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「森善 京の名品館」 京土産のお店で、その奥にお食事処「おのみやす 大原店」があります。清水寺の参道でよく見かけるお店の構造です。こちらは、鯖寿司定食が人気だそうです。

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「京美茶屋」 和食のお食事処、店内で作っている湯葉の料理が名物で、ゆばづくしコース、麺類に湯葉を組み合わせた定食も多数あります。

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こちらも店の横に甘味処があり、チーズケーキ、ぜんざい、抹茶わらび餅、コーヒー、甘酒などがあります。生ゆば、くみあげゆばの販売もしています。

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門前通りのはずれにある「三千院の里」 見晴らしがよい和食のお店でしたが、数年前から開いているところを見ていません。

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店の前に「鉈捨薮跡(なたすてやぶあと)」の碑 文治2年(1186)の勝林院での大原問答の折に、法然上人の弟子の熊谷直実(くまがいなおざね)(蓮生坊)は、上人を守るために袖に鉈を隠し持っていました。

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師の名声が好ましくないという過激な僧徒に襲われるかも、あるいは論議にもし敗れたら法敵を討つつもりだったのかも知れません。しかし、上人に見つかり、ここで鉈を薮に投げ捨てたと伝えられています。ちなみに、鉈とは小刀のことのようです。

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「律川(りつせん)」にかかる小橋を渡ります。理由は分かりませんが、こちら側には「末明橋」、向う側には「茅穂橋」と書かれています。

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律川は三千院の境内の北を流れてきます。三千院と参道の南を流れる「呂川(ろせん)」と合せて、「呂律」ということばは、この地で盛んに行われた声明(しょうみょう)の節回しのことです。

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橋を渡った右手に「後鳥羽天皇大原陵・順徳天皇大原陵」があります。後鳥羽天皇(1180- 1239)は高倉天皇の第4皇子で、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての天皇です。文武両道で、新古今和歌集の編纂でも知られます。

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上皇は、鎌倉時代の承久3年(1221)鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げました。しかし、幕府の大軍に敗北して上皇は隠岐に、第3皇子の順徳天皇(1197-1242)は佐渡に流され、それぞれ配流先で亡くなりました。

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後の1241年、上皇と順徳天皇の冥福を祈るため、上皇皇子・尊快入道親王と母・修明門院が、摂津の水無瀬離宮の建物をこの地に法華堂として移し、ひそかに持ち帰った遺骨を納めました。明治の神仏分離令によって天皇稜と分離されました。

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「実光院」 山号を魚山という勝林院の支院です。山門を入った正面に庫裏(拝観入口)があります。客殿からは江戸時代後期作庭の「契心園(けいしんえん)」という池泉鑑賞式庭園が眺められ、西庭には「不断桜」が咲きます。

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正面が「勝林院」、山号を魚山(ぎょさん)という、天台宗延暦寺の別院です。平安時代後期の1186年、浄土宗の宗祖・法然(1133-1212)が勝林院に招かれ宗論「大原問答」が行われました。実際には、懲らしめてやろうという目論見があったのでしょう。

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しかし、法然の専修念仏が他を論破。この時本尊は手から光を放ち証拠を示したとされます。この本尊は以前にも天台僧・覚超と偏朮(へんく)の議論で、覚超が主張するとき隠れ、偏朮のときには姿を現して「証拠の阿弥陀」といわれていました。

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門前に、大原問答に臨む法然が休んだとされる「法然腰掛石」があります。真偽は分かりませんが、今から宗論に向かう法然一行の緊張感が伝わってきます。今日はここまでです。

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