大原野神社 桜咲く京春日
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昨日は大原野方面に行ってきました。一日中快晴で、久しぶりに西山の桜を堪能しました。最初に訪れたのは大原野神社、「京春日」はその別称です。上は「一の鳥居」。
「大原野神社」 創建は平安京以前の延暦3年(784)に桓武天皇が長岡京へ遷都した際、皇后の藤原乙牟漏(おとむろ)が藤原氏の氏神である奈良・春日社(春日大社)の分霊を勧請して、大原野に祀ったのに始まります。
「鯉沢の池」 奈良の猿沢の池を模した池。春は小塩桜や霧島、つづじなど、夏は新緑にほととぎす、秋は紅葉、冬は丹朱社殿の雪景が一しおの尊厳、優雅さを添えます。その風景は今なお王朝の余香を感じることができるといわれます。
最初の鎮座地は諸説あり、延喜式神名帳に記載の入野神社(大原野上羽町)が有力です。嘉祥3年(850)藤原冬嗣を祖父に持つ文徳天皇が現社地に社殿を造営。その際、当社の西にある「勝持寺」が別当寺となりました。「地主社」(縁結び・金運上昇)
摂社「若宮社」 本殿の第3殿と第4殿の御子神である水徳の神、天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)を祀ります。平成25年の修理で、創建が元禄14年(1701)まで遡ることが明らかになり、境内の中で最も古く京都市指定有形文化財。
貞観3年(861年)以降、しばしば皇后の参拝があり、また円融天皇や一条天皇が何度も行幸するなど、藤原氏のみならず朝廷からも特別な崇敬をうけ、平安時代に二十二社に列し国家鎮護の社とされました。
末社の「祓戸社(はらえどしゃ)」(心身清浄・健康)。
「瀬和井(せわい)」 柵の中の池は清和天皇の産湯の清水と伝えられています。
二十二社とは、常に朝廷の殊遇を受け、国家に重大事や天変地異のあるごとに使を遣わされて奉幣を受けた22の神社。
藤原氏の家に女の子が生まれると、その子が皇后・中宮になれるようにと当社に祈願し、祈願通りになると行列を整えて当社に参詣することが通例となっていました。「手水舎」には神獣の鹿が。
貞観18年(876)、清和天皇の女御となった藤原高子(二条の后)が当社に参詣した際、右近衛権中将で高子のかつての恋人であった在原業平がその行幸につき従い、「大原や小塩の山もけふこそは 神世のことも思出づらめ」と詠んでいます。
室町時代末の戦乱で社領を減らし応仁の乱後は荒廃し、その祭祀も中絶しましたが、江戸時代になり後水尾上皇の頃より復興が行われたました。幕末の慶応元年(1865年)に至って官祭が復興されました。
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本殿は、同規模、同形式の4棟の一間社春日造社殿(いっけんしゃかすがづくり)で京都市指定有形文化財。各社殿間は板塀で連結され、屋根は檜皮葺、棟に置千木と3本の堅魚木をのせます。
正面にかかる破風は、春日大社同様、直接庇下に突き抜けて庇の垂木を受ける古い形式です。建築年代は、擬宝珠に文政5年(1822)の銘があり、向拝角柱の面取が小さいなどの様式から見ても、この頃の再建か、大規模な改修を受けたと考えられます。
春日大社の祭神、建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)は鹿島神社(茨城県)から神鹿に乗ってってやってきたという伝承があり、鹿は神の使いとして古くから手厚く保護されてきました。当神社も狛鹿以外にあちこちで鹿の像が見られます。
本殿の第一殿には建御賀豆智命、第二殿には伊波比主命(いわいぬしのみこと)、第三殿には天之子八根命(あめのこやねのみこと)、第四殿には比賣(ひめ)大神が祀られています。
政治・方除・知恵の神として、また良縁を授けて下さる女性の守護神として信仰されています。
明治時代の神仏分離により、当社と勝持寺の関係が解消されました。明治4年(1871)に官幣中社に列せられ、戦後の昭和23年(1948)神社本庁の別表神社に加列されています。
右は昭和の歌人・植松壽樹の歌碑「竹群に 降る音ありて更くるるらむ 雪の一夜を 来て泊りたし」、右は植松壽樹の門下で、藤原氏の末裔である富小路禎子の歌碑「母胎より 彼岸に到るここの道 いましばらくの 緋なる夕映」。
「五島夫妻の歌碑」五島茂は今上天皇に、代子夫人は現皇后陛下に和歌を指導しました。右は五島茂「まさかりを 過ぎしもみじ葉ためいろの くれなゐ霧らし 夕日かがよふ」、左は五島美代子「目さむればいのちありけり露ふふむ朝山ざくら額にふれいて」。
左から「八幡社 相殿:白髭社・藤森社」(延命長寿・子授け)、「稲荷社」(商売繁盛・五穀豊穣)、「八坂社」(厄除け・病気平癒)の末社とご利益です。
「樅の神木跡」 平成30年9月の台風21号によって折れた樹齢約500年の神木の樅の木。根元の中部が朽ちて空洞になっていて、入り口と屋根をつけて中に入ることができるようしました。歴史ある神木の時間の流れを感じながらそのご利益をいただけます。
「授与所」
9月の第2日曜日の「神相撲」は、神慮を慰め奉り、氏子が平穏無事に過ごせるよう享保2年(1717)より始まった特殊神事です。古式にのっとり、南北の氏子代表の力士による相撲、小学生豆力士や赤ちゃんの土俵入りも行われます。
「千眼桜(せんがんざくら」 たくさんの花芽をつけることからつけられた名称。満開の期間が3日間ほどとたいへん短く、幻の桜と呼ばれています。運よく満開を見ることができたら、千の願いが叶うともいわれています。
ちなみに、例年の満開日は4月8日で、令和3年は3月30日、令和4年は4月7日、今年(令和5年)は訪れた日の3月29日が満開と発表されました。期待をしていなかったので、満開に出合えて幸運でした。
帰りに境内唯一の茶店「春日乃茶屋」で甘いものをいただきました。左のあずまやに座っていると、コツコツと軽快な音がします。
席の前の桜の木をキツツキ?がつついていました。大原野神社は境内地83000㎡のうち66000㎡が森林に覆われているそうです。
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コメント
キツツキの、木をつつく音って
可愛い感じでいいですよね。
投稿: munixyu | 2023年3月30日 (木) 18:26
こんばんは。ゆーしょーです。
大原野神社の幻の桜は、満開の期間が
3日間ほどとたいへん短いので、幻の
桜と呼ばれているのですね。
運よく満開を見ることができたら、
千の願いが叶うともいわれているので
りせちゃん幸運でしたね。
ラッキー!!
ポチ♪ 2
投稿: ゆーしょー | 2023年3月31日 (金) 02:46