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2023年4月 1日 (土)

勝持寺 西山の花の寺

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

一昨日の大原野神社まで乗ってきた車を駐車場において、歩いて勝持寺に向かいました。「勝持寺」は正式には小塩山大原院勝持寺という天台宗の寺院で、境内に多くの桜の木が植えられているので「花の寺」とも呼ばれています。

しばらく歩くと石段があり、その下に「左 淳和天皇御陵道」という石標(写真には写っていません)と「花の寺500m」という看板があります。

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「仁王門」 平安時代の仁寿年間(851-854)の建立。室町時代の応仁の乱(1467-1477)で唯一類焼を免れた寺の中では最も古い建物です。三間一戸の八脚門で、寄棟造に桟瓦葺。かって安置されていた仁王像(重文)は境内のお堂に移されています。

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創建の詳細は不明ですが、寺伝では天武天皇8年(679)に天武天皇の勅によって役小角(えんのおづぬ)が創建、薬師如来を祀ったと伝えられます。GoogleMapでは大原野神社から歩いて6分、車でも6分となっていたのですが、かなりの道のりでした。

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隆盛時には多くの支院がありました。京都第二外環状道路の新設工事の事前発掘(2010-12年)で鎌倉から室町時代の複数の支院跡が見つかり、その石塁の一位を移築保存しています。

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その後延暦3年(784)大原野神社が創建されると、勝持寺はその別当寺とされました。左に「花の寺霊園(好評分譲中)」があります。

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延暦10年(791)に伝教大師が桓武天皇の勅を奉じて堂塔伽羅を再建、薬師瑠璃光如来を一刀三礼をもって刻み本尊としました。これ以降天台道場となりました。(更に石段がありました。)

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平安時代前期の承和5年(838)仁明天皇の勅によって塔頭49院が建立されたといわれ、仁寿年間(851-854)に千観によって再興されたとも伝えられています。「南門」「小塩山」と「西国薬師四十九霊場 第四十二番霊場」の看板が掲げられています。

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平安時代後期の保延6年(1140)北面の武士・佐藤義清が当寺で出家し、西行と号しました。(東門を入った正面が「書院」で拝観受付があります。

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右は「瑠璃光殿」寺宝の収蔵庫で、本尊の薬師如来(やくしにょらい)像や、かって仁王門にあった金剛力士阿吽像(重文)などの寺宝が安置されています。

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「阿弥陀堂」 本堂で瑠璃光殿と渡り廊下で結ばれています。

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室町時代iの応仁の乱(1467-1477)で仁王門を残して焼失、以後衰退しました。安土桃山時代の天正年間(1573-1592)に再建されましたた。

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江戸時代には将軍徳川綱吉の生母・桂昌院の帰依を受け、建物が修復されています。明治初年の神仏分離令により、当寺と大原野神社の関係が解消されました。

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「不動堂」 お堂の裏に大きな岩があり、この地で修行していた空海が眼病に悩む人のために祈ったとされる不動明王が刻まれています。そのため、眼病をはじめとした諸病平癒のご利益があるとして信仰されています。

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不動堂の石段横に「鏡石(かがみいし)」が置かれています。西行がこのお寺で出家をする際に、この石を鏡の代わりに使って髪を剃ったという逸話が残されています。前の池は「瀬和井の泉」、産湯に使えるほど綺麗なお水のことだそうです。

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「西行桜(さいぎょうざくら)」 出家した西行は当寺に庵を結び、一株の桜を植えて吟愛していました。世人はその桜を「西行桜」と称し、寺を花の寺と呼ぶようになりました。西行が植えたといわれる桜の三代目だそうです。

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ずいぶん背が高く、1枚の写真に納まらないので縦のパノラマ写真で撮りました。上の方の枝に花が密集して咲いていて、周りの木より濃いピンクの色をしていました。

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境内には、数種類約100本の桜が植えられ、その大半を占めるソメイヨシノは例年4月上旬に満開となるそうです(今年は3月末でした)。また同じ数ほどのもみじが自生し、こちらは例年11月中旬見頃を迎えます。

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「鐘楼堂」

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池のほとりに「魚籃観音(ぎょらんかんのん)」が佇んでいます。観音様が持つ三十三の顔のひとつで、魚を入れる籠(魚籃)を持っています。悪鬼羅刹を除くという強力なご加護を持っています。

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さらに境内の奥に入ると、「桜が丘」があり、比較的若い桜が植えられています。

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「冴野の沼(さえののぬま)」 平安時代の女流歌人で三十六歌仙の一人、中務「小塩山 松風寒し 大原や 冴野の沼の さえまさるらん」の歌枕になっています。

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かなり濃いピンクと白い花の桜が入り混じっています。

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石段の上にも建物があり、その前から桜が丘が見下ろせます。

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今回は訪れた大原野の寺社では御朱印を頂きましたが、別の機会にまとめて紹介します。

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隣の「願徳寺」 夢で啓示を受けた持統天皇が薬師如来を本尊として天武天皇8年(679)に向日市寺戸町に創建、近代に衰退して仏像を勝持寺に移管、昭和48年(1973)ようやくこの地に再建、「京都で一番小さな拝観寺院」を名乗っています。

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現在の勝持寺の仁王門には願徳寺の金剛力士像が安置されています。高い場所に上ってきたようで、大原野から京都市南部、桃山丘陵などが見渡せます。

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