« 京都御苑 梅だより・梅林 | トップページ | 出町妙音堂 2023年3月 »

2023年3月 8日 (水)

京都御苑 梅だより・南部

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

Anc_8399a
※写真は全てクリックで拡大します。

昨日に続いて京都御苑の南部の梅を見て回ります。梅林のエリアの北は「出水口」から続く東西沿いに紅梅や白梅の若木が植えられています(上)。この道の南部が「出水公園」です。

Anc_8416a

ここには「出水の小川」が流れています。最近まで御所には防火などのための「御所水道」が引かれていました。(小川沿いの梅が開花しています。)

Anc_8418a

明治に開かれた「琵琶湖疏水」を三条蹴上で分水した専用水路です。

Anc_8424a

昭和56年(1981)そのうちの御所周りの流路「御溝水(みかわみず)」から導水して造ったのが「出水の小川」です。

Anc_8433a

長さ110m、深さ約20cm、川底は苑路と同じ琵琶湖曇川(とがわ)産の石を敷いています。

Anc_8427a

平成4年(1992)御所水道は閉鎖され、現在は井戸からの地下水を循環ろ過して流れを維持しているそうです。

Anc_8445a

親子で水遊びができるように整備され、川沿いには桜や梅が植えられました。

Anc_8448a

この白梅は満開を過ぎているかも。

Anc_8450a

出水広場の南は「下立売御門」からの道で区切られ、門の向こうに「菅原院天満宮神社」が見えます。

Anc_8458a

出水公園の東の道を下がると、紅白の梅が並んで咲いていました。

Anc_8466a

この梅を目当てに訪れる人もあり、この日は紅梅、白梅ともに見ごろでした。

Anc_8468a

少し南に行くと、「椹木口」からの東西の道があり、左(南)は「環境省京都御苑管理事務所」です。このあたりの歩いてきた南北の道の西側、管理事務所の東塀に沿って工事をしていました。年度末は公共工事が多いようです。

Anc_8480a

「閑院宮邸跡」 閑院宮家は四親王家の一つで、東山天皇の皇子直仁(なおひと)親王を始祖として1710年に創立。明治に閑院宮の東京移転の後、屋敷は華族会館や裁判所として使われ、宮内省京都支庁が設置されてからその主屋として残されています。

Anc_8486a

第7代当主・春仁(はるひと)王は昭和22年(1947)皇籍離脱、昭和63年81歳で死去、実子がなく閑院家は断絶しました。 閑院宮邸跡は入場無料、公家屋敷や庭園、かっての所長官舎の遺構、閑院宮家の歴史史料などが展示されています。

Anc_8484a

「宗像神社」 平安時代ここに小一条殿があり、清和天皇が誕生しました。神社は花山院家の鎮守で、御所西南の裏鬼門を守る方除けの信仰を集めたといわれています。こちらも大楠のそばで工事をしていました。

Anc_8490a

向こうに京都御苑の正門「堺町御門」の前の広場が見えます。右手は「九條邸跡」で、九條家は藤原鎌足を遠祖とする藤原北家の流れをくみ、摂政関白を数多く輩出した家系です。

Anc_8494a

九条家は京都の南東部、九条陶化坊の一帯に領地があり家名の由来となりましたが、秀吉の都市政策によって御所の南に移されました。九條家の鎮守が「厳島神社」として残されています。下は厳島神社 の入口で、珍しい形の鳥居があります。

Anc_8495a

かっての九條家は1万坪以上の敷地がありましたが、東京遷都にともなう東京移転命令によって、邸宅はほとんど取り壊され、茶会や歌会などに使われた40坪余りの「拾翠亭」と池の中の島にある厳島神社だけが残されました。

Anc_8524a

拾翠亭は毎週末(おもに金土曜日だと思いますが、お出かけの場合はご確認ください)に一般公開されています。池のほとりに白梅があり、舟が浮かんでいるのは初めて見ました。

Anc_8533a

「厳島神社」には宗像三女神を主祭神に、祇園女御も祀られています。本来は平清盛の母の霊であったと思われ、後に著名なその姉(清盛の伯母)の祇園女御に変えられたと考えられています。

Anc_8527a

安芸国厳島社を崇敬した平清盛が摂津国兵庫津に築島(経が島)を造成した際に、同島に社殿を構えて厳島社を勧請し、後に清盛の母の霊を合祀したのが始まりとされます。厳島社を京へ遷座したのがこの神社といわれています。鳥居のまえの石灯籠。

Anc_8529a

九条邸跡の向かいは御所の「建礼門」から続く「建礼門前大通り」、葵祭や時代祭の祭列がここから出発します。

Anc_8498a

大通りの南東隅にある「黒木の梅」 もとは九條邸にあったものを大正天皇即位大礼の時にこの位置に移植しました。しかし枯れてしまい、接木により植継ぎされたのが現在の木です。

Anc_8500a

この梅の原株は英照皇太后(1835-1897、孝明天皇の后)が幼少のとき、生家の南大路家で愛でられていたといわれています。 (黒木の梅ではなく、後ろの松を選定しているようです。)

Anc_8502a

歴史研究家・藤木文雄氏によると、南大路家は鴨長明の末裔でしたが近年に断絶、その邸宅や墓も失われてしまいました。この梅だけが鴨長明の歴史を継いでいるといえます。 「黒木の梅」は開花したばかりのようでした(撮影は3月6日です)。

Anc_8515a

お帰りの前に、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Anc_8520a

|

« 京都御苑 梅だより・梅林 | トップページ | 出町妙音堂 2023年3月 »

コメント

一気に、写真から春ののどかさと、うららかさが伝わって来るようになりましたよね。
冬とは違う、不思議な空気感だと思います。

投稿: munixyu | 2023年3月 8日 (水) 18:50

こんばんは。ゆーしょーです。
京都御苑ってほんとに広いですね。
その広い御苑に紅梅・白梅が
沢山植えられているのですね。
写真を撮りながら俳句を詠みたいです。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2023年3月 9日 (木) 01:37

★munixyuさん こんばんは♪
天気がよく穏やかな日だったので、写真にも季節感が現われるのかも知れません。

投稿: りせ | 2023年3月10日 (金) 01:44

★ゆーしょーさん こんばんは♪
普段たしなんでいる方は一句出てくるのでしょうね。私は鼻歌しか出てきません。

投稿: りせ | 2023年3月10日 (金) 01:47

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 京都御苑 梅だより・梅林 | トップページ | 出町妙音堂 2023年3月 »