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2023年3月11日 (土)

烏丸通を歩く 丸太町から下立売

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日京都御苑の梅を見たあと、南東にある「間之町口」(上の写真)から出て烏丸通を北に向かって歩きました。途中、地下鉄「丸太町駅」の入口があります。

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「烏丸丸太町交差点」 北西角の建物は「アオキ書店ビル」、1階に「マクドナルド 烏丸丸太町店」や花屋さんの「(有)貴島フローリスト」が入っています。

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ここから烏丸通の東の歩道を北に歩きます。右(東)は京都御苑、左(西)は建物が立ち並び、ときどき東西の通りが西から突き当たります。

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「京うまれ ごはん日和」、京野菜など京都の味が詰まった定食屋で、「丹波あじわい鶏」「京の都もち豚」黒毛種の「京の肉」などがあります。2階にはカフェの「cafe art Space」があり、建物は「烏丸丸太町ビル」。

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「地下鉄 丸太町駅」 京都の地下鉄は、烏丸通を南北に二条~三条通を東西にしか通っていないので、ほとんどの駅は路線をいう必要がありません。

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「大丸ヴィラ(中道軒)」 大丸社主の下村正太郎邸として建設された洋館で、大丸の迎賓館として使われているようです。下村氏はヨーロッパの建築に通じていて、ヴォーリズに英国の中世様式の採用を指示しました。

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ハーフティンバーのチューダー・スタイルの洋館の傑作として、京都市登録有形文化財に登録されています。下の写真はGoogleストリートビューからの転載です。

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御苑の入口のように見えますが、行き止まりで駐輪場になっています。

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向かいの露地の奥に「養安町地蔵尊」、「延命地蔵大菩薩」
が祀られています。路地は突き当りで右に曲がり、地蔵尊はそちらを向いています。

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京都では町内に祀られている辻地蔵が、住民を守り、子供たちの成長を助けるという信仰があり、毎年地蔵盆が行われます。いつも近くの方が手入れをしていることが分かります(下もGoogleストリートビューからの転載です。)

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「ワタベウェディング 京都本社」 リゾ婚サロン・京都和婚サロン・フォトスタジオ・婚礼衣裳・アニバーサリーサロンの機能を集約して昨年4月にリニューアルオープンしました。店の前で車が白バイに止められていて動きそうにありません。

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「タイム堂」築100年余りの京町屋をリノベーション、「食」を味わうカフェだそうです。「今のくらしにフィットする新たな生活文化の創造」を目指す「洛景工房株式会社」の直営です。

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「GALLERY COCTEAU」 レンタルギャラリーで「住まい塾」の見学可能な建物。住まい塾は平均寿命20数年という日本の住宅の質の低さを嘆じて1983年建築家・高橋修一の趣旨に共感した設計者・施工職人・ユーザーの集団です。

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豊かな空間を太い柱や梁など確かな骨組みで支え、必要な伝統は学び、現代の生活にふさわしく、なによりも美しい空間を目阿しているそうです。下の写真の左の建物は「ROOST御所西」、築1990年、5階建、全5戸のマンションです。

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京都御苑の「椹木口」、右は「環境庁京都御苑管理事務所」、左は「一般利用区域外」でおそらく公務員の職員宿舎ではないかと思います。

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「椹木町通」 ここから西の千本通まで続き、全区間中央線のない狭い通りです。もともとは寺町通まで通じていましたが、宝永の大火(1708)の後、烏丸通以東の町家を立ち退かせて公卿らに分与、後に京都御苑となりました。

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「小川金正堂」 昭和8年(1933)表彰記念品を取り扱う会社として創立、現在はレーザー彫刻機・印刷機械などの新設備を導入して、バッジ・カップ・トロフィー・旗・金属看板、各種記念品等の製造・販売をしています。

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隣にかなり大きくて古そうな町屋が2軒あります。

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「菓歩菓歩 御所西店」、京丹波町に小さなカフェを備えたお菓子工房があり、有機栽培・無農薬の素材を厳選したシンプルなお菓子を作っています。2階に美容室「STELLA」があり、右にテナント募集ののぼりが立っています。建物は「MACHI WORK 御所西」。

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左の建物は「(JAF)一般日本自動車連盟京都烏丸」

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「花工房」 ほんの気持ちの小さな花束から用意するそうです。ブライダルや葬儀、謝恩会、開店祝など、それぞれのシーンにあったアレンジを提案、教室も開催しています。

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「下立売御門」 前年の八月十八日の政変で京都から追放されていた長州勢は、元治元年(1864)7月18日、御所内にある京都守護職・松平容保が参内の際に宿舎として使っていた凝華洞を目標として進軍を開始しました(禁門の変)。

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天龍寺に布陣していた長州勢は、3隊に分かれて中立売御門、蛤御門、下立売御門を目指しました。長州勢の10倍ともいえる兵力の幕府側でしたが、決死の覚悟で攻め込む長州勢に中立売御門が破られてしまいます。

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その後、来島隊が攻撃した蛤御門で激戦となり、中立売御門を突破した国司隊と下立売御門で桑名藩と戦っていた児玉隊も、蛤御門の激戦に加わりました。ここ下立売御門にも銃弾の痕が残っています。

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向かいは「烏丸の天神さん」こと「菅原院天満宮神社」、梅の季節なのでこの後訪れました。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
有名な烏丸丸太町ですね。
僕は最初から「からすま・まるたまち」と読めましたが、
「からす・まるまる・ふとる・まち」が一番面白い
読み方なのですね。
県外の僕らから見れば「からすま」は少し抵抗感じます。
また、「うずまさ」も難しいです。
撮影所があるので知るようになりましたが。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2023年3月12日 (日) 00:12

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