菅原院天満宮神社と源平咲きの梅
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烏丸通を丸太町から歩き、「菅原院天満宮神社」に来ました。ここは、菅原氏の邸宅「菅原院」があった場所で、菅原道真、その父と祖父が祀られています。
菅原家の祖先は、垂仁天皇の皇后(日葉酢媛命)が崩御された時、当時悪習であった殉死を取り止め、替わりに埴輪を埋めるべく建言した功績により、土師氏の姓を賜りました。
土師家は大喪の事を掌っていましたが、その子孫で菅原道真の曽祖父が781年に、領地のある奈良の土地の名「菅原」に改姓を願い出て、勅許されました。 その後、平安遷都が行われました。鳥居の左に「菅家邸址」の石碑があります。
道真の祖父・清公は、文章(もんじょう)博士・大学頭を歴任しました。文章博士は大学寮(高等教育機関)に属して詩文と歴史とを教授した教官(定員1名)、大学頭は大学寮の長官です。また、遣唐判官として唐に渡りました。
父・是善は幼少から優れた才能を発揮して、11歳で天皇の前で書を読み、詩を披露したといわれます。文章博士、参議、刑部卿を歴任して、文徳天皇や清和天皇に講義をしました。神門を入った右に社務所・授与所があります。
境内で工事をしているようで、社務所の前に小型トラックの工事車両が止まっていました。社務所の奥に「道真公産湯の井戸」があります。
「道真公産湯の井戸」は長年枯れていましたが、そこから6m離れたこの場所を掘ったところ、同じ水脈から水が湧きだし、水質検査で飲用が可能と分かりました。参拝者が自由に飲むことができます。
845年に道真が生まれましたが、出生地の記録は残っておらず諸説あります。父の勤務先に近い菅原院で生まれたとすれば、その地にあった井戸が産湯の井戸といっても差し支えないと思われます。
一方、道真家は高辻通、綾小路通、西洞院通、新町通に囲まれた南北2町の地も所有。ここには菅原家の邸宅(白梅殿)や祖父が開いた菅家廊下という私塾があり、ここも道真生誕の地とされます。(産湯の井戸跡に、先ほどの井戸から水を引いています。)
産湯の井戸の横の梅は「源平咲き」とされ、一つの木に紅白の梅が咲くことで知られています。毎年のように訪れてきたのですが、今年初めてきれいに咲いているのを見て、少し感激しました。最後にも写真があります。
藤原氏が力をもっていた時代に、道真の祖父と父が学者として教育機関のトップまで昇進できたのは、菅家廊下の存在が大きかったといわれています。菅家廊下は文字どおり菅原氏私邸の廊下を指します。「本殿」の周囲で工事をしていました。
この私塾から政官界に多数の有能な人材が輩出、私立大学、あるいは「政経塾」のような存在で、この学閥は官僚社会の中で大きな力となりました。(学問成就や厄除け、縁結び、安産などのご利益があるとされます。)
道真は幼少の頃から菅家廊下で英才教育を受け、廊下の北側には書庫があり突き当たりには後に道真の研究室兼応接室が置かれたといわれます。(本殿の横には摂社があります。)
道真がこの白梅殿で生まれたという説もあり、跡地に創建された「菅大臣神社」にも道真の産湯の井があります。左は末社の「戸隠社」、祭神の天手力男命は歯痛など口腔の病に、九頭竜大神は良縁、雨ごいのご利益があるとされます。
862年、道真は式部省が実施する文章生試験を史上最年少の18歳でパスして文章生となり、867年23歳で文章得業生となり、870年26歳で方略試に合格しました。その後は昇進を重ねて中央官庁の要職を歴任しました。
その後の道真について書くスペースがありませんが、道真が左遷された理由は藤原時平の諫言という通説は現在では根拠に乏しいと考えられています。「天満宮遺愛燈籠」は道真遺愛とされ、平安時代初期の石灯籠です。
道真を重用した宇多天皇と即位した醍醐天皇との確執、他の学閥との軋轢、道真が進めようとした改革への貴族の反発などが背景にあったといわれます。「梅丸社」祭神・梅丸大神は、がん封じなど腫物の病にご利益があります。
もう一か所、有力な道真生誕の地とされるのが吉祥院です。 梅丸社の社殿の前に「なで石」があります。
平安遷都(794年)の際に、道真の曽祖父が桓武天皇から所領として与えられ本邸を構えたとされます。「地蔵社」祭神・天道大日如来は出世、左の地蔵尊は諸病平癒、子供守護のご利益があるとか。
跡地に創建された吉祥院天満宮にも道真の「産湯の井跡」があります。この地は道真の正室の邸宅があったことは確かで、もし菅原の父の正室も住んでいたならば、道真がそこで生まれた可能性もあります。
この菅原院の跡地は江戸時代に神社として再興されました。境内に貼ってあった「内裏図(再刻)」の中で「下立売」の横に「宇佐美」とあるのが菅原院天満宮神社の場所で、宇佐美は宮司さんの家名です。
明治時代に提唱された道真ゆかりの地を巡拝する「菅公聖蹟二十五拝」では、1菅原院天満宮神社、2錦天満宮、3菅大臣神社、4吉祥院天満宮から京都を離れ、23大宰府天満宮を経て、25北野天満宮に戻ります。
ところで、本殿の周囲の工事は、今まで傷みが激しかった透塀(すきべい)と外塀(そとべい)の取替えだそうです。工事には多額の費用(2千万円)がかかり、神社では御協賛のお願いとして、寄付を募っています。
一口5千円で、社務所にて直接お申込みいただくか備え付けの郵便振替用紙をご使用下さいとのことです。(本殿の塀の中では白梅が咲いていました。)
今年の4月8日(土)・9日(日)に「天神さまの手作り市」が開かれます。恒例行事として毎年11月にも開かれ、アクセサリーや布小物、お菓子など、あたたかみのある品がそろうと評判だそうです。
この後、烏丸通をさらに北上しました。
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