今宮神社 大鳥居再建される
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今日は今宮神社の大鳥居が再建されるまでの経緯を紹介します。少し日にちが経ってしまいましたが、東門から今宮神社の境内に入ります。
神社南側の北大路通に面した参道にあった大鳥居は、昭和3年(1928)に氏子が奉納し、地元から風景の一部として長年親しまれてきました。東門から本殿に向かう途中に鳥居を輪切りにしたものが展示されています。
しかし、平成29年(2017)10月の台風21号で傾いたことから、翌年8月に解体して近くの御旅所で修復を進めてきました。下の2枚は大鳥居の解体・修復を行った建設会社「匠弘堂(しょうこうどう)」のHPからの転載です。
この会社は社寺建築の設計施工が専門で、大鳥居に関わる作業をHPに記載しています。鳥居のすぐ近くに住宅が建ち、高圧電線が通っていることや交通量の多い道路であることなど、撤去作業は大変だったようです。
傷んだ鳥居を調査して修復方法を検証すると、再建まで数年かかり、費用も莫大なものになることが判明しました。神社では同年9月に「令和4年(2022)の大鳥居再建を目指して、ご寄付・ご協賛を願います」と呼びかけ、
氏子組織「松風講」が中心となり「今宮神社南大鳥居修復事業奉賛会」が結成されました。上の鳥居の輪切りはその呼びかけのためで、社務所の横には募金箱が置かれています。
本殿の中御座には大己貴命(おおなむちのみこと)、東御座には事代主命(ことしろぬしのみこと)、西御座には奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)を祀ります。奇稲田姫命は、素戔嗚尊が八岐大蛇を退治して妻にした女神で、子孫繁栄・五穀豊穣の神です。
2神の間に生まれた子が大国主神で(大己貴命はその幼名)、国造り、農業、商業、医療、縁結びの神です、事代主命は大国主神の子で、託宣神のほか、海の神、五穀豊穣・商売繁盛の神とされています。「拝殿」
拝殿の前に徳川綱吉の生母・桂昌院のレリーフがあります。地元出身の桂昌院は今宮神社を崇高して、荒廃していた社殿を修造、やすらい祭の復活にも尽力しました。
古来、今宮神社は東西の参道から参るようになっていましたが、船岡山の北へと町並みが広がり、神社へとつなぐ新たな参道を設けようとする気運が高まり、大正15年、南の参道を開くとともに、その北の端に楼門を建立しました。
さらに昭和3年、氏子の方々の熱い思いのもと、参道の南口に「松風講」の名を掲げた丹塗の大鳥居が奉納され、以来、平安を願う心の拠りどころである今宮の象徴として、大鳥居はこの地になくてはならない大切な存在と親しまれてきました。
昨年10月にも今宮神社の記事を書きましたが、その写真は2018年10月のものでした。そのときは、境内西の月読社の鳥居も傷んでいて通行できませんでした。この鳥居も写真のように修復されていました。
多くの住民の方が大鳥居の復活を願って協賛、楼門の前に奉加版が建てられています。
今年の1月2日「地元のシンボル大鳥居が復活」というニュースがありました。下は参道を楼門の方から見たところで、向うが「船岡山」です。
ちなみに、船岡山の山頂にある建勲神社には織田信長が祀られ、その南にある今宮神社の御旅所は豊臣秀吉が復興しました。鳥居の裏(北)側には奉賛会のパネル。
下は比較のためのGooglleビューの写真で、鳥居が撤去され狛犬だけが鎮座しています。
最後に、神社の協賛呼びかけに書かれた和歌を、「築建(つきた)てむ 堅しこころを高しく明けらけく こころを結ぶ あけの大鳥居」
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コメント
撤去するまでは順調にいっても、
そこからが大変だったのですね。
まさか、資金不足だったとは・・・。
最後は、再建できてよかった。
資金的に100年ぐらいは、頑張って建ち続けてほしいですよね。
投稿: munixyu | 2023年3月 1日 (水) 19:03
こんばんは。ゆーしょーです。
今宮神社は大阪の有名な今宮戎神社と関係ないのですね。
鳥居の建てるところを初めて見ました。
大きいクレーン車で建てていますね。
去年の11月に建てられたのですね。
ポチ♪2
投稿: ゆーしょー | 2023年3月 2日 (木) 00:07