烏丸通を歩く 蛤御門から今出川へ
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
一昨日の記事の続きで、烏丸通を蛤御門(上)の前から北上します(写真は東側の歩道から)。
下の「喫茶サンローラン」は「京都市食べ残しゼロ推進店舗」。食材を使いきる工夫、食べ残しの持ち帰りができる工夫、ごみ排出時の水キリ等の工夫に取り組んでいます。
「KBS京都」 昭和26年民放初の予備免許を得てラジオ放送開始、しかし平成6年会社更生法の適用、その後地上波のデジタル化やFM局を開始、最近になってようやく祇園祭や送り火などをBS局と共同制作。京都人ならば「しっかりして」と言いたいローカル局です。
「上長者町通」 平安京の頃は「土御門小路」と呼ばれて千本通まで続いています。現在の名称は、安土桃山時代の天正年間、通りの東辺に裕福な両替商人があり長者と呼ばれたことによるそうです。
「御所西京都平安ホテル」 地方職員共済組合の運営する公共宿泊施設ですが、新型コロナによる利用の減少などから、昨年(2022)6月30日をもって営業を休止しました。「休止」の意味が不明ですが、「再開」する可能性があるのかも知れません。
「キョーラク (株)京都本店」 「キョーラク」はプラスチック製品の製造・加工・販売を行う創業100年を越える会社で「プラスチックのパイオニア」と呼ばれているそうです。東京日本橋に本社があります。
「洛陽司法書士事務所」、「ジェネシスLtd」などが入っているテナントビルです。こちらのジェネシスは有名なIT機器の会社ではなく、業種は不明です。
「上京キリスト教会」 大正9年(1920)諌山修身師によって創立されたナザレン教会の中で最も古い教会の一つだそうです。ザレン教会はプロテスタント・福音主義の教団で、最近「旧統一教会」がキリスト教を偽装した反社会的な活動をしていると声明を出しました。
「中立売通」平安京では「正親町小路(おおぎまちこうじ)」と呼ばれ、現在の名称は店舗を構えない立ち売りが沿道に多かったことに由来しています。安土桃山時代には天皇の住む禁裏と豊臣秀吉の住む聚楽第を一直線に結ぶ道でした。左は美容院の「luretta」
「中立売御門」禁門の変では、越前藩が守っていたこの門が、三隊に分かれた長州藩の国司隊に最初に突破されてしまいました。京都都御苑で唯一、一般車両が通れる門で右(南)に駐車場や休憩所があります。
「グランドメゾン京都御所西」 築2003年、4階建、総戸数10戸のいわゆる億ションです。塀や庇が和風になっています。
塀の北端に猿らしき石像があります。マンションの北東の鬼門を守っているのかも知れません。
「京都府立府民ホール ALTI(アルティ)」4月9日[日]まで『さくらを追ってII 遠山悦子 テンペラ画展』、3月18日[土]、3月19日[日]創作音楽劇『遠くに街がみえる』が開催されます。来年1~8月に耐震工事と設備更新のために休館となります。
「金剛能楽堂」平成15年(2003)室町幕府「花の御所」の近くに設立、後にこの地に移転。金剛流は能楽シテ方五流派のひとつで、関西に宗家が在住する唯一の流儀です。3月21日(祝)『茂山狂言会 春』、25日(土)『金剛定期能』が開催されます。
「一条通」平安京の一条大路にあたり、西は右京区花園付近まで(延長して清凉寺までを指すことも)。平安中期以降は北へ市街地が拡大、御所の北端の大路の役割は現在今出川通が果たしています。左は「京都住宅センター学生住宅」
「とらや 京都一条店」 一条通を西に入ったところには「虎屋菓寮 京都一条店」があります。ここは虎屋が永年にわたり御所の御用を勤めてきた場所で、少なくとも寛永5年(1628)より前から店を構えていたことがわかっています。
菓寮では季節ごとに表情を変える庭や、稲荷社や江戸時代から蔵などを眺めながら甘味が楽しめ、日本文化に関わる書籍約600冊を閲覧でき、「虎屋 京都ギャラリー」も併設。この日はお土産を買いに立ち寄りました。
「御所西セントラルハイツ」築1977年、4階建、33戸、家電4点セット付(冷蔵庫・洗濯機・電子レンジ・照明)の女子学生専用マンションです。温水洗浄便座・宅配ボックス完備、京都府防犯モデル賃貸マンション認定を受けています。
「煕春堂(きしゅんどう)ビル」 築1990年、3階建、3戸の賃貸・貸事務所・テナントビルです。現在募集はありません。
「レスプリ・ド・翔」 創業30年を機に歴史ある乾御門の前に移転、「脳と五感の元気サロンR」という新たな看板を加え、大人の女性の美と健康と充実感を提供し続けるそうです。
1階は雰囲気のよいイタリアンの「UENOYAMA」、2階は「乾御門整骨院」で、兄弟が経営しています。弟さんは、以前はマッサージ師でしたが、柔道整体師の資格を取得してここで開業、話題iの「高気圧酸素ルーム」があるそうです。
「乾(いぬい)御門」 禁門の変で長州藩は蛤御門を突破して深く攻め入り最大の激戦となりました。藩邸から駆け付けた西郷隆盛は、薩摩藩が守っていた乾御門から入り蛤御門に援軍に行きました。西郷は崩れ立つ一橋兵や会津兵を叱咤激励するも、負傷して落馬。
しかし、長州藩の先頭に立ち暴れまくる来島又兵衛を狙撃して打ち取りました。その後、長州兵は総崩れとなり敗走を開始、戦局が大きく変わりました。右は「パレスサイドMIYABI」、築1995年、4階建、12丐のマンション。中央は1ブロックだけの短い通りです。
「シエリアサロン京都」 関電不動産開発株式会社のオフィス。同社が建設中の「シエリア京都御所南」が2023年8月下旬竣工、同9月下旬引渡可能(予定)で、その受付を行っています。
「近畿予備校烏丸ビル」 看板にある「近畿予備校 Kinyobi医進」は既卒生対象の医学部受験専門コース。1階は貸店舗として募集を行っています。右にあった同校の建物は取り壊されっています。少子化と大学全入時代から予備校生が減少、現在は通信制高校や
高校中退者、不登校生のサポートのための少人数教室を確保するなどの取り組みも行っています。「今出川通」との交差点の南西角は「京都中央信用金庫」 2階に「鳥貴族」が入っています。
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