梅宮大社 梅産祭
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昨日(3月第一日曜日)は梅宮大社の梅・産(うめうめ)祭が行われました。この祭は、子授けと安産、諸々の産業繁栄を祈願して神事が行われ、その後神苑の梅より作った梅ジュースが無料接待されます。
祭神が子授安産にご利益があるとされ、梅が見ごろの頃に行われることから、この祭の名称となりました。まるで現在の少子化対策のようなネーミングですが、以下では過去に訪れたときの梅産祭と境内の様子を紹介します。
四条通に面する参道入口から少し入ったところに一の鳥居、その先に朱の二の鳥居があります。「楼門」は左右に兵杖もった神像が安置されている随神門です。
「梅宮大社」は飛鳥時代末から奈良時代中期にかけて、県犬養三千代(あがたのいぬかいのみちよ、?-733)、その娘・光明皇后(701-760)、さらにその子・牟婁(むろ)女王らが創建したのが始まりとされます。*この年は3月2日が祭の日でした。
県犬養氏は大和朝廷の役職を占めた豪族たち、伴造(とものみやつこ)の一つです。三千代は元明天皇から橘氏を賜わり、後に橘氏は源氏、平氏、藤原氏とともに「源平藤橘」とよばれた代表的な姓となります。「拝殿」
一方、後の平安時代初期、橘諸兄(もろえ、684-757)が創建した井手町の井寺(いでら)に、橘嘉智子(かちこ、786-850)が橘氏の氏神(酒解神(さかどけのかみ)ほか三柱)を祀った梅宮社が起源だという説があります。
橘諸兄は橘三千代の子・葛城王が改名した名前なので、いずれにしても梅宮大社は橘氏ゆかりの神社です。
本殿には、酒解神(さかどけのかみ)、その子・酒解子神(さかどけみこのかみ)、夫・大若子神(おおわくこのかみ)、孫・小若子神(こわくこのかみ)を祀っています。「拝所」
祭神の酒解神は、初めて酒を作って神々に献上じた酒造の祖で、その子の酒解子神は、大若子神と一夜の契りにより小若子神を産んだことから、これらの神は造酒と安産の神として信仰されてきました。「本殿」
嘉智子(檀林皇后)は子どもに恵まれませんでしたが、梅宮大社に祈願したところ後の仁明天皇を授かりました。相殿には橘諸兄の孫・橘清友、檀林皇后、嵯峨天皇、仁明天皇とその一族を祀っています。
本殿の右にある子宝の石「またげ石」 檀林皇后がまたがれたところ、まもなく皇子を授かったと伝えられ、以来血脈相続の石として信仰されています。夫婦一緒に子授けの祈祷を受けた方だけを案内しているそうです。
平安時代初期に嘉智子が現在地に遷座してから、梅宮祭が始められました。毎年4月上旬の酉の日に行われ、神前で初めて雅楽が奉納されました。本殿の玉垣内にある摂社の「護王社」。
また、仁明天皇により梅宮祭は名神祭という国家の主要な神祭の中に加えられました。「稲荷社」
平安時代末期になると神社は衰退して、室町時代には戦乱で焼失してしまいます。江戸時代、5代将軍・徳川綱吉の命によって、本殿、拝殿、楼門などの社殿が再建され現在に至っています。多くの建物は京都府指定文化財となっています。
明治以降、梅宮祭に代わって3月第一日曜日に「梅産祭」、5月3日に神幸祭が行われるようになりました。また、6月第3日曜に「檀林皇后祭」、8月最終日曜に「嵯峨天皇祭」が行われます。
梅産祭では、神職が参列者の罪や穢れを祓ったあと本殿の御扉(みとびら)を開きます。そして、祭神へのお供え・神饌を行ったあと、宮司による祝詞が奏上されます(神事の写真はありません)。「お百度石」
ジャラジャラと心地よい音をたてて、神具の金幣(きんぺい)で祭神および参列者を祓います。最後に、神前に玉串奉奠(ほうてん)を行い神事が終わります。
この後、参列者や参拝者に神苑の梅から作った梅ジュースと漬けた梅が振舞われました(無くなり次第終了)。梅は古来中国より伝来し、花の美しさと香りが賞され、当初は薬用として珍重されました。
祭神・木花咲耶姫命の木花は梅花の雅称で、梅宮大社の神花は創設以来梅になっています。神域には約40種550本の梅が植えられており、その実をつけ込んだのが「招福梅」です。
この後、神苑を見て回りました。拝観受付と離れたところにある神苑の門を自分で開けて入ります。
神苑は桂川から水を引いた池泉回遊式になっています。作庭時期は不明ですが江戸時代には現在の姿になったそうです。門の正面に「咲耶(さくや)池」が広がっています。
梅宮大社の祭神の酒解子神は、木花咲耶姫と同一の神と考えられていることから、この池の名になったと考えられます。咲耶池の周囲を左回りに歩きます。
池の中や周囲には杜若、花菖蒲、霧島躑躅なども植えられていて、それぞれの季節を彩ります。池の東端から神門の方、背後は西山です。
咲耶池の大きな中の島には参集殿や茶室があり、池の東南北のそれぞれに石橋があります。東の石橋の上から南の方。
池の北に土俵があります。8月の最終日曜に相殿の祭神・嵯峨天皇の例祭が行われ、そのとき子供相撲大会も行われます。嵯峨天皇は相撲を好んだといわれています。
池を一周して西から。「池中亭」は幕末の嘉永4年(1851)に建てられ、「芦のまろ屋」とも呼ばれています。池の西岸から石橋がかかっています。
大納言・源経信の歌碑「ゆうされば かどたのいなば おとずれて あしのまろやに 秋風ぞふく」。平安時代の梅津の里を歌った百人一首で、茶室はその風景を再現しているのだそうです。
境内の北にある「北神苑」 中央に「勾玉池」があり、深くなくて沼地のようです。ここは花菖蒲が綺麗なところです。(勾玉池の西の藤棚から。)
勾玉池の南から。この池の南(本殿の裏)には高い樹木が生い茂っていてサギの巣があります。
「西神苑」 ここは梅苑になっていますが、椿や竹も植えられています。梅は献木された若い木を育てているそうで、まだ咲いていない木も多くありました。
江戸時代中頃、本居宣長は献木の梅に添えて、「よそ目にも その神垣とみゆるまで うえばや梅を千本八千本」と詠みました。
神社ではHPに毎日「梅宮花便り」を掲載しています。昨日(3月5日)の開花状況は、早咲き・散り初め、標準・7分咲き、遅咲き・7分咲き、極遅咲き・咲き始めです。園路沿いにラッパ水仙が咲いていました。
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コメント
梅がどんどん咲いていく、いい時期になってきましたよね。
梅、桜と嬉しい時期になりました。
投稿: munixyu | 2023年3月 6日 (月) 15:36
★munixyuさん こんばんは♪
コロナがおさまっている間に桜の季節になるといいですね。
投稿: りせ | 2023年3月10日 (金) 01:19