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2023年1月22日 (日)

高倉通を歩く 六条から五条へ

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日、五条以南の「下寺町」を歩いた最後に、高倉通に向かいました。上は六条通の高倉東入るにある「(株)タキモト 名酒館・葡萄館」、厳選されたワインと知識豊富なソムリエが迎えてくれます。飲食店の相談にも応じるそうです。

下は六条から見た高倉通の北側で、このあたりも平安時代の公卿・源融の邸宅「六条河原院」の跡地です。

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「梅春大明神・高市大明神・荒熊大明神」 由緒は不明ですが、街かどにある辻地蔵とは異なり稲荷社のようです。祠に小さな狐が祀られていました。

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「高倉会館・高倉幼稚園」の正門。この地は江戸から明治時代にかけて高倉魚棚ともよばれ、東本願寺の学寮があり講堂・寄宿舎・教場など多くの建物が並んでいました。

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講堂は幕末の兵火で焼失、明治16年に再建されました(左奥に見えますが、後で近くに行きます)。その後、真宗大学(現大谷大学)の講堂となり、明治末まで教育と教学の拠点として使用されました。

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しかし、大学移転後の大正時代になると使われることなく荒廃しました。

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左の建物は「東本願寺役宅」です。役宅とはその役にあたる者の宿舎で、今でいう社宅や従業員寮のことです。この門を入ると高倉会館(旧講堂)の北に行けます。

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大正11年、東本願寺開宗七百周年の記念事業の一環として講堂をもとに「高倉会館」が創建され、その付属施設として昭和5年に高倉保育園(翌年幼稚園)が設置されました。右にお子さんを迎えにきたお母さんたちがいます。

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北隣の「宗仙寺」 山号を大平という曹洞宗の寺院です。寺伝によると、鎌倉時代に曹洞宗開祖・道元(1200-1253)が京都に創建した三寺の一つといわれ、当初は六条高倉にありました。

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安土桃山時代の1579年三田の海禅寺の僧・天江により現在地に再興、江戸時代には曹洞宗本山の永平寺に代わり、宮中参内を許された役寺となりました。 本尊は釈迦如来、境内には陀枳尼尊天社、大弁財天社が祀られています(おそらく塀の向こうの建物)。

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高倉通を挟んで向かいに「六条院公園」。この名称は平安時代後期に白河天皇が構えた「六条内裏」に由来するといわれています。

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「平安京オーバーレイマップ」で、中央左に六条内裏があります。そこには「六条院」とも書かれており、それ以前にあった源融の六条河原院の跡地でもあります。戦前には「下京区役所」が建てられ、

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昭和17年に公園となりました。敷地の南は一段高く、現在はグラウンドになっていますが、かってはプールがありました。右手前の一画には幼児用のプールがあったようです。

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2018年にオープンした「そのうち cafe SNC」、入口が公園に面しています。ご主人は植物系の学部を卒業、珈琲はハンドミル、軽食のサンドウィッチやカレーに付くピクルスは自家製だそうです。

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宗仙寺の北隣に「浄運院」があります。安土桃山時代の天正年間(1573-1592)に光誉尊浄により創建され、東本願寺の学寮の一つだったといわれています。

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山門の正面のお堂には「開運辨財天」が祀られています。

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右手の本堂には、本尊の阿弥陀如来を祀っています。数年前に「京都浄土宗寺院 特別大公開」で2時間だけ公開されましたが、由緒の説明はなかったそうです。

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高倉通と五条通の交差点の南東に「千喜万悦天満宮」があります。菅原道真を祀る神社で洛陽天神二十五社の一つです。道真は、学者の最高位とされる文章博士(もんじょうはかせ)を務めていましたが、

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899年に右大臣に任命され、公達(上級貴族)に列座することを許されました。菅家(かんけ)として初めてのことです。道真は「千喜万悦」(大喜び)して公達に列座するさまを絵に描かせ「菅家繁栄の図」として安置されているそうです。

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社殿の右奥に西念寺の書院があり、天満宮はその境内に祀られています。「西念寺」は山号を報國山という浄土宗西山禅林寺派の寺院で、16世紀に開基・月空上人によって創建、その後豊臣秀吉の政策により本願寺領を設けるため現在地に移転しました。

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移転当初はは広大な境内でしたが、太平洋戦争中の1943年五条通を50m拡幅するため敷地の大半が接収され、天満宮と一緒に南に建物疎開させられました。こちらが西念寺の入口(山門)のようです。

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五条通の南の歩道を少し東に歩くと、花頭窓があるコンクリートの建物があり、西念寺の本堂のようです。上の平安京オーバーレイマップで、かっての五条通(六条内裏の北)は、拡幅された現在の五条通の北を通っていたことが分かります。Jny_1696a

ロシア軍の攻撃で発電施設が被害を受けて暖房が使えなくなっているウクライナの人々を支援しようと、山形市の市民団体が使い捨てカイロを送る活動を行っています。ニュースで活動を知ったご住職が協力を呼び掛けていました。

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市民団体の中心メンバーは、福島第一原発事故で11年余りの避難生活を送り多くの人に助けられたので、今は困っているウクライナの人々を助けたいという思いだそうです。最後の写真は五条通から、ここからバスに乗って帰宅しました。

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コメント

秀吉は、とにかく信長の死後のスピードが凄く早いですよね。
やる事の早さが、天下取りに大きな力となった気がします。

投稿: munixyu | 2023年1月23日 (月) 14:08

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