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2023年1月28日 (土)

雪の京都を歩く 円山公園

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事につづいて、知恩院の南門から円山公園に入ります。少し歩いた左に「京都市都市緑化協会」の事務所があります。緑ゆたかな都市づくりと地域住民の快適な生活環境づくりのための普及・啓発活動などを行う、京都市が出資した公益財団法人です。

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円山公園は京都市建設局南部みどり管理事務所が管理する市の公園で、名勝に指定されています。今日は、円山公園の歴史を振り返りながら、公園内を歩きます。

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かってこの場所には、祇園社(後の八坂神社)、安養寺、長楽寺、双林寺など寺社が建ち並んでいました。特にこのあたりの公園西部は祇園舎の社地でした。

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室町時代初期には宝寿院の院号を有する家系が神仏習合の「祇園舎」を管理するようになり、このあたりにはその社僧が住まいする社家が立ち並んでいました。

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祇園枝垂桜はその社家の庭にあったそうです。 その後執行代として宝寿院の庶流である宝光院と神福院が誕生し、祇園の三院といわれました。

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さらに竹坊・松坊・東梅坊・西梅坊・新坊の坊舎が誕生、祇園の「三院五坊」とよばれました。この辺りには石材が点在していますが、それらの遺物も混じっていると考えられます。

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明治元年(1868)の神仏分離令によって八坂神社の神宮寺・観慶寺(祇園寺)が廃寺になり、仏教関係の建物が壊され、社僧は全員還俗しました。

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明治4年(1887)祇園の三院五坊の社家の跡地、その東に広がる真葛ヶ原と安養寺、長楽寺、雙林寺(双林寺)の境内が上知(接収)され、明治19年(1886)総面積約9万平方メートルの公園が設けられました。(ひょうたん池の北部は凍っていました。)

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翌年、京都市へ移管され京都市初の都市公園となりました。園地計画は武田五一がまとめ、人工鉱泉療養所や貸席が経ち並び歓楽境をなしていたそうです。(ひょうたん池の北部)

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安養寺の支院の六阿弥は、江戸時代には貸席をもうけ、庭園や眺望の美しさから詩歌連俳、歌舞遊宴の名所となっていました。上知後も敷地を買い戻しましたが、現在では山の斜面に見える「左阿弥」だけが現存して料亭を経営しています。

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明治6年、宝寿院の庭にあった枝垂桜が周囲の樹木とともに払い下げられ伐採されそうになったところ、京都府勧業課長の明石博高(ひろあきら)が五円で買い取り、京都府に寄付したのが初代祇園枝垂桜です。

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明治25年(1892)から2年間をかけて、周辺の土地を買収して公園を拡張しました。東山との間に建つ民家がその眺望を妨げていたことや、風致状態を維持するために隣接する敷地を拡張しました。

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明治39年に也阿弥ホテルが火災で焼失、同年に平野屋と公園事務所が類焼したことを契機に再び公園を拡張、大正元年(1912)に小川治兵衛が池泉回遊式の日本庭園が作庭され、現在の円山公園の形となりました。

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「瓦斯灯」明治7,8年に京都の街に灯された日本最初の瓦斯灯を復元、1967年京都ライオンズクラブが寄贈したものです。

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「坂本龍馬と中岡慎太郎の像」 昭和11年(1936)に京都高知県人会有志により建立され、第2次大戦中に供出されましたが、昭和37年に再建。霊山護国神社の龍馬の墓にある像を拡大したものだそうです。 ここからひょうたん池の方に引き返します。

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平成28年、円山公園を適切に保存し管理するための指針「名勝円山公園保存管理計画」が策定されました。その目的は、開園後130年を経過して施設が老朽化、東京オリンピック・パラリンピックが開催され観光客が増加することが見込まれ、

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中心市街地に隣接しているので、観光客や市民がより一層利用しやすくするためだそうです。石柱は三条か五条大橋の橋脚ではないかと思っています。そばに瓦などの遺物もあります。

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保存管理計画では園内にある諸施設や文化財の歴史的経緯を明らかにし、それらの利便性や周囲の景観を改善することもうたっています。(公園内で唯一の洋食レストラン「開花亭」)

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また、作園当時の園池の景観を取り戻すために、流れや橋の修復、樹木の整理を行い、植治の特徴的な作風を再生するために、景石や石組みのき損箇所の修復を行うそうです。戦前の「ラジオ塔」

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再整備計画の基本的な考え方は「四時遊覧の名勝地 円山公園の復活」だそうです。昭和6年(1931)に名勝に指定された当時の円山公園を復活させるという意味で、四時は四季のことです。山の中腹に「左阿弥」の建物が見えます。

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昨年、ひょうたん池に流れ込む小川の整備が完了、石橋や川底、護岸が綺麗になっていました。ただし、保存管理計画では、財政難から園内に点在する文化財の本格的調査は困難であるとしています。祇園祭の山鉾の倉庫

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八坂神社の塀の外側は、祇園社の多宝塔の跡地です。多宝塔は寛政年中(1789-1801)の火災で 焼失、「東山名勝圖會」(1864)では既に「塔の跡」として、現在と同じようにこの場所で花見をしている様子が描かれています。

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八坂神社の南東の鳥居の前、雪だるまに外国のコインが使われています。ここから八坂神社に入りました。

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コメント

大雪の日は、気が重くなりますが、
雪だるまを見ると、癒されますよね。
大阪も少し積もりましたが、雪だるままでは、
いきませんでした。

投稿: munixyu | 2023年1月28日 (土) 16:25

★munixyuさん こんばんは♪
この日は雪だるまをいっぱい見ました。でも、昔のような形の雪だるまは少なく、時代の変化を感じました。

投稿: りせ | 2023年1月30日 (月) 00:52

こんばんは。
雪の日にも関わらず、大勢の人が訪れていますね。
坂道で滑らないように気をつけて下さい。ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2023年1月31日 (火) 23:28

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