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2023年1月13日 (金)

上徳寺 京の冬の旅で初公開

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日は、「京の冬の旅」として初公開の上徳寺に行ってきました。五条大橋の西、富小路通五条下ルにあります。山門の左右に「上徳院殿、霊光院殿 阿茶の局墓所」と「冠翁堀内雲鼓墓所」の石碑があります(説明は後ほど)。

「上徳寺」は、慶長8年(1603)徳川家康によって、側室・阿茶局(あちゃのつぼね)が開基となり創建されたと伝わる浄土宗の寺院です。山号を塩竃山(えんそうざん)といい、洛中四十八願寺34番札所です。「本堂」

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初公開されたのは本堂、客殿、世継地蔵堂の内部で、全て写真撮影が可能でした。本尊の「阿弥陀如来立像」は昨年11月に重要文化財の答申がされて東京にあり、内陣の前に写真が飾ってありました。

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本尊は、家康が近江国(滋賀県)矢橋の鞭碕八幡宮から請来したと伝わる快慶作の端正な像です。両脇侍として江戸期の作とされる観音菩薩像と勢至菩薩像が安置されています。

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「京の冬の旅」期間中、本堂内で徳川家康(左)とその息子の二代将軍・秀忠(右)、阿茶局(中央)の肖像画など、寺宝が特別展示されています。

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阿茶局は馬術・武術に優れ、才知に長け、「小牧・長久手の戦い」ほか諸戦に随行しました。大坂冬の陣では大坂城に入って和睦の使者を務めたほど、家康の信頼厚い側室であったと伝えられています。

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小牧・長久手の戦いで流産、子どもが産めない身体となりましたが、家康の寵愛は続きました。家康が駿府城へ隠居する際も、側室の中で唯一連れて行ったのが阿茶局だったといいます。(下の写真の授与所の左に客殿の玄関があります。)

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「客殿」は、貴族の屋敷から明治期に移築されたと伝わる江戸後期の書院造の建物です。手前と向うの部屋の内部は、円山派を学んだ絵師が描いた「紅葉図」と「桜花図」の障壁画で飾られています。

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客殿の前庭は端正な枯山水庭園で、近年の作庭だそうです。ただし、庭の随所の石組や石塔、井戸など古いものが点在しています。

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たった一枝ですが、庭に彩を与えていました。

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庭の石の上に置物を発見すると、微笑ましい雰囲気になります。

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客殿を出て、授与所の向こうにある「地蔵堂」に向かいました。地蔵堂に祀られた像高約2mの石造の地蔵菩薩立像は「子授け祈願・安産祈願」の信仰を集め「世継が授かる」といわれることから「世継地蔵」の通称でも知られています。

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寺伝によれば、明暦3年(1656)、世継ぎに恵まれるよう参籠していた人の夢の中に現れた等身大の地蔵尊を石に刻んだといいいます。大火で辺リー帯は焼失しましたが、地蔵尊は守り伝えられ、地蔵堂は明治4年に再建されました。像には焼けた跡が残っています。

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「歯がため地蔵堂」、地蔵堂の周囲にはお堂や石像が並んでいて、地蔵堂自身は絵馬で覆われています。 

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「水子地蔵」、人形作家・岡本正太郎の作だそうです。 

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「延命地蔵尊」(左右とも) 新しく生まれた子を守り寿命を延ばしてくれるといわれています。昔は幼い子供が亡くなることが多く、京都の町内各所に祀られ、地蔵盆が行われます。

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「徳川秀忠の宝篋印塔」 後ろは写経や願文等を納経する「大慈殿」で、その前に諸願成就のために新しく建立されました。心鎮めて塔の前で祈願して、右回りに廻るのが作法だそうです。

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西に塀沿いに「七福神」が並んでいて、塀の向こうは墓地です。

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「歓喜地蔵」 こちらはブロンズで、左の看板に「この世に生まれた喜びを共に喜び合う童」と書いてあります。絵馬のデザインになっています(最後の写真)。

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「身代わり地蔵尊」  地蔵堂は子供の成長と幸福を願う祠や仏像に囲まれていました。

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阿茶局(1554-1637)は武田氏の家臣・飯田直政の娘で、当初、今川氏の家臣・神尾忠重の妻になり、夫の没後に徳川家康に仕え側室になりました。西郷局の没後は、秀忠、忠吉を養育、1632年に秀忠が没すると剃髪し雲光院と称しました。

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墓地の中ほどに江戸時代の俳人・堀内雲鼓(うんこ、1666-1728)の墓があります。雲鼓は大和に生まれ松永貞徳の門下となり、京都俳壇で活躍、冠句でも人気を博しました。冠句は上の五文字を出し、付句の十二文字を作句する最短詩文芸として江戸時代に大流行。

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そのため、雲鼓は冠翁と称されました、山門を入ったところに雲鼓の句碑があります。「日のめぐみ うれしからずや 夏木立」

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毎年2月8日に「世継地蔵尊大祭」が行われ、住職ら僧侶と山伏が世継地蔵の功徳を称え、参拝者の子授けや招福を祈願します。 その後、本堂の前に護摩壇が設けられ、柴灯(燈)護摩供養が行われます。

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世継地蔵尊大祭の前後の日を含め、上徳寺の京の冬の旅は2月7~9日の期間、拝観休止となります。

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